第二話 父母 ‐リョウシン‐

 森。深く、暗く、広い。大きな森。

 めらめらと火が揺れて、闇に包まれる森の一部を赤く照らす。

 車は横転し、逆さまになって。ガソリンの臭いを漂わせて燃え盛る。

 炎は森の木に燃え移り、熱で周りの空気も熱い。

 そして、ガソリンの臭いに混る――――血の臭い。


 行きなさい。


 母さんは言った。僕の頬を撫でながら、優しく微笑んで。

 でもその笑みは弱々しくて、酷い不安と、激しい恐怖に心が煽られる。


 往きなさい。


 父さんは言った。対峙するモノへ立ち塞ぎながら。

 僕に大きな背を向けて、いつもの変わらない、日常の声で。


 僕は茫然と眺め、見つめていた。日常が終わっていく様を。

 母さんに抱き着いて。いや、母さんが僕を強く抱き締めて。

 ごうごうと燃え煙巻く車を背に立つ、それ。

 炎の作る影で顔は見えない。けど、笑い剥き出しにされる犬歯が印象的で。

 追いつかない感情と、上手く働かない思考の中で、これだけは気付き思った。


 こいつは、これは――――人じゃない、と。


 地に着きそうな位に長く白い髪を揺らせて、真っ白い犬歯を覗かせ

 袖の無い着物を着たソレは、声を殺して笑う。笑った。笑ってた。

 楽しそうに? 違う。これは違う。こいつは違う。

 嬉しそう……そう、嬉しそう。心底嬉しそう。

 クリスマスに、恋い焦がれた待ち人が現れたように。

 昂ぶる気持ちを隠せず。先走る感情を抑え切れず。


 生きなさい。


 母さんは言った。僕の頭を撫でて、ごめんねと呟いて。

 高い高い崖の上。そこから僕達は車ごと落っこちて。

 父さんも母さんも、僕を庇って怪我をしているのに。

 氷が解けるように感情が流れ出す。怖さ、悲しさ、悔しさ、苛立ち、怒り。

 直感した。終わると。終わったんだと。

 今までの日常も、これから続くと思っていた生活も、ずっと一緒だと信じていた家族も。

 壊れ、消され、無くなり、終わる。


 それが嫌で、嫌で嫌でしょうがなくて。離れたくなくて。失いたくなくて。

 固まって、怯えて、竦んで、何も出来なくて。そんな僕を、母さんは押し飛ばした。

 母さんは悲しそうに。父さんは背中越しに。二人は僕を見つめながら大きく言った。


 ――――いきなさい!


 それを合図に、僕は走り出した。父さんと母さんに背を向けて。僕だけが走った。

 母さんは足を怪我してまともに動ける状態じゃないのに。

 父さんは片腕が千切れてとても戦える身体じゃないのに。

 泣いた。泣きじゃくった。泣きべそをかきながら必死に走った。

 自分の情けなさに。自分の不甲斐無さに。なにより自分の力の無さに。


 誰か助けてよ。


 思った。暗闇広がり、不気味にざわつく森の中を走りながら。

 漫画なら颯爽と格好良いヒーローが助けに来てくれるのに。

 漫画なら、あんな奴なんか簡単に倒してくれるのに


 でも、これは現実だ。


 誰も助けてくれない。誰も助けてもらえない。

 漫画のように都合良くなんてない。知ってた。

 格好良いヒーローなんて存在しない。知ってた。

 日常は簡単にも壊され無くなる。知らなかった。

 泣いても叫んでも喚いても。助けられもしなければ助かりもしない。

 結局、自分が助かるには自分が助けるしかないんだ。


 真っ暗闇しか無い森の中。空には皮肉な程に綺麗な月が浮かんでいた。

 先の尖った綺麗な三日月。星の海に浮かぶ三日月。

 まるで、僕を見て、嘲笑うような口の形をしている、お月様。


 この夜、僕の家族は居なくなった。

 一人の……いや、一匹の妖怪によって襲われ失った。

 父さんと母さん。二人がその妖怪に喰われるという形で。


 そして、この日この時も。

 いつものあの音が聞こえていた。






 ――――チリン、と。




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