第五話 迷猫 ‐マヨイネコ‐


「クソ眠ぃ」


 キラキラと店の明かりや看板の光がイルミネーションのように煌めく駅前。時刻は夜の九時を回り、仕事帰りや酒屋に向かうサラリーマンで賑わっている。

 重い瞼をなんとか半分だけ開け、いつも通り気怠そうに歩く供助の姿がそこにあった。

 昨日は約束通り、太一と祥太郎が供助の家に泊まり込みで遊びに来た。昨日の昼からついさっきまで、殆んど寝ずに遊び通していた。

 一応睡眠は取ったが、ほんの一、二時間程度。太一に無理矢理起こされてゲームに付き合わされたりしたという。

 さすがに二十四時間以上ぶっ通し遊んで疲れて眠いと、十分位前にようやく解散した。祥太郎は隣町に住んでいるので駅前まで見送り、その後に太一と別れた。

 出来ればそのまま真っ直ぐ帰りたかった供助だったが、夕飯を食べていなかった事を思い出しさ途端、空腹感が襲ってきた。

 という事で、近くのスーパーに寄って夕飯を買い、今に至る。


「家帰ったら飯食ってさっさと寝よ」


 食べてすぐ寝たら牛になる、太りやすいと言うが、供助には関係無い。思ったままの自由気ままに生きる。それがモットー。

 時間が九時過ぎというのもあり、スーパーでは惣菜等が半額になっていた。一人暮らしをしている供助はよくこの半額にお世話になっている。

 自炊が出来ない訳ではないのだが、やはり材料を買って料理を作るというのが面倒なのが大きい。買ってレンジで温めるだけで食べれるというスーパーの惣菜や弁当は、やはりありがたい。

 今日なんかは運が良く、九時をそれなりに過ぎていたのに半額弁当が三つも残っていた。普段は半額になると共に売れて無くなるのだが。

 なので、ありがたく三つ全部を買い、供助の右手には膨らんだスーパーの袋が握られている。


「明日、雨っだっけか?」


 供助は眠気で半開きになった目を空へと向ける。

 空は厚い雲で覆われ、お月様もお星様も隠れていた。今に雨が降ってもおかしくない曇天。

 明日は家でダラダラしているか、と思いながら、供助は近道である公園へと入ろう――とした時だった。


「よっ、供助」


 後ろから、女性の声で名前を呼ばれた。

 供助が振り返るとそこに居たのは、二十代半ば位の女性。

 整った顔の輪郭に、高めの鼻。髪は茶色のセミロングにウェーブが掛かっている身長が百七十五センチの供助よりも少し小さく、女性としては背が高い。

 可愛いというよりも綺麗で、大人のお姉さんと言った所だろう。


「んー? あぁ、リョーコか」

「相変わらず怠そうに生きてるねぇ」


 だらりと。怠惰感を丸出しにし、特に驚きもしない反応。

 それを見て、リョーコと呼ばれた女性は呆れた笑いを浮かべ、小さく一息吐く。


「怠そうってか眠いんだよ。ほぼ徹夜でダチと遊んでたからな」

「ダメだぞー、育ち盛りなんだからちゃんと寝ないと。あっ、また半額弁当! こんなのばっかりだと身体壊すよ?」

「あーもう、うっせぇな。一人暮らしは色々と面倒臭ぇんだよ」

「ホンットに面倒臭がりだねぇ、あんたは」

「それだけが取り柄なもんで」

「そんなのが唯一の取り柄だなんて、神様も酷な事をするもんだね」

「うっせぇ」


 こんな感じで、気さくで姉御肌っぽい性格をしている。

 供助が知り合ったのは高校に通う為にこっちに戻ってきてから。もう一年以上は経っている。

 街や道で会う度に話すようになり、こうして親しく話すまでの仲になった。

 しかし、彼女には人とは違う事が一つあった。その違う事が、供助と仲良くなった切っ掛けでもあるのだが。


「今日はこんな所で何やってんだ?」

「散歩よ、さ・ん・ぽ。浮遊霊らしくね」


 そう、彼女はもう死んでいた。生きた人間ではなく、いわゆる幽霊としてこの世に存在している。

 普通の人には見える事も無く、触れられる事も無く、認識される事もなく。ずっと浮遊霊として存在してきた。

 だが、ある日。自分をはっきりと認識し、触れる事が出来る人間が現れた。それが供助だった。

 リョーコにとって幽霊になってから自分に気付いてくれた人は初めてで、人と話すのは久しぶりで。凄く嬉しかったのを今でも覚えている。


「ったく、いっつもフラフラ歩き回って……さっさと成仏しろよ」

「そんな事言われてもねぇ……気付いたら浮遊霊になってて、なんでこの世に残ってるのかも分からないし」

「なんか未練でもあんじゃねぇのか?」

「いやー、特にないなぁ。あ、結婚したかったってのはあるかも」

「あー、じゃあ一生成仏できねぇな」

「ちょっと、それどういう意味よ?」


 供助は払い屋のバイトをしていて、妖怪はもちろん幽霊も祓う対象となっている。

 バイトをやり始めて一年以上。供助も今までに何度も幽霊の類をはらった経験がある。

 幽霊と言っても様々。悪霊、怨霊、生霊、地縛霊、動物霊、守護霊、精霊、神霊、地霊……種類は多く、位も違うなら力も違う。

 だが、供助が祓うのはあくまで危害を生み、被害を加える妖怪や幽霊に対してのみ。

 彼女のように何もしないで人畜無害な幽霊は祓う対象からは外れている。さらに言うなら、バイト以外で祓うのは金にならないので極力受け付けていない。

 で、一番の理由が面倒臭い。


「それにね、私の方がお姉さんあんだから敬語使いなさいよ、敬語」

「浮遊霊になってからどんくらいだっけ?」

「んーと、もう三十年前にはなるかな?」

「お姉さんじゃなくてババアじゃねぇか」

「誰がババアだってぇ!? 実年齢よりもビジュアルが重要でしょ、ビジュアルが!」

「あいだだだだだだっ!」


 供助の頭に右手を回し、ヘッドロックをかけるリョーコ。

 リョーコの方が小さく身長差があっても、幽霊なので浮けば何の問題もない。

 霊感が強ければ霊を見て触る事が出来る反面、霊から触れられる事も可能となる。

 霊感が弱い人よりも霊感が強い人の方が霊障に合う事が多い。霊や妖怪を祓う力がある反面、このようなデメリットもあったりする。


「なんだかんだでこの生活も気に入っているからねぇ。今ではこうして話し相手もいるし」

「付き合わされる方の身にもなれっての。それに、もう死んでるのに“生活”たぁ面白い事言うじゃねぇか」

「じゃあまさに死活問題ってね」

「足が無い幽霊に座布団は必要ねぇだろ」

「失礼な。幽霊でも足はありますぅ! 座布団は使えないけど。いつの時代よ、足が無い幽霊なんて」


 ヘッドロックをかけられて痛む額を摩り、供助は横目でリョーコを見やる。

 人には見えない幽霊にリョーコと話をしている供助は、周りから見たらブツクサと独り言を言っている変人にしか見えないだろう。

 だが、今は周りに人気は無い。一応ではあるが、供助はリョーコと話す時は辺りに人がいないか確かめていた。

 いつも怠そうにして面倒臭がりやだが、それなりに気を配っている。供助としても、誰かに一人で話している所を見られて可哀想な人扱いされるのは避けたい。


「でもま、成仏したくなった時には供助に頼むし」

「俺ぁ面倒な事や金にならねぇボランティアは受け付けてねぇんだよ」

「じゃあ料金の代わりにお姉さんがキスしてあげよう!」

「いらねぇ。してきたら浮遊霊じゃなく悪霊とみなすからな」

「あたしの接吻はそんなに禍々しいか!? こんな美人のキスなんてプライスレスなんだぞ!」

「だから言っただろ、金にならねぇモンは受け付けてねぇんだよ」


 眠気が頂点に来たのか、供助は辟易へきえきとした態度をリョーコに取りながら大きな欠伸。

 少しでも眠気を紛らわそうと、がしがしと頭を掻く。


「ホント可愛げないわねぇ、供助って。さ、あたしは散歩の続きでもしよ。雲行きも怪しいし、早く帰った方がいいわよ」

「あんたが呼び止めたんだろうが。第一、雨が降りそうなのに散歩なんかすんなよ」

「雨の中の散歩ってのもオツなもんよ? あたしは幽霊だから濡れないけど」

「俺は生きた人間なんでね、雨に濡れて風邪引きたくないんで帰る」

「何言ってんの、風邪を引かない馬鹿の癖に」

「って事は、お前も馬鹿だったんだな。風邪引かねぇし」

「あたしは幽霊だからよ!」


 こんな風に言い合ってはいるが、供助にとっては横田以外で霊や妖怪の話を出来る唯一の相手でもある。

 リョーコの性格がこんなのもあって、今じゃ気心の知れた仲になった。


「んじゃな、夜の散歩も程々にしとけよ」

「あんたも惣菜や弁当は程々にね」

「うっせ。余計なお世話だ」


 供助は公園へと足を向けて、背中越しでリョーコに小さく手を振る。

 その後ろ姿を微笑みながら見送ってから、リョーコも夜の散歩を続けようと別の道を歩き出した。実際は浮いているので、歩いていると言っていいのか分からないが。

 てくてくと歩く公園内は、誰一人居ない。自分自身も数に数えていいのなら、供助が一人。

 供助は駅前まで買い物に行く時はこの公園はよく通っていて、中をぶった切ればかなり近道になる。

 リョーコと話をしていたので、今の時間は夜の十時になるかならないか。

 当然ながら子供なんて居る訳がない。居るとしたら、とても特別な家庭事情がある子供くらいだろう。

 昼間なら子供がよく遊んでいるし、子供連れの主婦の井戸端会議の場でもある。

 供助も昔、よくこの公園を駆け回って遊んでいた。今ではそれも、もう何年も前の記憶。

 その頃は同じ小学校の友達と遊んでいたが、両親が亡くなってからは母方の祖父母に引き取られた供助は、別の地域の学校に通っていた。

 小学校から中学校へとは殆んど同じ友達が残っているが、高校となると話は別だ。将来の事を考えて離れた学校に通う人も少なくない。

 中学校時代は地元である五日折いつかおり市を離れ、数年振りに戻ってきた供助だったが、自身が通う高校にはかつての友達は殆んど居なかった。

 片手で数えられる位は居たが、やはり数年という時間の隙間は大きいらしく。再び遊んだり話したりする仲にまではならなかった。

 まぁ、そんなものかと。長く会っていなければ仲も薄れるものなんだと、供助は特に何も感じずそう思っただけで終わった。

 細かい事は気にせず、別段一人になる事を何とも思わない供助には何も問題は無かった。

 ……のだが、小学の時に特に仲が良かった太一が同じクラスに居て、中学の時に仲が良かった翔太郎が別クラスだが同じ高校に進学したのもあって、孤独なぼっち生活をせずに済んでいる。


「あぁ?」


 頬に何か、小さなものが当たった感触。まさかと思いながら、供助は空を見上げる。

 頬の次は鼻、額と、ぽつぽつと落ちてくる水滴。

 言うまでもなく、雨が降ってきた。


「ちっ、リョーコと無駄話したせいで降ってきちまったじゃねぇか」


 供助は悪態をついて、舌打ちする。

 そんな事をしている間にも雨はどんどん強さを増して、地面の土は一気に色を変えていく。


「面倒臭ぇけど走って帰るか」


 家までの距離は遠くもないが近くもない。

 しかし、この雨の強さでは歩いて帰ればずぶ濡れになるのは確定している。

 まだ暑い日があるが、もう九月。季節の変わり目は体調を崩しやすい。

 馬鹿は風邪をひかないと言うが、それが本当なら供助も急いで帰ろうとはしない。

 だが、迷信は迷信。馬鹿でもやはり風邪をひく。

 中身が濡れないように弁当が入ったスーパーの袋の口を結ぶ。走って中身が多少ごちゃ混ぜになるかもしれないが、味が変わらなければ問題ない。

 見た目よりもちゃんと食えて腹が膨れればそれでいい。基本、供助はそういう考えである。

 公園の出口に差し掛かり、走る準備も出来て足に力を込めて全力疾走。


「ニャ、アァ……」


 ――――を、しようとした時だった。

 強い雨の音の中に紛れて、どこからか弱々しい鳴き声か聞こえてきた。

 確かめるまでもなく、鳴き声からして猫だろう。

 供助は鳴き声がした方向を向くも、猫の姿は見当たらない。茂みだけがある。

 子供や情のある大人ならば鳴き声を元に猫を探し出したりするんだろう……が。


「面倒臭ぇ事やボランティアは嫌いなんでね。運が良けりゃ誰かが拾ってくれるだろ」


 運が悪い場合は……言うまでもない。このまま雨に打たれて冷たくなるだけ。

 供助は鳴き声を聞いただけで猫を探しはせず、濡れた前髪を掻き上げる。

 猫に対する同情も、見捨てる罪悪感も。供助は何も感じず思わず。考えるのは自分自身の事だけ。早く帰ろう。

 まぁ鶴ならず。猫の恩返しでもしてくれるなら考えてもいいが、なんて。

 供助は自分が思った事のくだらなさを鼻で笑う……と。


 ――――チリン。


「ッ!?」


 鈴の音が、聞こえた。

 いつもよりも確かに、しっかりと。

 無意識に走っていた。走って、鈴の音を頼りに、供助は探した。鈴の音の元を。猫の鳴き声がした茂みを。

 雨露に濡れた葉木をかき分け、びしょ濡れになりながら見付けた。草むらの中で横たわる猫を。赤い首輪を付けた、黒い猫を。

 首輪の真ん中に付いた鈴が、チリンと鳴る。鳴っていた。


「……ニ、ィ」


 そして、黒猫は鳴いた。無い力を振り絞るように、力無い鳴き声で。

 雨に濡れて、目も閉じてぐったりとしていた。


「……猫、か? 猫、だよな」


 鈴の音の正体を見て、供助は肩に入っていた力が抜けていく。

 まさかと、もしかしてと。過剰に反応してしまった。幼い頃から、気付けば聞こえていた鈴の音。その正体なんじゃないかと。

 自分にしか聞こえない鈴の音。他の人には聞こえないそれ。その時点で、聞こえる鈴の音は普通のものではないのが解る。

 恐らく、供助の何かしらの波長に近い霊や妖怪のものではないかと横田は言っていた。

 だが、今目の前に居るのはただの黒猫。霊や妖怪の類では無いのなら、供助に聞こえている鈴の音とは無関係。

 それに、鈴が付いている首輪も見た感じでは特別な何か特別な物でもなさそうだ。


「こいつ、怪我してんのか」


 よく見ると、黒猫の腹部からは血が流れ出ていた。切ったかぶつけたかは知らないが、痛々しいのは見て分かる。

 どうしたもんかと、供助は頭を片手で掻き毟って溜め息一つ。

 猫を殺すと七代祟る。という言葉がある。

 バイトではあるが供助の職業柄、こういう動物霊が結構厄介なのも知っている。

 黒猫に怪我をさせたのは供助ではないが、命尽きる直前に近くにいた人が祟られるケースも珍しく無い。

 理由としては、その人に殺されたと猫が勘違いするというもの。勘違いで祟られたら堪ったもんじゃないが。

 まぁ供助は祟られても自分で祓えばいいだけの話。呪ってきた猫の霊なら、殴っても動物愛護団体に五月蝿く言われない。


「……ん?」


 体中びしょ濡れになって、もう走って帰るのは諦めて悩んでいると。

 ここで初めて気付いた。いや、感付いた、感じた。の方が正しいか。

 黒猫が酷く弱っているせいか、微かに流れ出ているものに気付くのが遅れた。

 供助は微かながら、弱々しくも確かに感じ取った。


「この猫……妖怪か?」


 衰弱している黒猫から、微かな妖気を。

 強い雨が降る秋の夜。公園の茂みに一人の人間、一匹の妖怪。

 粗雑で面倒臭がり屋の男と、傷付いた妖気を放つ黒猫。

 街は日常と変わらない時間が過ぎる中、ここだけが異なる時間が流れて。

 くしゃりと、供助は濡れた頭に右手をやる。


「……ったく」


 今宵、耳に聞こゆる音の波は。静寂を消し去る雨の音と――――。


「ボランティアは受け付けてねぇってのによ」


 聞こえる人、鳴らす妖。

 ――――チリン。

 そんな、鈴の音。

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