ゆれる船体

 食事はソフミシアの感情を中心に回っていた。ソフミシアが落ち着いていれば落ち着いた雰囲気で、楽しげにすれば楽しい食事となり、憤激を露わにすれば食事が殺伐とする。ライラは時折ソフミシアに言葉を投げかけて話すが進むのを促していたけれども、いつしか、ソフミシアに隅から隅まで質問攻めに追い込まれていた。 

 ソフミシアにとっては学校生活というものに並々ならぬ関心を抱いているらしかった。ライラが学校でどういった人物であったのか、というだれしもが尋ねそうな話題から始まり、かと思えば学校は何年間通うものなのかというだれでも知っていて当たり前な常識にまで踏み込んできた。二十歳にもなる女が学校制度を知らないのだ。 

 ソフミシアは特にライラの交友に関して話を求めた。友人たちとはどのような話をしたのか、だとか、何か遊びをしていたのか、だとか。関心が楽しいことや面白いことだけではなくて、何か辛いことがなかったか、とか、ひどい人間はいなかったか、と思い出しても気持ちの良くない事柄まで聞きたがった。初等学校のころの悪い話はあまり覚えていない、と返せば不満そうな声を漏らした。思い出してみろ、と急かすソフミシアは新鮮だった。 

 さあ、楽しい食事を済ませた。これから町を歩き回って買い物を楽しむのが旅行としてよかろう。食堂から脚を踏みだした途端に次の予定を頭に思い描く。今日の見通しだけではない、今日という一日の節々で新しいソフミシアを見られると期待もしていた。けれども、手首の時計に目を落とせば、長針が無謀な挑戦であることを指し示していた。 

 時間がない。今すぐバス停へ向かわなければ港ゆきのバスに間に合わない。ちょっとした買い物はもちろんのこと、店の中をちょっと覗いてみたり、客引きの宣伝に耳を傾けたりする余裕さえない。 

 ライラの目の前を覆っていたお楽しみの数々がごく短い針によってパンパンと割られてゆくばかりだったが、ソフミシアの前には風船の一つもなかった。ライラの後に続いて外に出てきた彼女は、呆然と立ち尽くす姿を横目にバス停のある左側へと足早だった。数歩進んでから振り返ったソフミシアが口にしたのは——何をしている、早くしなければ間に合わないぞ。 

 ソフミシアは常に止めを刺してくる。分かってはいても、はっきりと口に出されてしまうと息が漏れてしまう。ソフミシアの言葉は逃げ道を許さない。ため息をするのさえできない、せいぜいため息にもなれない息を吐き出すぐらいしかできなかった。 

 先を進むソフミシアの後を追う。遠くからにぎやかな音が耳に飛び込んでくるものの、観光地のはずれにあるこの通りはきわめて閑静だった。ついさっき廃墟となってしまったかのような状況に孤立感さえ感じてしまう。だれもいない、ただだれかが整備した石畳に建物があるだけ。食堂に振り返っても、人がいるようには見えなかった。 

 孤立感を強めるのは無人だけではなかった。乾いた石の舗装にのしかかる重々しい質感だった。空に青さはない、だからといって真っ黒な木炭を感じさせるそれではない。真っ黒を通り越して、深い紫色にさえ感じられた。不気味な空の色が地面に届く頃合いとなってようやく、一般によく見る色合いとなるのだった。 

 しかし時間が経つにつれて、港へと近づくにつれて、頭上を覆う色がますます異常さを増していった。空は一歩進むごとに、紫色が濃くなり、暗さも強くなった。バスに乗って一息ついたときに至っては風が出始めて、バス停を三つ通過した時にはあまりの風でときおり徐行をするほどどなってしまっていた。天候がおかしくなっているのは観光客の目でも分かることだった。 

 港のバス停に到着、地面に降り立ったところで予定の船は停泊したままだった。高くせり上がったと思えば深く沈みこんで、再びせり上がれば左右に船体が揺れた。船の中に人や物が飲みこまれてゆく様子は見当たらず、待合室と思しきところから人がちらほらと漏れ出してきていた。 

 人々が出てゆく流れを止めてライラは中に入り込んだ。中はまさに待合所らしい光景で、中央部には樹脂製の固い背もたれが何列も並んでいて、イスたちの正面に窓口があった。白い壁をくりぬいたような窓口にだれかが退屈そうな顔をして客を待っているといった姿は見る欠片もなくて、代わりに小さな表示板が置かれていた。人をかたどった赤いイラストが頭を下げているところ、どういった状況であるのかはおおむね見当はついたものの、歩み寄ってきちんと確かめてみれば、『本日の運航は終了しました』と丁寧に書かれていた。 

 間髪を容れず書いてあるものと同じ言葉が耳に入ってきて、顔をあげれば男が立っていた。このような天候なので、明日以降に運航できるかどうかさえも見通しが立っておりません——きわめて商業的な、相手の心を逆なでせずに、ハイそうですかと返事する以外の選択肢を与えない口調。 

 突然肩を押されてライラは横によろけた。まるで突き飛ばすような力の強さは明らかな攻撃だった。転げそうになる体を押しとどめて振り返れば、ライラが立っていた場所にソフミシアが立って、男を詰問している。どうして出られないのだ、海運会社なら何とかできるであろう、三倍の値段を出すから運んでくれ、いや十倍出してもよい、とタチの悪い客の鑑と言うべき振る舞いをしていた。男は困った様子で表示板に書かれている短い言葉の意味を延々と説明していて、命の保証ができないのでやりません、と答えるなりどこかへ引っ込んでしまった。ソフミシアにとっては命の保証がないのは日常のこと、ふざけるなと声を荒げるのも当然の思考だった。だが、ライラはそういった考えが一般的には通用しないことを常識としてわきまえていた。だからこそ、怒り心頭のソフミシアの視界を遮ってこの場を離れるよう促したのだった。 

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