殺し屋の姿
根掘り葉掘り
やはり今日のソフミシアは変だった。人目のことを常に考えて、いかに目立たないよう振る舞うのかばかり気にしているソフミシアが、どうしてライラのつかの間の『旅行』につきあっているのか。温泉を利用した料理を一緒になって食べているソフミシアを見ながら、ライラ自身、こうやってのんきに食事をしていて良いものだろうかと考えを巡らせて、そうしてからはっとする始末だった。
ごく自然に具材を口に運んでいるソフミシアだったが、時たま、はたと手が止まった。スプーンに載せたエビをじっと観察したかと思えば、皿のスープに放流して、スープ全体をかき混ぜてその様子を眺める。何をやっているのだろうと思っていると、何事もなかったように具材をすくい上げて、スプーンをくわえるのだった。
ソフミシアの行動に何の意味があるのかライラには分からなかったし、温泉を使ったスープに使った地元産のえびがどうしてソフミシアにそうさせるのか理解できなかった。えびそのものが物珍しいというわけでもない、ファムに限らずどの港でもえびは獲れる。店の中では一押しの扱いだったけれども、特産品というわけではなかった。
えびに続いてソフミシアが観察するのはさいの目になっている人参で、もはやファムとは関係のない具材に見入ってしまっていた。
「さっきからどうして中身を気にしているのですか。何か気に食わないことでもあるのですか」
「いいや、そういうわけではない。私の口が肥えているわけではないけれども、この汁はおいしい」
「ではどうして、それほどまでに中身を気にしているのですか。えびとか、人参とか」
「いや、そうではないのだ。ただ、その、こうやって食事をしたことがなかったな、と思ってね」
「外食をしたことがないのですか」
「言葉が足りなかった、すまない。だれかと一緒に食事をするというのがなかったのだ」
「まさかそのようなこと、ありえますか? このご時世に」
「この世の中ではどうかと思うけれども、そのまさかなのだよ。私は幼いころから一人で食事をとっていたのだよ」
「でもそれじゃあ、ソフミシアさんが見た夢というのは実際にはできなかったことだったのですか」
「あの夢は事実。私が母から引き離される前の、最後の食事があのドリアだった。当時のほかのことはよく覚えていなくても、これだけはいまだ鮮明に覚えている」
ソフミシアは続けて、おかしいだろ? と言葉をライラに投げかけてきたけれども、本人はどうやらライラの返事を求めてはいなかった。すぐに視線をスープに落として具材を口に運んで、スープのほのかな甘みやテーブルを覆う雰囲気を味わって、更なる言葉を続けるつもりはないらしかった。
なにごともないかのようなソフミシアの振る舞いはライラの食欲を削ぎ落していった。殺しを仕事にしているというのも、死にたがっているというのも衝撃的ではあったけれども、母親と食事をしたことがないという告白はそれ以上に強烈だった。ソフミシアという人間はどれだけ人間らしくない境遇を過ごしてきたのだろうか。考えるだけでも心がギュウギュウ絞めつけられる。一番親からの愛情が必要な時期に独りぼっちでご飯を食べるなんて寂しいの言葉で片付けられるような状況ではない。だれも支えてくれる人がいない、一人で立っているのも危うい幼い足で立たなければならない孤独感。ライラの想像を絶している。
ライラが言葉に窮している中、めずらしくソフミシアから問いかけた。貴重な第一声は、ねえ、だったけれども、ライラはソフミシアの家庭事情を想像していてすっかり聞き逃してしまっていた。ライラの返事がないまましばらくしてからもう一度、あのさ、と声をかけてみれば無事耳に届いた。
「私のことばかりではなくて、そろそろあなたのことを話してもいい頃合いじゃない?」
「ソフミシアさんは他人の身の上に関心がないのだとてっきり思っていたのですが、そういうわけではないようですね」
「興味はないさ。ただ、これだけ私のことを根掘り葉掘り聞かれてしまえば、相手にだってそれなりにさらしてもらいたいと思うのだよ」
「でしたら、何を知りたいのですか」
「あなたは何をしにここに来たの」
「旅行です。会社を辞めたもので、心を一新するのにちょうどいいと思ったのです。温泉に入って、絵を描いて、そうすれば次に気持ちよく進めると思ったのです」
「どういった仕事をしていたのだ? それで、その会社を辞めたのは一体どうして」
ソフミシアから立て続けに投げられる質問にライラは途惑った。ライラが抱いていたソフミシア像は寡黙で厳格、他人とは常に距離を保ち続けるのだ。そのソフミシアが、まさに今ライラめがけてじりじりと間を詰めてきている。一切の武器を持ち合わせていないにもかかわらず、心が怯えて落ち着かなかった。
「もともとは画材を売っていたのです。絵の具とか、紙とかです。もともと絵は好きで描いていたので、画材の見本として絵を描いていたのですが、どうしても絵の具を売るよりも絵を描きたいと思うようになりましてね、ついに飛び出してしまったわけです」
「つまりは、やりたいことができた、と」
「まあ、そういうことですね」
「それまでのことはどうなのだ。その、仕事に就く前は」
「普通に学校に行っていましたよ。初等学校、中等学校、それから高等学校。高等学校では地理を専攻していました」
「それは普通の流れなのか、その、初等学校から高等学校までというのは」
そうです、とライラが答えればさもそれが貴重な体験であるかのように、へえ、とソフミシアが初めて驚きを示した。ソフミシアは口をとがらせて、小刻みにうなずく。今まで見たことのない動きが新鮮だった。
「ソフミシアさんはそうではないのですか」
「私もはじめは初等学校だった。しかし、数か月で寄宿学校に移ることになった」
「じゃあ寄宿学校に移る前に食べたのが例のドリアだと」
「ええ。寄宿学校の食事はそれと比べなくても味は良かったけれど、どうも味気なかった。楽しくなくてほとんど覚えていない」
「しかし、寄宿学校というのは聞いたことがないです。どういうところだったのです?」
「魔法を教える学校、いや、塾のようなものか。町に住む人々の中でも一握りの人が入れる場所だった。実際、学校ではなく『塾』と呼ばれていた」
「それはすごいじゃないですか」
「それはどうかな。周りは一回りも二回りも年上の人ばかり、だれもが自分が一番だと思っていかに自分を相手に認めさせるかばかり考えているのだから、最悪の共同生活」
「辛い環境ですね。話を聞いているだけでも異様なのがよく分かります」
「たかが権威のために相手を出し抜こうとばかり考えている。頭のおかしい場所に放り込まれたせいで私の人生は狂ったのだ」
ソフミシアはスプーンの柄を思いっきり握りしめ、その尻をテーブルに叩きつけた。激しい反応にライラが握りこぶしの下に目をやれば、あろうことかテーブルにへこみがあって、その上まっすぐだった尻がライラの方に腰を曲げてしまっていた。
ソフミシアにとって寄宿学校の日々が思い出したくもない事柄であるのは見ていても分かった。試しに自身が手にしているフォークに力を入れてみてもびくともしなかった。硬い金属を曲げてしまうほどの激しさがどういった事情で湧き上がってきたのか知りたいところだったけれども、ライラ自身の口からそれを尋ねられるわけがなかった。目が、ライラに刃を向けた時のそれと全く同じだった。ソフミシアの中で激しい感情が湧きあがっている。
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