第十一話 相棒 ‐キョウリョク‐

 外灯少ない住宅街の細道。空には星が光り、月は見えない。

 人気が無い道を、スーパーの袋を手首にぶら下げたた人影が一つ。

 手はポケットに突っ込み、背中を丸めて歩く姿は、覇気も気力も見当たらない。

 さらには目は半開き。死んだ魚の目のような。

 相変わらず倦怠感丸出しの供助は、だらだらと夜道を歩いていた。


「あっつ」


 九月過ぎではあるが、残暑厳しく額には汗が浮かぶ。湿度もあってか、歩くだけで体温が上がる。じっとりとした厚さに供助も無意識に呟いてしまう。

 陽もとうに落ちて周りは真っ暗。時間は夜九時を過ぎている。暑い中、面倒臭がりの供助がどうしてこんな時間に外を歩いているのか。

 理由は簡単。今日も今日とて食料の調達にスーパーに行き、その帰りだからだ。

 自炊を得意としない上に面倒臭がりな供助は、スーパーで半額になった弁当を主食としている。

 今日も運良く、半額弁当を四つも買うことが出来た。


「……はぁ」


 だが、供助の顔色は優れない。元々冴えない顔をしているが、今はさらに酷い。

 別段具合が悪い訳でも、機嫌が悪い訳でもない。

 理由は最近、面倒な事が出来たからであった。頭が軽い供助が頭を抱えるのはいつ振りだろうか。

 ただただ気が滅入り、溜め息が増える。おまけに足取りが重い。反比例して、財布は軽い。

 スーパーから暑い中を歩いて十分。ようやく家に着き、玄関の鍵を開ける。


「やっと着いた」


 少し古臭さがある一軒家。供助は玄関の引き戸を開けて家に入る。

 スーパーまでそう距離がある訳ではないが、暑さのせいで余計に疲れた。そして、ここからさらに疲れる事がある。

 ドタバタと大きな音をたてて、明かりが付いた茶の間から疲れの原因が顔を出す。


「おお、供助! ようやっと帰って来たかの!」


 首まである黒いショートヘア。その頭にある耳を二、三度動かしながら、猫又は嬉々とした表情で現れた。

 駆け足で玄関まで来て、鼻をすんすんと鳴らす。


「良い匂いがするのぅ! 今晩の晩ご飯は何かのぅ!」

「……はぁ」


 人の気も知らない猫又に、供助は思わず溜め息が漏らす。


「お前は一応怪我人だろうが。動かないで大人しくしてろよ」

「早く、早く弁当を食べるんだの、供助!」

「話を聞けよコラ」


 供助は靴を脱いで家に上がり、茶の間へと移動する。


「なんでもうテーブルに箸と飲みモンとコップが用意されてんだ?」

「私が用意しておいたんだの!」

「どんだけ早く飯が食いてぇんだよ、お前は」


 弁当を買いに行っている間に用意をしていた猫又に、呆れる供助。

 内心、用意の手間が省けて助かったと思ってもいたが。


「ほれ、好きなの選べ」

「おおっ! どれがいいかの? どれがいいかのぅ?」


 テーブルに買ってきた半額弁当が入ったスーパーの袋を置くと、猫又は二本の尻尾を揺らしながら中を覗く。

 猫又は人型の時は和服を着ているが、尻尾を通す穴が空いているらしい。

 なんでも、服の中に尻尾を入れていると窮屈なんだとか。


「私は生姜焼き弁当にするかの!」

「じゃあ俺は中華丼にするか。残りはお前の明日の朝昼の分な」

「うむ!」

「温めてくるから弁当よこせ」


 猫又が選んだ弁当を受け取り、供助は電子レンジがある台所へ向かう。

 基本、供助は朝食を食べない。朝食を食べる時間があるなら、その分睡眠時間を増やす。

 なので、今日買ってきた四つの弁当の内、二つは翌日の猫又の朝昼二食分に回される。

 供助は学校がある為、昼食は大概購買で買うか学食で済ませる事が多い。


「ほらよ」

「いただきますだの!」


 供助は弁当を温め終えて茶の間に戻り、片手に箸を装備して座る猫又に弁当を渡す。

 猫又はそれをテーブルに置くと、すぐに蓋を開けて食事を開始する。


「あっつ! 供助、温め過ぎだの!」

「知らねぇよ。お前が猫舌なだけだろ」

「私は猫だからの。猫舌で当然だの」


 コップにお茶を注ぎ、涙目で一口飲む猫又。

 感情と連動しているらしく、いつも立っている耳はぺたんと倒れている。


「つーかよ、猫又」

「ん? なんだの?」

「お前、玉ネギ食って大丈夫なのか? 確か犬とか猫ってネギ類食ったらダメなんだろ?」


 猫又が食べているのは生姜焼き弁当。豚肉と一緒に炒められた玉ネギが容器に盛られている。

 世間ではネギ類に含まれる成分が、猫や犬の赤血球を破壊すると言われている。与えすぎると最悪死ぬ場合も珍しく無い。

 ただ、それはあくまで普通の犬猫の話であって、妖怪の場合はどうなのかは解らない。


「馬鹿にするでない、私は妖怪だからの。それぐらいへっちゃらだの」

「いや、お前さっき自分で猫だとか言ってただろ」

「むぅ……供助の中華丼も美味しそうだのぅ」

「一口たりともやらねぇ」


 供助は猫又の視線を無視して、箸で中華丼を口にかっ込む。

 小さめのエビや白菜に、木耳とうずらの卵。

 全体的に小さい具ばかりで特別美味い訳でもないが、半額という点を考慮すれば悪くない。


「あん?」


 口の中のを飲み込み、二口目を箸で掬おうとした時。供助のズボンのポケットから音楽が流れ出した。

 音楽の原因である携帯電話を取り出すと、画面には『横田さん』と表示されていた。


「よっとかよ……はい、もしもし」

『やー、五日振り。調子はどーよ?』

「嘘でも良いとは言えないですよ」

『あらま、そりゃ大変だねぇ』

「誰のせいだと思ってんですか? 連絡しても全く繋がらないから困ってたんだすけどね」

「ごーめんごめん、こっちもバタバタしてたのよ」


 横田の全く感情が篭っていない謝罪。普通ならば腹を立てるところだが、付き合いの長い供助はもう慣れていた。

 猫又と同居することになって早五日が経って、早くも重大な問題点が浮き出てきた。

 その事で横田に連絡を取ろうとしたが、今日まで一切繋がらなかったのだ。


『こっちからも話したい事があるけど、先に供助君の話を聞こうじゃない。どったのよ?』

「どうしたもこうしたもねぇよ……猫又の護衛をするのはまだいいですよ。ただ!」

『ただ?』

「こいつの分の食費は出してくださいよ! このままじゃ俺の食費が無くなる!」

「うむ?」


 横で美味しそうに弁当を頬張る猫又を指差す。

 供助はバイトをして生活費を稼いでいるが、それはあくまで自分の分だけ。

 一人暮らしで困らない程度にバイトをしていたが、猫又が住む事になって食費が二倍に増えた。

 自分の生活費しか稼いでいない供助の稼ぎだと、当然食費は嵩むに嵩み、ここ五日間で財布が急速に薄くなっている。

 家計が火の車になるのは時間の問題。


『相変わらず、生護と香織君が残した貯金は使ってないの?』

「あれは……出来るだけ崩さないようにしてます」

『そっか。じゃあつまり、猫又ちゃんの食費が欲しい訳ね?』

「欲しい訳です」

『なるほどねぇ、なるほどなるほど』


 そもそも上司である横田が出した案であるのに、供助が自腹で払っている事がおかしいのである。

 猫又の世話をして、さらに食費まで掛かるなんて泣きっ面に蜂とはこの事。


『なら調度良かった。俺もちょっと話す事あったんだけど、これなら話がしやすいよ』

「なんです、その話って?」

『悪いけど携帯電話、スピーカ―モードにしてもらえる?』


 もしかして経費で猫又の食費が出るのかと、小さく期待する供助。

 とりあえず、言われた通り携帯電話をスピーカーモードにしてテーブルに置く。


「しましたよ、横田さん」

『ちなみに、今そこに猫又ちゃんは居る?』

「うん? 横田か、居るぞ」

『どう? 怪我の具合は』

「うむ、まだ完治とまではいかぬが、大分良くなっておる。こうしてご飯も一日三食しっかり食べれるからの」

『さすが妖怪、回復が早いねぇ』

「あと二、三日もあれば完治するんじゃないかの」

『そりゃ良かった』


 猫又は横田に答えながら、おかずの漬物をポリポリと食べる。


「んで、何が調度良くて何が話しやすいんですか?」

『うん。実はねぇ、供助君と猫又ちゃんを組ませようかと思ってさ』

「組ませる……って、俺とこいつがぁ!?」

『そそ。うちの協会でも珍しくないでしょ? 妖怪と組んでいる払い屋って』

「まぁ、そうですね」


 協会というのは、横田が所属している自衛、管理団体。

 正しくは“異路いろの協会”と呼ばれるもので、人智や常識を逸し、この世の均衡を崩す存在を許さない。

 協会には様々な部類があり、また多種多様な機関が混在する。横田が所属しているのはその中の一つである幽霊、妖怪に対して祓う能力が特化した者達が集まる『妖霊機関』。

 妖霊機関は主に人畜有害な妖怪や幽霊の類を祓う事を目的としている。

 しかし、有無を問わさず祓う事だけが目的ではなく、場合によっては共存するという形を取ることも珍しくない。

 中には人間に協力し、妖霊機関に属して払い屋として働く妖怪も少なからず存在している。

 ちなみに供助はあくまでバイトであり、協会には正式に所属していない。


『猫又ちゃんと組めば仕事の効率も上がって苦労も減るから、いい案だと思うんだよね』

「俺は一人の方が気が楽なんですがね」

『でもほら、組めばもう少し難しい仕事もが任せられてバイト料も上がるよ? そうすれば猫又ちゃんの食費も稼げるし』

「確かに……あ、調度良いって言ってたのって」

『そゆこと。俺としては君と猫又ちゃんを組ませたい。供助君は猫又ちゃんの食費が欲しい。互いにいい話じゃないのよ』

「あー、なるほど、読めた。都合の良いように言ってるけど、実際は人手が欲しいだろ。猫又が組んで自分で食費を稼いでもらえば経費削減になるしな」

『ぎくり』

「やっぱり」

『だってしょうがないじゃないの。人喰いの件で人員を多く割いたせいで人手不足なんだから。まさに猫の手も借りたい状況なのよ』


 職業が職業なだけに、協会の払い屋は頻繁に人手不足に陥っている。

 ただでさえ霊感を持つ者が珍しいのに、さらに霊や妖怪を払えるほど霊力が強い人間は限られてしまう。


「まぁ、このままじゃ食費が無くなって生死に関わるからな。面倒だとか文句は言ってらんねぇか」

『って事は?』

「組んでもいいですよ、俺は。ただ、猫又はどうか解んないですけど」


 供助が横目で猫又を見ると、すでに弁当を食べ終わって容器の底を舐めていた。行儀が悪いとも思うが、元々猫だと思えば仕方がないか。

 まだ一口しか食べていない供助の中華丼を欲しがられないよう、気付かれないよう静かに猫又から遠ざける。


「話は聞いておったぞ。私も払い屋の仕事に手を貸せと言うのだろう?」

『そーなのよ。どう? 働いてみる気なーい?』

「私は今の食うて寝るだけの生活も悪うないのだがのぅ」

『そう言わないでさぁ。いい汗かいて、ご飯をもっと美味しく頂こうよ? それとも、やっぱり同じ妖怪と敵対するのは嫌?』

「その様な事は無い。同類に対して共存共栄の意思を持つ妖怪は多くないからの。己の本能や欲のままに生きる者ばかりだ。払い屋稼業をしておる横田も知っておろう?」

『まーね。それでも人間みたく、物好きな奴も結構いるからねぇ。供助君と一緒に行動すれば多くの妖怪と会う。もしかしたら、どこかしらから共喰いの情報が出てくるかもよ? 期待出来るかどうかは運次第だけど』

「ふ、む……それでも何もしていないよりはマシか。それに、そろそろ供助の視線が痛うなってきたからの。猫の手で良ければ貸そう。私も探し者の情報が欲しいからの」


 舐め終えて綺麗になった容器をテーブルに戻し、猫又は真剣に話を進めていく。

 ……が、舐めた時に付いたのか左頬に生姜焼きのタレが。真面目な顔をしても締まらず間抜けな顔にしか見えない。


『ほんと? いやー良かった、一安心。これで急いで作った書類が無駄になんないで済んだよ』

「書類?」


 横田の言葉が気になり、供助は弁当に向けていた箸を止める。


『実はもう、供助君と猫又ちゃんが組む為に協会へ提出する書類を作っててねぇ。あとは俺がサインするだけ』

「……どんだけ組ませたかったんですか」

『そんだけ人手不足なのよ』

「でもいいんですか? 人喰いの囮って事で猫又をこの家に置いてるのに、簡単に外に出して」

『危険もあるだろうけど、こちらから姿を見せないと向こうも行動を起こさないかもしれないしねぇ。それに、家に篭りっぱなしの生活じゃ猫又ちゃん、ストレス溜まるでしょ。ほれ、猫だし』

「ま、猫又がいいって言うんなら別に問題は無ぇけどよ」

「共喰いの情報が皆無だからの、少しでも可能性があるならそれに縋る。それに食費も稼げるなら一石二鳥だの」


 ペキン、と。使った割り箸をさらに割り、猫又は言う。


『二人から了承も得たし、サインも書いた。これで書類上の手続きは終了するけど、やんなきゃいけない事が一つ』

「まだなんかあるんすか?」

『猫又ちゃんの実力査定しないとね。じゃなきゃどのレベルの依頼を任せられるか解らんでしょ』

「あぁ、そっか」

『って訳で、一週間後に依頼ついでに猫又ちゃんの実力査定するから。実質、二人が組んでの初仕事だぁね』

「……随分と手際が良過ぎやしませんか?」

『そりゃあ二人が組んでくれる前提で書類を用意してたしね』

「また横田さんの予定通りだったって事ですか」


 別に悪い気はしないが、どこか釈然としない部分がある。

 考えるのが苦手な供助は気にしない事にしたが。


『とりあえず、話したかった事はこれだけ。来週の依頼の日にちや時間の詳しい事はあとでメールするわ』

「わかりました」

『最近特に忙しくて嫌になるよぉ、本当。そんじゃね』


 電話の終わり際に溜め息をしてから、横田との通話は切れた。


「だとよ、猫又。来週にお前の実力をテストするとさ」

「それは構わん。私からすれば逆に実力査定をする側でもあるからの」

「あん? どういう意味だ?」

「お前と組む事になったが、私は供助の力の程を知らんからの。お手並み拝見と言ったところだの」

「あぁ、そういう事か。あんま期待すんな。払い屋見習いの実力なんて知れた程度だ」

「元からそう期待しとらん」

「あーそうかい、そりゃプレッシャー感じなくて助らぁ」

「ふん、プレッシャーなど感じるような性分でもなかろうが」


 猫又は先ほど折った割り箸を弁当の容器に投げ入れて、微苦笑する。

 対して供助はぶっきらな態度をとり、冷めた中華丼を口に運んだ。


「ところで供助」

「ん?」


 猫又はゆっくりと視線を供助へと向けて、目付きが鋭くさせ。

 こう言った。


「中華丼、一口くれんかの?」

「断る」

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