エリエヌの禍
火柱
私が移住民であるのは以前に教えた。次に問題となるのはどこへ移住したかという点になるが、ここから先はあなたには教えていない。私がどこに移住した、厳密には母に連れてこられたかというと、エリエヌという街だ。
エリエヌを知らない? エリエヌは辺境の地だ。この国の最北東にある小さな町だ。あるいは、巨大な施設とすべきか。エリエヌはこの国どころか世界でも指折りの場所だったらしい。少なくとも私の母はそう口にしていた。
何が指折りなのか? 研究水準。エリエヌは魔術研究において高度な水準を誇っていた。私の母は言語学者で、特に古代魔術に用いられていた言語を専門としていた。古代文献からその言葉を見つけ出すこと、その言葉に込められた力、言葉に隠された当時の人々の心を探るのに母は命を燃やしていた。エリエヌには母と同じように言葉の力を探る人もたくさんいたけれども、もっと新しい時代の言葉に潜る人たちで、母が潜っている時代が最も古かった。
この時代に魔術を研究してなんになるというのが正直な感覚だと思うだろうけれども、この町ではそのような考えは通用しなかった。魔術は全てを可能にするとか便利にするとかいう考えが支配していて、違和感を覚えているのはほとんどいなかった。だからそこら中に魔術があふれていて、火をつけるにしても、友達同士で遊ぶにしても、常に魔術が付きまとった。
エリエヌの一般民はただ便利なものとでしか魔術をとらえていなかったが、本質は全く異なるところにあった。魔術は全てを可能にする——これは町の中枢が口にする言葉であったが、指し示すところは支配と消去だった。研究されていた魔術の目標は暗殺と諜報にあった。ただ言葉によってのみ作用するとされている魔術、何をしたって証拠は残らないものと考えられていた。これはこの国に害をなす存在をひそかに消すには格好の道具ではないか。
エリエヌがただならぬ町であることはだれの目から見ても明らかだと思う。あの町はこの国のあらゆる影を寄せ集めたような場所だった。研究者はいつの間には人を殺す道具としての魔術を発掘していったのである。
ただならぬ町を最も象徴するのが子供だ。この町は身寄りのない子供から、金持ちの子供までが山ほど集まっていた。身寄りのない子供はたとえ死んでも誰も悲しまない、金持ちの子供は一族の名誉を築き上げるため、少なくとも人のために国のために何かをしようとしてやってくる者はいなかった。
しかしだれもかもを受け入れるような甘い場所ではない。エリエヌに残ることができるのはせいぜい一人で、多くても二人程度だ。たとえどれだけ金があったとしても、資質がないと判断されればエリエヌから追い出される、非常に厳しい場所だった。厳しいのはそれだけではない、残ることの許されたごくわずかな人であっても専門的な教育が受けられるとは限らない。たとえ資質があったとしても、実力が伸びなければ失格となる。魔術で記憶を消して放り出して、それでも秘密が漏れそうになれば消されてしまう。失格者の末路はそういったものだ。私も一度、エリエヌのことを『うっかり』漏らした貴族の一家を全員殺したことがある。
素質があって、それでいて実力を伴う人は『塾』という場所で学ぶことになる。たとえ学校に通っている子供であっても、ひたすら自分の技に磨きをかけた大人であっても、将来有望な者は全員塾送りだった。私も塾へ進むこととなった一人だ。
エリエヌがどういう町であるのかざっくり分かったところで、私が塾へ進むこととなったいきさつを話すとしよう。
私は移民だ。母に連れられてやってきたのが物心ついて間もないとき。これは以前に話したことだ。だからそれから先のこと、学校に入ってからのこと。ついさっき話したえいれ布教育事情でなんとなく分かると思うけれども、学校の中では自分以外の存在は自らの路を邪魔する敵でしかない。外から入り込んできた人間に対してどういった振る舞いがされるのかは明らかだ。
私もそのような扱いを受けた。子供は精神的に追い込むのが上手い。なにかやるたびに私を否定する。取るに足りない小試験で失点があればそれを非難する、たとえ私との得点差が一点であっても、まるで零点を取ったかのようにはやし立てた。私の手から小さな答案を奪い取って、教室中を駆け回りながら点数を言いふらす。ガキどもは揃いにそろってにやにやしながら、あるいは何か友達の輪の中でしゃべりながら、私に軽蔑な目を向けてくる。
運動のときは露骨さを増した。ボールを使って運動をするときはやたらと手が滑った。走る場面ではやたらとでっぱりに引っかかってひざをすりむいた。体育の時間が終わるころには大抵どこかしらをすりむいて血をにじませていた。出血していないときは体のどこかがジンジンと痛んだ。その上で連中は言葉を投げつけてくる。やれノロマだの、やれ無様だの、やれ気色悪いだの、とガキの貧弱な語彙を精いっぱいに使った罵りを私にたたきつけてくる。
私がどんな馬事雑言にも耐えられるような人間でないことはよく分かっていると思う。昔からその点は変わっていなくて、新入りに対する洗礼は私を不愉快にさせた。イライラが募って、抵抗しようとしたって、私は一人、相手は二十数人、真っ向から対峙して何とかなるものではなかった。いらだちが募っていても耐えるしかなかった。泣きたい気持ちが抑えられなくなったら、母を心配させたくなかったから町のはずれの廃墟で泣いた。
魔術は学校教育の中にも組み込まれていた。週に二度、時には三度魔術の授業があって、魔術を生み出す言葉、はじめは簡単なものを浮かべたりずらしたりする言葉、それと倫理、要はむやみに人を狙ってはいけませんといったたぐいのことを教わる。そうして月に一度だけ実際に魔法を実践する機会が与えられる。
私が初めて実践の場に立った時だった。ほかのガキどもは何度か訓練を受けているのか、今の私にしてみれば取るに足りない、だが当時としては見入ってしまうような魔術を使っていた。ボールを持ち上げたり転がしたりする魔術だった。もちろん手足は使わない。
ガキどもの中にはそれよりも高度な術を身に着けた輩がいた。はじめはボールを空高くに飛ばしたり蹴とばしたかのように飛ばしたりするぐらいだったけれども、私と一瞬目があってからは、標的となってしまった。連中の体は私に向いて、手でひょいと投げられた球は刹那空を漂い、何ものかに殴られて私めがけて飛んでくる。
私はよける。
私にボールを投げるガキが三人になった。
私は転がるようにして三発をやり過ごす。
両手にボールを持った輩が私の前に一列になっていた。その数倍以上。
一斉に飛びかかってきた弾幕によける隙間は全くなかった。腹に一発、右肩に一発、とどめは頭への一発だ。口から腹の中が出てしまいそうな気持ち悪さを押さえる余裕もなく肩はまるで関節を外されたかのような痛みが走る。間髪を容れずに頭を殴る一撃で視界に星が飛んだ。頭の中に仕込まれたスイッチという名のスイッチがすべて切られてしまって、体がいうことを聞かなくなる。
崩れ落ちた時には頭を地面に打ち付けて、再び星が飛び散った。遠くで男の子が喜んでいるのが聞こえる。調子づいた声はだれが私を仕留めたのかを言い争い始めた。ぼんやりとにじんだ視界に動く何かがあるのは分かったけれども、何をしているのかは目で確かめられなかった。とはいえ、なにすんだよ、とか、お前の魔術なんかクソみたいだ、という言葉が飛び交っているところ、ガキならではの顕示欲がぶつかり合っているらしかった。
私はその時力なく倒れているだけではなかった。心の中では悔しくてたまらなくて、つらくてたまらなくて、泣きたくてたまらなかった。でも弱いところを見せたら余計にひどいことになりそうだから泣けなかった。
ふと、前の晩のことが脳裏をよぎった。いつもはずっと遅く帰ってくる母が早く帰ってきて、一緒にご飯を食べた。味気ないポトフだった。でもその味気なさを忘れさせてくれるのが母の楽しそうな語りだった。そして母の嬉しそうな笑顔だった。辛い辛いこのエリエヌの町で唯一、母こそが私の居場所だった。
母が嬉しそうにしていたのは、一つの発見をしたからだという。今まで炎という言葉だと思っていたものが炎そのものを指すわけではなかった、と言うのである。今まで炎と思われていた言葉は三つの言葉に分かれる。最初におかれるのが語幹、これは必ず概念を表す名詞である。二つ目が語幹の意味を広げる言葉——母はこれを修飾詞と言っていた——で、名詞としての意味を肉付けしたり品詞を変えたりする。ただし修飾詞だけで語幹の意味を膨らませることはできず、具体的な表現を三つ目でする。これが表現詞。
母はこの発見で、文献に出てこない言葉をたくさん予測できるようになった、と嬉しそうに話していた。この町に来てずっと苦しいこと続きだった私にとっては、とても幸せに満ちた、思い出に残しておきたい時間だった。
それを思い出した私は、幸せな気分を心の慰めにするわけではなく、むしろ連中に復讐する手段と考えた。魔術は言葉だ。言葉の法則は魔術にも通用する。たかがボールをぶつけるだけでキャッキャしている連中よりもはるかに強力な力を使える知識を手にしていた。
母からはいろんな言葉を聞いたが、頭にすぐ浮かんだのは炎だった。思い出に登場してきた言葉だし、言葉の構造が成り立つ確実な言葉であるのも分かっている。なにより、連中を炎の中に陥れればさぞ苦しむであろう。もがき苦しむ姿を想像するとやる気がみなぎってきた。
私は静かに息を吸い込んだ。一瞬にして体に力がみなぎってきて、有り余る力で男どもをにらみつけた。ほとんどは私のことに気づいてはいないけれども、一組の男どもだけは私のほうを見て固まっていた。
私は唱える。言葉を成す三つの部品をそれぞれかみしめるようにして。
炎。
修飾詞。
表現詞。
これは私の母しか研究していない分野で、つまりはこの言葉の意味を理解できるのは私と母だけだった。直後に巻き起こった事柄を理解できるのはその場に誰もいなかったのである。数秒前まで私にボールをぶつけて楽しんでいた連中の皆が皆火だるまになっている姿を、連中を包む火柱が空高くまでそびえる姿を、先生やほかの同級生たちは呆然と眺めるしかなかったのだ。
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