呼び出し

 ソフミシアはライラが見たことのないほど興奮しているらしかった。ライラの気持ちが落ち着くなりすぐに武器を腰に巻いて、外の闇を覗き込んだ。この時になってようやくライラは時計を確かめて、今が夜であることを認めたのだった。 

 ライラに身支度を要求したソフミシアは、ライラを待たずして部屋を後にしてしまった。最後の着替えをカバンからあわてて引っ張り出しているものの、何を急いでいるのかよく分からなかった。ソフミシアの言う『大きなもの』というのが関係しているのは何となく見当がつくのだけれども、それが何なのか的を得ないし、そもそもエッカとの件がすっかり忘れ去られている感も否めなかった。エッカに襲われるかもしれないにもかかわらず、大きなものを相手にしに行くのだろうか。 

 ソフミシアとはエントランスで落ち合って、それからはソフミシアが行くに任せた。ライラはいろいろと確かめたいことがあったけれども、ソフミシアの雰囲気がとてもではないが許してくれそうになかった。どこか、出会った当初のとげとげしい雰囲気を思わせた。 

 ライラが服を買った店、食事をとった店を通り過ぎてもなお、ソフミシアの足は止まらなかった。通りをひたすら道なりに進んでゆく。時間が時間だけに誰ともすれ違うこともなかった。ただ目の前には暗い世界があって、ときおり鈍い明かりが一点、おぼろげに現れるだけだった。 

 ソフミシアの足が止まったのは通りの突き当たり、建物らしい建物がなく、あたりを木に囲まれた一角だった。真ん中には堀に囲まれた巨大な女が手を天に差し出していた。どうやら噴水らしいけれども、この大雨の渦中にあっても噴水もへったくれもない、どこからどうやって水が噴き出して、美しい曲線を描くのかを想像することはできなかった。 

 ソフミシアはくるりと突然振り返った。かと思えば別のほうに顔を向けて、何をしているのか考えを巡らせているうちにまた別のほうへと振り返った。それでも足りなかったのか、噴水の向こう側まで歩いて行って、同じようにあたりににらみを利かせた。 

 再びライラの前に戻ってきて、またもやあたりを見て回っているとき、ぴたりとせわしない動きが止まって、ライラもまたソフミシアの向いているほうへと顔を向けた。視線の先にあるのは通りの一番端にある建物とその隣から広がる林だった。樹々は手前だけではなく、奥に向かっても生えていて、ソフミシアがどの樹に注目しているのか、それとも建物のあたりを気にしているのか、細かいところまでは判別できなかった。 

 ふいにソフミシアが傘を捨てた。畳むこともしないで傘を地面に投げつける行為にライラは呆気にとられた。一体何を考えているのだ。けれども大粒の滴にしたたか打たれる様子はライラを正気に戻して、ソフミシアの下で傘差し係となるのであった。ソフミシアが空にさらされた時間はごくわずかだったけれども、肩はすっかり黒ずんでしまった。 

 傘を投げ捨てた手で指さすのは林の中のどこかであった。ただ凝視するだけの時よりはだいぶ場所が絞られたけれども、それでもなお指先にあるのは対象の木であって、ソフミシアの見ているものは何なのか、依然として分からないままだった。 

 ソフミシアの指に反応したのか、一瞬だけ雨脚が激しくなった。まるで雨をため込んだ袋が破れてしまったかのような雨はカーテンではなく壁を形作り、一切の視界を奪っていしまった。さすがに傘の下にあるものは目にできたけれども、それより外は何もとらえられなかった。指の先にあった林はもちろん、噴水らしきものも、建物の、どれもかも。加えて空からの滝が地面をしたたか打つ轟音が耳をふさいでしまっている。地響きにも似た音はこのひどい有様への毒づきさえも消し去ってしまった。ただ一つ、ソフミシアの大音声だけは聞こえた。 

 出てこい、エッカ。 

 勢いが落ち着くと、壁の中から林が浮き出てきた。葉は叩き付けるしずくに耐え忍びつつ幹を守り、幹は二人に対して無機質な視線を向けていた。幹と幹との間から、その奥にある幹が覗き見ていた。けれどもその一角、建物にほど近いところに、奥の木々を遮る人物がいた。ソフミシアの指さすまさにその先、すらっとした長身が佇んでいた。 

 九頭身は傘もささず、幹から離れててくてく歩いてきた。肩もぶれずにまっすぐ歩いてくる、地面にひかれた直線の上を踏みながら歩く、舞台の上で歩くのにふさわしいふるまいだった。なにより雨に濡れた服が密着して体のラインが著しく強調されていた。ソフミシアとは比にならないほど立体感のある体つきは女であるライラもまたうっとり見とれてしまうほどだったが、手にしているものは戸惑わせるほどだった。 

 おそらくライラの動きを止めるために使われたナイフ。ソフミシアが使っているのと比べれば半分ほどしかないようだけれども、それでも家庭によくある類の包丁に比べれば格段に大きかった。 

 エッカはソフミシアの前に立ち止まった。ソフミシアをまっすぐ見つめる目はきりりと見据える感じで、ソフミシアの鋭く突き刺さるような目とは全く異なる印象だった。狩人として何かを仕留めるよりも弁者として弁をふるっているほうが似合っているような印象だった。 

 初めて見るエッカの姿に見入る視線を逸らしてソフミシアに戻してみれば、エッカを指さししていた手にいつしか巨大な短剣が握りしめられていて、切っ先がエッカに狙いを定めていた。 

「面と向かって会うのは十年ぶりくらいだな、エッカ」 

「その前に仕事で会っているので、せいぜい五年ぐらいだよ、ミアちゃん」 

「その呼び方はやめてくれ、お前はこれから殺そうっていう人のことをちゃん付けで呼ぶのか」 

「ミアちゃんだけは特別。私によくしてくれたから」 

「全く皮肉じみた言葉だな」 

 ソフミシアは傘の庇護から一歩踏み出して、大雨の中に構えた。傘の下からではソフミシアの表情をうかがうことはできなかったものの、背中だけで十分だった。そう、十分。違和感を覚えるにはソフミシアの背中を感じ取るだけで事足りた。発狂してしまうのではないかというほどの殺気と緊張感がないのである。 

「私には一つ気にしていることがある」 

「ミアちゃんが心配事なんて珍しいね」 

「それほど問題となることではない、私が生きている限り、エッカは生きていられるのか」 

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