覗き見るもの

 ライラにとっては、その日の夜が途方もなく長いものに感じられた。長い告白は何日間にも渡っていたかのような感覚で、ソフミシアの口が閉じた時には時間の感覚が全くなくなってしまっていた。いざ寝ようと思っていても、長い長い戦いの時間はライラの心を高揚させて、落ち着かせてはくれなかった。ベッドで横になっても眠気のねの字も浮かばなかった。意識が向かうのは眠気ではなくて、ソフミシアだった。 

 ライラの隣にソフミシアが寝息を立てている。目と鼻の先にソフミシアの顔があって、息が服の繊維をすり抜けて肌にかかった。どう見たって普通の女の子である。普通であることにあこがれていて、普通となることを恐れているとは思えない。けれども、ソフミシアが語った事実はそれを裏付けたし、本人がそう口にした。 

 ライラと同じベッドで寝る、これを言い出したのは意外にもソフミシアからだった。とはいえ、いきなり同じベッドで寝るのを切り出したわけではなくて、ソフミシアが切り出したのは、この状況で普通ならどのようなことをするのか、という要領の得ない問いかけだった。すぐに休みたい人もいるだろうし、のんびりと時間を過ごす人もいるだろうし、より親睦を深めたい人もいるだろう。答えもまたあいまいなものとならざるを得なかった。 

 やや口を閉ざしてから、ソフミシアは一歩踏み込んだ。 

「なら、寝るときはどうするのだろう」 

「いろいろありますよね。静かに寝たい人もいれば、横になりながらおしゃべりしたり遊んだりしたい人だっています」 

「女同士が同じ寝床を共にすることはあるだろうか」 

「まあ、あることじゃないですかね。わたしも昔はよくしましたし」 

「そこに性的なものは求められるのか」 

「そのようなことはあるわけないじゃないですか。まあそりゃあ、ありえないわけではないとは思いますが、私はそのような気を起こしたことはありませんし、起こさないと思います」 

「ならば、その、同じベッドで横になってもよいか」 

「え? ええ、構いませんが」

 そうして横になったソフミシアは、ライラの話しかける隙もなく、スイッチが切れたかのように寝入ってしまったのだった。これほどまでぐっすり眠っているソフミシアを見たことのなかったライラは少し怖くなって、声をかけてみたのだけれども、それでも目を開けたり、寝返りを打ったりさえしなかった。長年にわたって体にため込んできた疲れがこの瞬間にどっと出たのかもしれなかった。 

 ソフミシアが気持ちよさそうに寝ているのに気持ちが和らぐのを感じたけれども、しかし一方であらゆるものから無防備になっている自分たちについては、わずかばかりのきまりの悪さを感じていた。今度は別の意味で心が落ち着かなくなってくる。もしかしたら忍び足でこの部屋に殺し屋が近づいてきているかもしれない。だとしたら非常にまずい状況にある。だれが命を守るのだろうか。 

 ソフミシアから目を話して窓を見やった。外は月明りで満たされているらしく、夜とは思えないほどほかの建物の屋根がくっきりと見て取れた。窓際に立てばきれいな満月を拝めることであろう。外の監視と空の観賞、二つの目的を得たライラがベッドを降りようとしない理由がなかった。 

 だが、窓際に消えゆく影を見て、ライラの脚が震えた。ほんの一瞬の出来事だったけれども、間違いなく何かが動いたのだ。何か、というあいまいな言葉で言い表すべきではない、なにせ強烈に明るい月明りの中で、女の顔がくっきりと浮かび上がっていたからだった。

 幽霊のような幻影ではなかった。けれども恐ろしいのは間違いなかった。青白く光る顔は中を覗き込んでいた。ライラが外に目を向けるや否やすぐに引っ込んだ。それっきり窓枠の中にその姿がひょっこり現れない。 

 窓から目を離せなくなった。胸の中が徐々に激しさを増してゆく。息を殺してみても聞こえてくるのはソフミシアのそれだけであって、外にいるだれかのそれが跳ね上がることはなかった。ますます恐怖が湧き上がってくるとともに、怖いもの見たさというべきか、正体を見極めて『分からない』恐怖から脱したいと欲する気持ちも募ってきた。 

 殺されるかもしれない、とは異なる恐怖。解決する方法はただ一つ、正体を確かめることだった。ベッドから足を下ろして窓に忍び寄ろうとするも、取り除きようのない恐怖が身を包みこんで、たちまち足が凍りついた。分からないをなくしたいのに、なくそうとするとどうしようもない怯えが奥底からせりあがってくる。一歩進んだだけでもすぐに逃げ帰って毛布にくるまって隠れたい気持ちにかられて、無理してもう一歩進めば、綱渡りの真ん中で前にも後ろにも進められないような有様となってしまった。 

 行くも退くもできなくなってますますライラは追い詰められた。正体が分からない怖さと自分の体が刃物に貫かれる怖さとが互いにそれぞれを強めあって際限がない。全力でずっと走り続けていたように心臓は激しく胸を打ち、汗が止まらなって、頭でどうにかしようと思っても体は全く言うことを聞いてくれなかった。 

 鼓動が運動でも体験したことのないほどの激しさになって、このまま心臓発作で死んでしまうのではなかろうかと考えだした。恐怖で板挟みになっている中ではひどくみっともない考えだったけれども、ある意味では頭が無意識に恐怖から気をそらそうとした結果なのかもしれなかった。事実、胸をたたく調子が少しばかり落ち着いたのを感じた。 

 気持ちばかりの冷静さを取り戻したのもつかの間、肩を叩かれれば、肝が縮み上がってすっかりつぶれてしまった。大口を開けてソフミシアに訴えようとしたけれども、出てくるのはかすれすらしない息ばかりだった。 

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