武器さばき
雨の騒がしさに広場が支配されてからややあって、エッカがにかっと笑った。さわやかさ漂う笑顔は、雨の陰鬱さに負けず劣らず輝いていた。すがすがしささえ感じられた。
「ああ、さすがミアちゃん、その通り。当然はっきり言われているわけではないけれども、そのつもりなのは相手の様子から楽に分かるよ」
「そうか、自分の身に降りかかることも顧みず、私に復讐をしたいということだな」
「そんなことじゃないよ。ミアちゃんは勘違いしている。そりゃあはじめのうちはミアちゃんが悪魔のように思えていたけれど、次第にこう思うようになったの。ミアちゃんは私よりも苦しい地獄を生きてきたのに、父も母も救いの手を差し伸べなかった。町の人の誰もが助けなかった。だからあのようなことが起きちゃったって」
「私のことが憎たらしくてたまらないからこの仕事を受けたのだと思っていたが、とんだ思い違いのようだったな」
「そのためだったらわざわざ仕事として請け負わないよ」
要領を得ない会話はライラを一人取り残してどんどん進んでいった。会話でわかることはソフミシアがエッカに対して勘違いしていたこととぐらいだった。ソフミシアの問いかけはライラに託した言葉で、エッカもどうやら理解したらしいのだけれども、結局は分からない。先の見えない言葉で意思疎通ができているソフミシアとエッカは奇妙だったけれども、ライラには不思議に合点がいった。ライラ以上に友情が篤いはずなのだから当然である。
ソフミシアがナイフの構えを解いた。けれどもライラの待つ傘のもとに戻っては来なかった。むしろソフミシアはエッカに近づいていった。その間合いはソフミシアの攻撃範囲内、エッカに触れられるだけの距離に思われた。
「ビ・テ・オプ」
「ミアちゃん、今なんて」
「ビ・テ・オプ。ビ・ヴェッサム・テ・エウオ・シュ・クム」
「そんなことして意味があるの? 何も変わらないよ」
「一網打尽、根源を断つ」
にこやかな表情をしていたエッカが一転、険しい顔つきとなった。ただ意味不明な言葉を並べられて困っている、というわけではない。明らかのそれを理解したうえで戸惑いを隠せないでいるのだ。謎の言語、エッカはその言葉に何を感じたのだろうか。
雨音だけの時間がややあって、そうしてからエッカがこくりとうなずいた。エッカもまた言葉を口にした。エペテ、耳に慣れない音の並びが持つ意味をライラは知らなかった。
直後、ソフミシアが再びナイフを構えようとする。穏やかな雰囲気が一変した。走る緊張感。けれども、ソフミシアが身構えるよりも早くエッカが動いた。ソフミシアに飛びついたのだ。
沈黙は再び訪れる。ソフミシアは動かない。エッカもまた動かない。再び雨が激しく二人に襲い掛かった。ライラを目指しても傘に阻まれる雨はより大きく騒ぎ立てた。エッカをソフミシアが受け止めるような格好で固まってしまっているのである。
ややあってエッカが構えを直した。ソフミシアの背後に片手を回して、それから何かを耳元でささやいたらしい口の動きがあった。が、その時に気味の悪い違和感に襲われた。どうしてじっと彼女はライラのほうをじっと見てきているのであろうか。一瞥ほどなら気に留めるまでもないけれども、エッカの視線はチラ見の域を超えていた。ただ見ていたのではない、特定の意思を持つまなざしを向けていた。
背後の腕がぬるぬると滑って、エッカがソフミシアから離れた。一歩、二歩離れて、再び何かを口走った。エッカの目はしつこくもライラを見やった。ついにエッカめがけて何か口にしたようだったが、雨にかき消されてしまった。一体何をライラに伝えようとしたのか、不可解な視線は何なのか、言葉を投げかけようとしても踵を返して林へと駆けてしまった。
時宜を合わせるようにして、ソフミシアが崩れ落ちた。かろうじて片膝を立てて、地面に突っ伏してしまう事態は避けたものの、ソフミシアの普段の力強さはみじんも感じられなかった。おかしい、何から何までおかしい。
ライラがずっと感じていた違和感はさらに別の形で訪れた。ずっとしゃがみこんだままのソフミシアに傘を差したとき、地面が煉瓦とは思えない色合いに変わっていたのだった。その上、色は足元で流され薄められていった。雨水にゆらり漂う赤色。頭が正体を知るなり鼻に鉄の匂いを感じるような気がしてきた。
ライラはソフミシアの正面に回ってソフミシアがしているようにしゃがみこんだ。そこで目にしたのは腹を抑えるソフミシアの手だった。指と指との間から赤い色が滲み出していた。決定的な状況にライラは言葉を絶した。ついに力尽きたかのようにライラに体を預けるのだから、ライラの肝が余計に縮み上がった。
「一体、どうして——エッカさんは殺すつもりはないのではなかったのですか」
「殺すつもりはない。ただ、刺す必要があった。それだけだ。気にする必要はない」
「でも血だらけですよ、刺されたのですよ」
「問題ない。それよりも、ライラも私を介抱するようなそぶりを見せるのだ」
今にも死にそうな小さな声でライラに伝えるなり、ソフミシアは目を閉じた。けれども、ゆっくりとナイフをつかみに行く左腕の動き、そして、さりげなく腹から離れて地面をとらえようと伸びる腕の動きは死の名残でもなんでもなかった。単に目をつぶっただけ——
ふりだけ。見かけだけ。
ソフミシアに感じていた違和感が一つの直線となってライラの体を貫いた。ソフミシアは演じていたのだ。ソフミシアを殺そうとするライラと対峙して実際に刺されるまでを演じていたということだ。驚くべきなのはソフミシアだけが演じていたわけではないということである。エッカに至っては対峙して一分もたたないうちに演技へと移ったのである。初めから演技だとわかっているわけではなさそうだった、つまり、会ってからのわずかな会話でソフミシアのやりたいことが分かった、というのである。
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