風物詩を浴びる

 豪雨の音で目が覚めた。夜中にやんでいた雨が寝ている間に息を吹き返したようで、まるで夜のような色の空からは大粒の雨粒がなだれ落ちてきた。昨日の水カーテンに劣らず視界を奪う容赦ない雨は窓の外に広がる街を消し去った。宿の主人が話すには、どうやらこの雨は風物詩らしい。一年のごく限られた期間だけ大雨が続き、その間はあらゆる移動手段を奪われた孤島になる。そうして幾日も続く雨が止むころには移動手段も復活し、季節は夏、海遊びに観光に山登りにと、島あげての稼ぎ時になるのだという。 

 そのような話を聞いて大概の予想はついてはいたけれども、外に出て足の向かう先は船着き場だった。船が止まっているだろう場所には船の姿はなく、待合室にもだれもいなくて閑散としていた。切符売り場はベージュ色のカーテンで閉ざされていて、営業終了の看板さえも見当たらなかった。 

 ソフミシアは荷物を床に置くと、隅っこにあるチラシ置き場にてくてくと歩いて行った。ラックの前で手を伸ばしたかと思えば、あっという間にチラシを小脇にたずさえた。中央に五列並ぶ長椅子の先頭に腰かけるなり、隣の席に小脇のそれを広げて、一枚を手に取った。ライラに何か声をかけてくれても良かろうものだけれども、そうはせずにただ読みふけるだけだった。 

 ライラもソフミシアがしたように片隅のパンフレットコーナーで置かれているものを一通り手にした。どれも外の豪雨には似つかない鮮やかな色、特に緑系統の色合いに彩られた案内はほとんどが宿の案内で、砂浜、山中腹の店、島全体の観光地図がそれぞれ一種類あるのみだった。 

 ライラがまず目を通したのは観光地図だった。まずは待合所を探して、そこを起点に地図の上で歩いてゆく。地図の上で近場の宿三軒を訪ねてみてから視線を逸らした。目の先にあるのは二人の荷物。この大雨の中、荷物を持ちながら移動するのはなかなか苦である。 

 ただ、今日の宿をとってそれっきり部屋にこもるというのもなんだかもったいなかった。昨日の一件があったものだから、ソフミシアにそれっぽいこと、つまりは普通の友人同士が一日をどう過ごすのか、体験させたかった。 

 ソフミシアの隣に腰を下ろしてライラが提案すると、ややあってから、こくりとうなずいた。だめだと即答されると思い込んでいた——そして何度か粘ってみるつもりだった——ため、ソフミシアの拍子抜けな反応に思わず尋ね返してしまったほどだった。 

 観光地図の上を歩いて最も近場にある宿で部屋を繕ったライラの一番の心配は、雨で客が来ないと見込んで島中の店が戸口を閉ざしているかもしれないという点だった。この大雨で金を落とす観光客がいなければ、店を開いているだけ金を通りの激流に投げ捨てているだけだ。もし現実になってしまえば部屋にこもるしかない。ライラにとってはそれはそれで歓迎なのだけれども、『普通』を前にしたソフミシアの表情や動きを見たい気持ちのほうが強かった。 

 一番近い宿に部屋をとって、それから服飾店で飛び切りかわいい服を選んであげようとライラは考えていた。けれども、ソフミシアにとっては初めての経験となるであろう一歩を季節の雨はさえぎるのであった。傘で滝を割ることはできても、横からの突風にはなすすべもない。一瞬の出来事だったけれども、そのままの格好で海に飛び込んだのとさほど変わらないほどにびしょ濡れとなってしまった。 

 部屋をとった二人はまず着替えをするところから始めなければならなかった。それのみならず、二人と同じように水をかぶった荷物を改めなければならなかった。ライラの旅行かばんは革でさほど被害はなかったものの、ソフミシア鞄は帆布だったがためにすっかり濡れそぼって黒っぽくなっていた。 

 ソフミシアの荷物の中に濡れて困るものはなかったようだけれど、二組の服は洗濯した後のようになっていて、残る一組も半分ぐらいが濡れてしまっていて、着るに耐えられない状態だった。 

 ひとまず部屋に備え付けのガウンを身にしたソフミシアだったが、あくまでも一時しのぎにすぎない。殺し屋がガウンを着ているというのはなんとなく様になる気がするのだが、それで外を出歩くわけにもいかない。外が大雨である以上、陽の光を借りて乾かすわけにもいかない。できることはただ一つ。 

 ソフミシアに話を切り出したときは一瞬この世の終わりのような顔をしたのだけれども、この状況で動きにくいのは刺客も同じだと主張してみれば、窓の外を見つめてしばらくして、これならどうしようもなかろう、とライラの提案を受け入れてくれた。

 観光地図にはさすがに服飾店の名前は書いていなくて、代わりに宿の主に最寄りの服飾店を訪ねた。道の途中で水鉄砲に襲われるのを心配したが、幸いにも風はなくて、傘で空からの雨玉をしのぐのと足元の水たまりに気を付けていればよかった。 

 髪の毛ひとつない屈強ないでたち——男とするよりも漢とするのがしっくりくる宿の店主に教えられた店はレースやフリルで飾られた服を扱っているような店だった。壁一面にかけられている服はどれもまばゆい色を放っていて、目に痛いほどの鮮やかさの中に落ち着き払った色合いも交ざっていた。 

 ここにソフミシアがいればどれだけよかったろうか、と思いながら目が品定めにいそしむ。きっとソフミシアであればこれだけかわいい服が並んでいるのを前に面食らってしまうであろう。殺伐とした世界にはかわいい服を着るという楽しみがない。その楽しみがわかってもらえるようになれば、ソフミシアの見たことのない表情を見られるに違いない。 

 ライラが最初に手を取ったのがライラ自身でも手にしないほどかわいらしい服だった。普段着というよりも勝負時に着るようなドレスに近い仕立てで、店に並んでいるどの服よりも強烈な印象を与えるものだった。 

 思わず気持ちが高ぶって手にしてみて、うっとり見とれてしまったけれども、実際のところ買いはしない商品であるのは確かだった。かわいいとは思っても自分には似合わないとライラは思っていたし、なにしろ服の楽しみを知らないソフミシアに強い個性を持つ服を与えたところで抵抗しか感じない。 

 服をレールに戻して、ソフミシアのための服を選びにかかった。ソフミシアが抵抗なく切られるぐらいの落ち着きがあって、それでいてちょっとしたかわいい要素がある服。着替えにスカートは一着もなかったのだから着慣れてはいないはずで、となると選ぶべきはボトムとトップスの組み合わせが適切か。上着にはちょっと華やかさがあるものを持ってきて、下に着るシャツやブラウスの類を落ち着いた感じにすればきっとソフミシアには似合う上に、抵抗感も少ないはずだ。ライラの頭の中ソフミシアが目まぐるしく着替えていて、それを思い浮かべるだけで心が満ちてゆくのだった。 

 ソフミシアの聞かざる姿を思い描く中、ふと一着の服と目が合った。淡い青色の上着、しかしこの店にはややしっくりこない雰囲気がこの服にはあった。かわいらしさを演出しようとする飾りが一切ついていなくて、ついているものといえばジッパーとポケットがいくつも、それからウサギのイラストがついたボタン、といった具合である。その上革製となればさらに浮いている。見るからにこの店に置いておくべきではない商品だった。けれども、これはこれでありだ。かわいらしいというよりも、格好よい。脳内ソフミシアに着させてみれば、なんとなくしっくりくる気がした。 

 ソフミシアもこれなら着てくれるであろう、そう思って手を伸ばした。部屋でソフミシアの濡れた服に乗っていたサイズと比べると一回り大きいけれども、さほど問題にはならないだろう。これを軸にして服を選ぶとなると——  

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