一章 人妖邂逅
第三話 日情 ‐ニチジョウ‐
キーンコーンカーンコーン。
聞き慣れた鐘の音。学校が終了の合図。夕方を迎える高校の一室。
ガタガタと机がずれる音と、椅子の足が床をする音が教室に鳴る。
「きりーつ、礼」
女生徒の声。委員長の号令でクラスの全員が教壇に立つ教師に頭を下げる。
それが終わると、教室の中は生徒の話し声で騒がしくそして賑やかになる。
今ので本日の授業は終了。あとは帰宅するなり部活に行くなり寄り道するなり。各自の好きな時間。
そんな中、浮いた男子生徒が一人。かったるそうに椅子の背もたれに寄り掛かり、瞼は半分閉じて半目。
隠す様子も見せず欠伸をしながら、焦茶色の髪をただ掻き揚げ、前髪が数本垂れた髪型の頭を、ぶっきらに掻く。
面倒臭そう。一言で言うならこれだろう。これしかない。
「またぐっすりと寝ていたなぁ、供助」
「あぁ?」
声を掛けられ、反応する姿もまた面倒臭そうな事。
この面倒臭そうな男の名前は
椅子の背もたれに片腕を掛け、供助は背中越しに振り返る。
「授業なんて面倒臭ぇ。誰がまともに受けるかってんだ」
「テスト大丈夫なのかよ」
「ずっと携帯ゲームしていた奴に心配されたくねぇよ」
供助に話し掛けてきたのはクラスメイトの一人。
髪は金色に染められ、耳にはピアスの穴が開けられている。
姿格好からして、とても真面目な生徒とは言えないだろう。
「お前だって万年ドベの一人だろうが、太一」
「供助もだろー」
供助と話すのは
供助が学校で仲の良く、数少ない友人の一人。小学校の時に仲が良かった友人で、高校で再会してまた絡むようになった。
太一は肩に学生鞄を掛けて帰る準備はもう万端という格好。
「早く帰ろうぜ。腹減った」
「なんでお前はいつも帰る準備早ぇんだよ」
「面倒臭がりのクセにダラダラしてるからだろ」
供助は机に掛けていた学生鞄を手に取り、何も入れずに立ち上がる。
自宅で勉強なんて一切やらない者には、教科書は机かロッカーに置きっぱなしが基本である。
中身が飲みかけのペットボトルと、昼飯に食べたパンとおにぎりのゴミをまとめたコンビニ袋だけの軽い鞄。それを手に持ったまま肩に乗せる。
「いやー、今日も終わったぁ」
「お前はずっとゲームしてただけじゃねぇか」
「供助だって寝てただけだろ」
教室から出て、廊下を元気に歩きながら背伸びする太一。対して供助は背中を丸めて気怠そうに歩く。
対称的にも見え、共通してるのは二人してワイシャツの裾がだらしなく出ているくらいか。あと男。
「後ろの席で助かるわ、ホント。でなきゃゲーム出来ないもんよ」
「しかも端っこ。羨ましいわ」
「供助はど真ん中だもんな。委員長が凄い目で睨んでたぜ」
「うっへぇ……」
何度も委員長に説教を食らった事がある供助。
今回の居眠りや遅刻、無断早退にサボりの常習犯であり、怒られる種には困らない。
捕まれば甲高い声で迫られ、喧しく騒ぐ。正直、勘弁して欲しいと思う。
「だから捕まらないように、委員長が担任に捕まって話しているのを見計らって声を掛けたたんだぜ」
「そりゃどうも」
「んっだよ、助けがいが無い奴だな」
「俺がどうこうよりも、お前はただ単に早く帰りたかっただけだろ、どうせ」
「
昇降口で靴を履き替え、外に出る。
空は晴れてていい天気。九月に入って夏も過ぎ去り始めたか、過ごし易い日が増えてきている。
秋にはまだ早いが夏も終わりそうな、そんな中旬。もう少しすれば校庭にある大きなイチョウの木が紅葉で赤く染まるだろう。
紅葉は綺麗で申し分は無い。ただ、地面に落ちた銀杏の臭いはいかんともしがたい。
「お、もう祥太郎いるじゃん。おーう、祥太郎ー」
校門に着くと、そこには顔見知りが立っていた。
黒い短髪に眼鏡。供助と太一みたくワイシャツの裾を出しておらず、身だしなみを整えた服装。
太一が名前を呼ぶと向こうも気付き、目が合う。彼の名は
「供助君、太一君。早いね、もう少し待つと思ったのに」
「鬼に捕まらないよう早く出てきたからな」
「鬼?」
「あー、気にすんな」
口五月蠅い委員長を鬼と比喩する供助。だが、意味が解らず祥太郎は首を傾げた。
お世辞でもガラが良いとは言えない供助と太一。その二人の中だと逆に浮いて見える祥太郎。
パッと見では相容れないように見えるが、この三人はよく一緒につるんで遊ぶ事が多く、このように三人で帰宅するのが日課でもある。
太一と祥太郎は一切面識は無かったが、高校で供助を通して仲良くなった。
供助は小学六年の冬の時に両親を失っている過去を持つ。その後、中学からは母方の祖父母の家に引き取られた。
それが理由で供助は地元であるここ、五日折市から祖父母の家に引っ越し、中学は地元から離れた学校に通った。
そこで祥太郎と友人になったという経緯がある。
今ではまた地元に帰ってき、この石燕高校に通っている。ちなみにご察しの通り、偏差値は高くない。
「明日から三連休だしよ、供助の家に泊まってモンコレやろうぜ、モンコレ! 協力プレイで狩りに行こうぜ!」
「別にいいけどよ、お前、自分が散らかした分は自分で片付けろよ。いつも掃除すんの面倒臭ぇんだよ」
「わーってるって。そうと決まったらコンビニ行こうぜ! 買い出しだ、買い出し!」
三人並んで話しながら歩く。
下校時間なだけにちらほらと他校の生徒も目に入る。
「供助君、今日はバイト無いの?」
「あぁ、連絡も来てないしな。今日は休みだろ」
「知り合いの手伝いだっけ? 大変だよね、深夜の時間帯が多いんでしょ?」
「まぁな。ま、給料もそれなりだし悪くはねぇよ」
祥太郎と会話をしながら、供助は携帯電話の画面を見る。
念の為にバイトの雇い主からの電話もメールも入っていない事を確認する。
この時間までに連絡が無いって事は、今日は無いだろう。と、小さく一息吐く。
「いや本当、溜まり場に困らないって助かるなー。供助様様ってな」
「そうだね。学生だとそんなにお金持ってる訳でもないし、お金も掛からず遊べる場所があるのは助かるよ」
「俺の家は自営業だから二十四時間親が居て口五月蠅いんだよなー。供助が羨ましいぜ」
「ッ! 太一君、ちょっと……!」
祥太郎は慌てて太一を肘で突く。
それで太一が今、自分で言った事の無神経さに気付いた。
「あっ! 悪い、供助、今のは……」
「ん? あぁ、いいって、気にすんな。俺も気にしてねぇし」
「いや、今のは無神経過ぎた。悪ぃ……」
この二人は供助の両親が共に他界している事を知っている。太一に至っては葬式にも参列した。
その時、供助の落ち込み泣きじゃくる姿を見ていた太一は、供助がどれだけ悲しんでいたのかを知っている。
だからこそ、今の失言は許せず、自分の無神経さに腹が立った。
「だから、気にすんなってのに……んじゃ、買い出しの俺の分はお前持ちな」
「それは地味にキツイんだけど!? せめて半分!」
「それでいいわ。もうけー」
「あれ? なんかマジで謝った俺が馬鹿を見てる気がするんだけど?」
供助はケラケラと笑い、本当に気にしていない様子で先を歩く。
太一に悪気が無かった事は十分解っているし、親が亡くなってもう五年も経っている。
気持ちの整理もついているし、受け入れてもいる。それに思い出して泣くような歳でもない。
「さぁて、何買おうか」
「飲み物どれくらい欲しいかな?」
「大ペット三本ありゃ足りるんじゃねぇか?」
コンビニに着き、店内に入る。
祥太郎がカゴを持ち、飲み物のコーナーへ向かう。
「あ、月曜祝日だから少年ハイジャンプ出てるじゃん」
「おい太一、立ち読みしてねぇでお前も選べ」
「あーはいはい。ゆっくり読みたいしハイジャンも買ってこ」
「買い出しの料金とは別払いな」
「細かいな! 俺の後に読むくせに!」
太一と会話している途中、供助はズボンのポケットの中で何かが振動しているのに気付く。
ポケットから取り出すと、振動の正体は携帯電話だった。
画面に表示されている着信相手の名前を見て、眉をピクリと微動する。
「悪い、電話だ。適当に選んでてくれ」
太一に言い、供助は急いでコンビニから出て電話に出る。
「もしもし」
『やー、供助君。学校が終わった頃だと思ってなぁ、メールじゃなく電話掛けさせてもらったよ』
「はぁ」
聞いてるこっちが脱力してしまいそうな緩い喋り方。緊張感の欠片も無い軽い口調。それで渋みを含んだ声。
この独特な喋り方をする人物は一人しか知らない。
『俺が連絡したって事はもう解ってるでしょーよ』
「まぁ、予想はついていますけど」
『相手が若くて可愛い子なら飯に誘う電話でもいいんだがなぁ』
「そういうのは別の電話口で探してくださいよ、横田さん」
電話相手の名前は横田。亡くなった両親の知り合いで、親父の親友だった人。
そして、供助にバイトを紹介してくれいている人でもある。
下の名前は知らないし、聞いた事も無い。別段困る事も無いので、供助は聞く必要もないと思い聞いていない。
頻繁に連絡は取るが、供助が最後に会ったのは両親の葬式。つまり、ここ五年程は直接会っていない。
『本題に入るけど、仕事が入った。急だけど今夜だ』
「今夜……? 随分とまた時間が無いですね」
『だから言ったでしょーよ、急だけどって』
急だ、と言っているにも関わらず、口調はゆっくり緩いままで、急ぎだという感じが一切しない。
しかし、いつもなら遅くても仕事の二日前には連絡を入れてくれる。それを考えると、急だというのは本当なんだろう。
『ちょーっとばかし手違いがあってねぇ。本来行くはずだった奴がね、他の仕事も重なって入ってたってたのよ。ダブルブッキングってやつだねぇ。アイドルじゃあるまいに、あはははははは』
「急に入ったって事は、ブッキングに気付いたってのはさっきって事だろ。笑い事じゃない気がしますけどね」
『ははは、は……うん、そうだね。ごめん』
どことなく白々しく笑っていた横田さんの笑い声は止まり、謝られた。
下手すれば片方の仕事に誰も行かなかったかも知れなかったのだ。危なかったという自覚は横田にもちゃんとあったらしい。
『まー供助君が思ってる通りだよ。代わりに君が行ってきてくれ』
「今夜、ですよね……?」
外からコンビニの中を覗き、お菓子が陳列している棚の前に居る太一と祥太郎を見る。
『あれ、なんか用事でもあった?』
「……いえ、大丈夫です。行けます」
『そーお? 悪いねぇ。報酬は弾んどくからさ』
「それで、場所は?」
『あとでメールで地図を送っとく。そう遠い所じゃないから』
「わかりました」
『まーぁ、いつも通り難しい内容じゃないしさ。それに書類に目を通した感じ……』
話している途中で声が止まり、何かを啜る音が小さく聞こえてくる。
おそらく電話口の向こうでコーヒーでも飲んでいるんだろう。
一呼吸置いて、間が空いて。それから。
『大した妖怪じゃないわ、これ』
横田はのんびりとした雰囲気で、そう言った。
「って事は、結構楽な仕事ですか」
『そーだねぇ。目標の妖怪も下の中くらいじゃないかなぁ。供助君なら楽勝でしょ』
「実際に会ってみないと解んないですけどね。書類不備って事も考えられますから」
『なんだい、デスクワークは俺の仕事よ? 供助君はそれを信じられないってのかい?』
「ダブルブッキングして、その尻拭いを任されちゃあそうですね、半信半疑ですね」
『ありゃー、耳が痛いねこりゃ。そういう皮肉な言い回しは
「一応褒め言葉として受け取っときます」
今、横田が口にした女性の名前。それは供助は母であった者の名前だった。
生前は横田の元で働いており、供助の母である香織はその部下であった。
「それに、相手が強かろうが弱かろうが……俺はただぶん殴るだけです」
『はーぁ、単純単調な所は
「……両親の事は尊敬してたんで、似てると言われたら嬉しいですけどね。変な所とは言え」
『他界してから息子にこう言われたら、君を息子にして良かったと思ってるんじゃない? あの世で』
「どうですかね」
『頭が悪い事には嘆き悲しんでるだろーけどね』
「……」
それに関しては何も言い返せないと、供助は口を閉ざすしかなかった。
『霊力、霊視、感知。基本能力は高いのに、それを活かせる知恵がないってのは……ねぇ?』
「しょうがないじゃないですか。札とか水晶とか、道具を使うのは性に合わなかったんですから」
『あそこまで使いこなせないのはある意味、才能かもしれんねぇ。まぁ、自分がやりやすいスタイルでやるのが一番だけどさ』
「喧嘩も払い屋もシンプルでいいんですよ。シンプルがいいんです。下手に考えてドツボにハマるよか、マシでしょうし」
『供助君はいいねぇ。単純明快で解りやすい』
横田の悠長な口調ではあるが、決して馬鹿にしているのではなく。
納得、関心と言うべきか。加えてどこか、羨ましがるような感情も混ざっていた。
『そういう所が気に入ってるし、好きだけどねぇ。俺は』
「俺も横田さんのそういう
『やめてよ。可愛い子に言われたら嬉しいけど、男に言われても気持ち悪いし鳥肌しか出てこないって』
「俺もです」
『じゃ、お互い今のは何も言わなかった事にしようか』
「それがいいですね」
本心か冗談か解らない会話を交わし、お互いが軽い笑い声を漏らす。
『さーて、俺も仕事を再開せんとなぁ。仕事の用件と妖怪の情報、それと場所の地図はあとでメールするから』
「はい。仕事が完了したら連絡します」
『はいよー。じゃよろしくー』
プッ、という短い電子音が鳴って切れる通話。
携帯電話の画面は通話中から待ち受け画面に切り替わった。
「電話終わったか、供助ー。お前の分は適当に買っといたぞー」
電話が終わるのとほぼ同時に、太一と祥太郎がコンビニから出てきた。
二人とも大きなビニール袋を持ち、祥太郎のは大サイズのペットボトルが数本入っていて重そうにしている。
「おう、丁度終わったとこだ」
供助は太一に返しながら、携帯電話をズボンのポケットに入れる。
「なら早くお前の家に行こうぜ」
「それなんだが、悪い。急用が入った」
「はぁ? なんだよそれ、こんなに買っちまったのどうすんだよ?」
「どうせ明日から三連休なんだ、別に今日じゃなくて明日でもいいだろ」
「そうだけどよー」
太一は肩をがっくりと落とし、見て分かる程にテンションが下がった。それだけ残念だったんだろう。
「もしかして、さっきの電話って……」
祥太郎が気付き、僅かに顎を上げる。
「あぁ。バイト、入っちまった」
供助は肩を小さく竦ませて苦笑いし、祥太郎に答える。
実際、三人で遊ぼうと予定していたのに、このように突発的にバイトが入る事は珍しくない。今まで何回もあった。
「そっか、なら仕方ないね」
「悪ぃな」
供助は祥太郎に謝り、そして、ふと。後ろを振り返る。
なんて事のない、普通の道路。コンクリートで舗装され、電柱が立ち、民家が並ぶ。
車が走り、人が歩きすれ違う。日常の風景。
「供助君、どうかした?」
何かあったのかと、供助に聞きながら祥太郎も同じ方を見る。
しかし、そこには別段珍しいものも、おかしなものも見当たらない。
「ん? あぁ、今……」
道路、家、車、人、空、木。視界に入る全てを見て、でも全てが違うと。
ただ、この景色のどこかを見ながら、供助は。
「――いや、なんでもねぇ」
何かを言いかけて、口を閉じた。はぐらかすように小さく笑い、でも少し寂しそうに。
やはり、違うと。違うんだと。供助は心の中で呟く。
趣味が合い、話が合い、ウマが合っても。違う所はある。違いはある。
でも、自分の場合は特殊で、特異で。小さい頃から慣れてはいた。人とは違う事には。
仲が良い友達と居て、その違いを目の当たりにすると……思う。
きっと、いくら仲が良くても、理解出来るモノではないだろうと。
「明日な」
もう一度、供助はさっき見た方へと目を向ける。
さぁぁぁぁぁ――――弱く凪ぐ風が髪を揺らし、通り過ぎた。
供助の耳には。供助だけには。いつもの、あの。人には聞こえない音が聞こえていた。
遠いようで近いようで、居るようで居ないようで。
「明日また、集まろうぜ」
――――チリン。
そんな鈴の音がどこからともなく聞こえ、聞いていた。
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