彼女の顔に映るもの
雨脚が止まった。いい加減廃墟にとどまっているのもばからしいから残党を仕留めてから離れようとソフミシアが廃墟を離れた時だった。それから何分かあたりを一周してきたようだったけれども、生きている連中はすでにその場を離れていたらしかった。残っているのは血まみれになって倒れている黒服ばかりだった。
廃墟を後にした三人は宿に入った。ソフミシアとライラとの二人で泊まっていたような見慣れた部屋ではなくて、ベッドとくつろぐ場所とが別々に分かれた一室だった。
ソフミシアとエッカとを改めて眺めていると本当の親友だったのだとつくづく感じられた。はじめはどこかきまり悪い様子で椅子に腰かけていたのだけれども、ひとたびソフミシアが口を開けば、あの後どうだったのだ、とたちまち言葉が言葉を呼んだ。
ソフミシアもエッカもとても楽しげな様子だった。ソフミシアはこれほどまでに明るい笑顔を浮かべられるのかと思えてしまうほどの表情だった。底なしという言葉がしっくりくるほどの有様、もはや周りに何が潜んでいるかなんて全く気にしていない様子だった。
ソフミシアとエッカの話を傍で耳をそばだてていると、想像を絶する、想像が及ばない世界がわんさかと溢れてきた。ソフミシアが苦しい時代を歩んできたように、エッカもまた苦痛を伴う道だったようである。苦痛と称してよいのかも分からない、話を聞くだけではただただ戸惑ってしまうばかりだった。ソフミシアのように体を売っていたわけではなかったらしいが、長く家なしでその日を生きるために何かをする毎日だったらしい。たいていが魔法を奇術とうたって見世物にしていたとのことだったけれど——実際にソフミシアのナイフを宙に舞わせた——、あまり長くはもたなかったらしい。それからはいわば何でも屋のように頼まれごとをして糧を得るような日々だったと口にしていた。何でも屋としての仕事の中に『人の始末』というのがあって、それをきっかけに何でもこなすはずの仕事がその道の仕事に切り替わっていったのだった。
話題が身の上から仕事で出会った人たちの話となると、幾分かソフミシアの顔から笑顔が消えた。あからさまな変化はライラの気持ちまでもを沈めてしまう。楽しげに言葉を紡ぎだすエッカと、黙って耳を傾けるソフミシアの対比。ソフミシアは攻撃されている、じわりじわりと、自分の手によって。エッカの何げない言葉であっても、エッカをその状況に追いやったのがソフミシア自身で、そうしなければもっとよい生き方ができたのではないか。ソフミシアはじっとエッカの言葉を噛みしめているのである。
それでもソフミシアが笑みを取り戻すのは決まって同じ局面だった。エッカの口から、けがはしていない、そう聞くとソフミシアは微笑みをたたえるのである。やった仕事についてけがの話がでていなければソフミシアのほうから尋ねていた。けががなければよいのだけれども、ちょっとでも怪我があったような口ぶりをするとたちまち豹変して、根掘り葉掘り問いただす始末だった。
気が付いたらライラは鉛筆を手にしていた。卓上にはスケッチブックを用意して、紙上には小さい姿から大きな姿までいくつも置かれていた。目だけや口だけといった部品だけのスケッチもあれば、会話をしている二人の姿を切り取ったものもあった。どれもこれも心の底から楽しんでいる様子だった。手を止めて眺めてみるだけでも心が休まる。
ライラは思わず紙を戻して以前に描いた素描に目を通した。時々に書き留めたソフミシアの姿は、やはりうつろな目をしていた。疲れた顔をして明後日の方向を向いている。どこを向いているのかはライラの描き方次第だけれども、この表情ではこの向きしかありえないぐらいしっくりきた。
描きたい、もっと描きたい。ライラは新しいページを出して目の前の光景を切り取りにかかった。ページの隅に鉛筆をこすりつけて先端を整えて、そうしてからソフミシアに取り掛かろうとした。
とがった黒鉛を紙にあてるまではできた。あとは走らせるだけだけれども、しかし、微動だにしなかった。筆先が紙につかまれて動かせなくなっているわけではない、腕が動かせられないのであった。動かそうと思えば頭がそれを阻止する。本当にそれを描きたいのか。もっと描くべきものはないのか。
物足りない。
「あの、ミアさん、話を追って申し訳ないのですが」
「私のほうこそ身内話で盛り上がってしまい申し訳ない。どうしたのだ」
「私とミアさんとの間でしていた『依頼』の話なのですが」
「それについては問題ない。責任をもって送り届けよう」
「その依頼、なかったことにしたいのです」
ソフミシアは視線をテーブルに落として黙ってしまった。腕組みをして、険しい目つき。ライラをライラの住む島まで送り届けるという依頼を解消されてソフミシアは機嫌を悪くしてしまったのか。一抹の不安がじわじわとせまりくる中、彼女が口を開いた。
「たしかに今の状況ではライラに危害が及ぶとは思えない。私とエッカに対して力を割くだろうから、私たちと一緒にいるのはかえってよくない。もっともな判断だ」
「そうじゃ、ないのです。そのような考えで依頼をなしにしてほしいといったわけではないのです」
「ではどうして、依頼をなしにするなんて言う」
「今は街に帰るのはよしておこうと思います。ミアさんたちはリアス島に行くのですよね? 私もそれについていきたいのです」
「いや、ライラ、何を言っているのか分かっているのか。私たちはあえて危険な橋を渡ろうとするつもりなのだぞ。そこについてくるだなんて」
「私はエリエヌを描きたいのです。エリエヌとミアさんとエッカさんを描きたいのです」
ソフミシアの顔が変わったのはライラでも分かった。ソフミシアにとってエリエヌがどういう存在なのはおおむね理解している。よっぽどの覚悟がなければ口にできないのは今までの話しぶりでも分かることだし、あそこには彼女にとって悪い思い出しかないのは火を見るよりも明らかだ。でも、エリエヌでなければだめなのだ。エリエヌでなければ、ソフミシアのすべてを表現しきれない、ライラはそう感じていたのだった。
「私の申し出がミアさんにとっては苦痛にしかならないのは分かっています。なので、絶対にそうしてほしいというわけではありません。ですが、少なくとも、行けるところまでミアさんたちと行動を共にしたいのです」
「エリエヌと私を描いで何をするのだ」
「絵の中に残したいのです。この国にエリエヌという場所があること、ソフミシアとエッカという人間がそこにいたこと」
「なかなか難しい要求だな。私もエッカにもあの町には思い出したくないものが山ほど残っている。それと一緒のものとして残されるのは心が穏やかではない」
「難しいのは分かっています。ただ、私はミアさんやエッカさんのいた場所を見てみたい、ただこれだけなのです」
「それで絵にしたい、というのがライラの望みというわけか」
「それだけじゃありません。私が絵という形にして、そうしてからなにかミアさんの中で変わるものがあるのではないかと思うのです。どうも、私にはミアさんがエリエヌという過去にとらわれているように思えてならないので」
とらわれている、と口にしながらもライラはひどく驚いた。自分自身ではそのようなことを考えているとは思わなかった。ただ異常な状況にあたふたして、その中でもソフミシアが自分自身を消してしまわないよう気を回すばかりだった。とにかく、根本的な原因を考える余裕などどこにもなかった。
しかし体はどこかで考えていたらしい、だからこその言葉である。口から出た言葉を耳が受け取った途端、体中に言葉が染み渡った。ソフミシアは過去にとらわれている。ソフミシアがエリエヌを破壊したように、エリエヌもまたソフミシアを破壊しようとしている。それがあっという間の出来事であるか、長い時間をかけてじわりじわりと蝕むかの違いしかない。
「私が過去にとらわれている、ねえ」
「ライラちゃんは面白いことを言うね。ミアちゃん、考えたことあった?」
「エリエヌが私の人生をいかに台無しにしたかを考えたことはあったが、私がエリエヌにとらわれているとは考えたことはなかったな。なら、ライラが言ったとおりにしたところで、私は束縛から解放されるのか」
「それは分かりません。確証があって言っているわけではなく、もう一度エリエヌの地を踏んでみたら何か前とは違う気持ちになるかもしれない、ということです。少なくとも、やってみる価値はあると思います」
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