ミア

 けれどもライラにはわかる。エッカはソフミシアを支える。ライラにナイフをあてはしたけれども、口から放たれるしっとりと柔らかい声はソフミシアの身を案じていた。とてもじゃないがソフミシアを恨んでいるような、嫌悪しているようなそぶりは感じられなかった。 

「私はエッカさんが支えてくれたと思いますよ。ずいぶんと慕っていたようですし、すごく、その、とにかく助けてくれると思います」 

「まるで知っているかのような話しぶりだな」 

「いや、そういうわけではありませんよ。その、なんとなく、というか」 

「まあよい。私には想像もつかない世界の話だ」 

 エッカと話したことを訴えたかったけれども、すんでのところで抑え込んでやり過ごした。ソフミシアの言っていることが、つまり、エッカがソフミシアを殺そうとしている、このことが全てを物語っているようには思えなくなっていたのだった。ソフミシアにエッカの言葉を伝えてみれば引っ掛かっているものがなくなってたちまち膨らんでゆくような気がしてならなかった。でも、そのようなことができそうにないのも分かっていた。ソフミシアは全く素直でない。 

 ソフミシアがシラスをすくいあげているところ、ふと手の動きが止まった。口に運ばないで、ただただくぼみの上にある十数匹を見つめるばかりだった。一匹の腰曲りがテーブルにぽとりこぼれ落ちた。 

「エッカはこういったものが好物だったな」 

「シラスですか」 

「ああ、自分でそう言っていた。実際に食べているところを見たことはないが、あいつが勝手に話してきた。私に好きなものを尋ねてきて、特に意識したことがないと返すなりシラスが好きだと言い出した。だからなんだって話だが、ふと思い出したもので」 

「ミアさんは案外覚えているのですね」 

「案外記憶力は高いぞ。それに注意深い。あなたが今日になって急に私をミアと呼ぶようになっているのもだ。いつその呼び方を知ったのかね」

 いきなりモリで体を突かれたような気分だった。親近感というか、ソフミシアに親しみを感じてほしいと思ってエッカの使っていた呼び名を使ってみて、なにも言わないから気にも留めていないと思っていたものだから、このタイミングで指摘されるとは思いもしなかった。 

「ずっとソフミシアと呼び続けてきたのに、ここにきて急にミアと呼ばれている。私が自発的にミアという名前を使ったこともないし、使うよう求めたこともない。ミアはどこからやってきたのだ」 

「だってその、ソフミシア、じゃない? 言いやすいように短くするとなると、『ミア』ぐらいしかありませんよ。その、親近感を持ってもらいたいな、と思いまして」 

「ほう、そうか。ミアと呼ぶことで親近感がわくというのなら、ソフミシアと呼んできた今まではそうではなかったということなのかね」 

「そうじゃありません。ただ、分かりやすい形で親しみを表そうとしたかったのです」 

「短くする、というのならソフィーやソフィアというのがまず浮かびそうだが」 

「えっと、その、その呼び名のほうがいいのですか」 

「いや、ミアがいい」 

 意地悪を言って申し訳ないな、と言葉をしてしらすを口に運んだ。しらすがもたらす沈黙はさほど長くなくて、あっという間にソフミシアののどがうねった。 

「ミアはソフミシアの略称だ。私の生まれた場所、つまりこの国に来る前にいた場所ではそれが普通らしい。ソフミシアという名前なら呼び名はミア。母も私をミアと呼んでいたし、不思議に思った私に同じことを説明してくれた。ソフミシアは現地語で幸せという意味なのだよ。どうして何度もミアと連呼するのか不思議だったが、これで合点がいったのをよく覚えている」 

「そうだったのですか。ミアさんの名前にそのような意味があるとは」 

 ソフミシアの由来がなんだか皮肉のように感じてならなかった。ソフミシアの母親は彼女の幸せを願ってそのように名づけたのであろう。しかしソフミシアの生き様は苦難しかない。どこをとっても、幸せというに値する事柄は見当たらない。 

 ソフミシアは慎重な手つきで匙をテーブルに置いた。卓上に揺れる匙に視線を落として息を一つつくと、あたりを見渡してから、もう一度息を整えた。 

 私の友人だった人と会ったのだな。 

 ソフミシアの視線がライラに突き刺さって身動きが取れなくなった。ソフミシアの目はライラの隠していることをすでに見透かしている。素人が本物になにか隠し事をしたとしても全くの無駄というものである。 

 ついにあきらめたライラはおそるおそるうなずいた。ソフミシアからなにを言われるのか、責められるのか、追いつめられるのか、気が気ではなくなってしまった。 

「彼女はどのような調子だった」 

「ミアさんの身をとても案じていました」 

「話しかけてきたのか」 

「いいや、背後から刃物を突き付けられました。ただし、刃物の背中を、ですが」 

「なるほど、で、話をしたのはどれぐらいの時間だ」 

「はっきりとはしないですが、三分はかかっていないはずです」 

「そうか。それにしては悠長にやりすぎたな」 

 すっと席を立ったソフミシアがライラのすぐそばで身をかがめた。脈絡のない振る舞いにライラはなにか良くないものを感じ取った。脳裏をよぎるのは店内で殺し屋が今か今かと時宜を待っている様子や、店中の人間がライラたちに監視の目を向けている様子だとかだった。けれどもソフミシアの口ぶりからはそのようなことは感じなかった。宿に戻る、話の続きはそれからだ。ライラはこれだけ言うと、ライラを放って会計に向かうのだった。 

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