指先に灯るもの

 ソフミシアは突然ライラを指さした。明らかにライラを狙った振る舞いにライラは肩をびくつかせたけれども、ソフミシアの人さし指が鋭くとがっていないのを目にすれば、激しく高まった緊張は水をかけられたように鎮まった。ソフミシアの指先を見続けていれば、ソフミシアは全ての指をまっすぐ伸ばして、そしてからひっくり返して、手のひらを上にした。 

 ソフミシアは何かをつぶやいた。声は聞こえない、ただ手のひらの奥で口がもごもごと動いているのが認められた。この国の言葉なのか、ソフミシアの生まれた国の言葉なのか、あるいは彼女の母が知っている言葉か。そもそも言葉を紡ぎ出しているわけではなく、口をパクパクさせただけなのかもしれなかった。 

 しかしソフミシアの顔中からブワッと汗がわき出したのにはただならぬものを感じた。大口を開けて息を荒くして、黒目がグラグラして定まらなかった。顔は力んだ時のように真っ赤だった。人間がなしえるとは思えないほど原色に近い赤で、ソフミシアがすぐに死んでしまうのではと思ってしまうほどだった。 

 ソフミシアの異様な姿に注目するばかり、目の前を遮る熱があるのになかなか気づかなかった。次第に熱は耐えられぬほどの痛みを伴って、眼球の痛みにまぶたを閉じた。目を開けたときに、手のひらの上でゆらゆらとゆらめく橙に焦点が合わさった。親指大のしずくの尾っぽは風もないのに忙しなく揺らいでライラを誘った。激しい動きは手のひらを貸しているだけのソフミシアの息を激しくさせた。 

 ソフミシアは指を折り曲げようとしていたけれども、第一関節が曲がる程度で、中々曲げられないでいた。丸でそれぞれの指をだれかが反対方向に引っ張って折ろうとしているかのようであった。真っ赤で息が荒くなっているのに加えて、顔をしかめて限界まで指に手に力を込めていた。 

 渾身の力で炎を握りしめたソフミシアは、言葉にならないうめきをあげてベッドに倒れた。ライラが立ち上がって大の字のソフミシアをうかがい見れば、大きな口で空気を吸って、胸が大きく膨らんだりしぼんだりしていた。瞼を開けたかと思えばすぐに閉じてしまうありさまで、わずかに開いたまぶたから現れる目は前後不覚の有様だった。意識が定まっているかどうか怪しかった。 

 ライラは目の前に起きた不思議な出来事よりもソフミシアの息も絶え絶えの姿が気になって仕方がなかった。ソフミシアはライラの目の前で自殺を試みようとしたのではないのかと、自分の命の炎を手のひらにさらしてその炎が潰える瞬間を見せつけようとしたのではないかと思えてしまった。悪く言えば、どさくさに紛れてソフミシアは死のうとした、とも。体に良くないことは明らかだった。 

「一体何をやっているのですか」 

「ほう、あなたは、目の前で魔法を見せても、驚かないというのか」 

「それどころじゃないです、なんてひどい有様なのですか。息も絶え絶え、頭に血が上っているようでしたし、今に死んでしまうのではと思ってしまいました」 

「そうだな、確かに体の限界まで追い込むのが魔法の常だからね。昔はまあ、この程度であればなんてこともなしに平然と使えたものだが」 

「そのようなことよりもまず、私はソフミシアさんの体が心配なのです。体は大丈夫なのですか。病気の類の発作というわけではないのですよね」 

「病気ではないさ。ただ、瞬時に体を追い込んでいるだけ」 

「追いこんでいるって、それじゃだめじゃないですか。そんなの命を削って私に見せたかったのがあの不思議な炎というのですか」 

「魔法の炎を見るなんて今どき、一生に一度見られるかどうかというぐらいに貴重だと思うのだが」 

「それでソフミシアさんの身に危険が及ぶのであれば、そのようなものは見たくありません」 

 ソフミシアはライラの訴えを鼻で笑う程度で、どれだけ心配しているのかを全く気づいていない様子だった。意識があるのかどうか分からなくなっていた目にも力を取り戻して、息も落ち着きつつあるのだから、ライラの表情を目にして思っていることを察するぐらいの分別はあってしかるべきである。けれどもソフミシアが意に介しているそぶりはなかった。 

 ないがしろにされた心の内はたちまち不満にとって代わる。ライラがしている心配は本気だ、言葉が届かないだなんてありえない。もし思いが途絶えてしまうのであれば、それはソフミシアが手にする武器やら拳やらでたたき落としているに違いなかった。ライラにはそうやって人の気持ちをむげに払いのける感覚が理解できなかったし、それが更なるいら立ちを掻き立てるのである。 

「私は本気で心配しているのですよ。なのにその言い方はあんまりです」 

「私の体のことは私が一番理解している。それに私は死ぬつもり、あなたを送り届けてからは死ぬつもりだ。どうして体の心配をしなければならない?」 

「じゃあソフミシアさんは私を守るという仕事の途中で死んでも構わないというのですか」 

「そういうことを考えてもらっては困る。仕事を途中で投げ出すような最低なことをするわけがないだろう」 

「でもソフミシアさんの言っていることはそういうことでしょう」 

 ライラの言葉にソフミシアは激しく反応した。違う、と部屋の向こう側にまで聞こえてしまいそうな声をあげて上半身を飛びあがらせて、しかし直後に頭がふらついて、元通りに倒れてしまった。 

 ライラはそこで我に返った。ソフミシアはよく分からなくて恐ろしい何かを使ってひどく体が衰弱している。体を起こすことさえできないという状況を見せつけられて、ライラの体の中にわだかまる怒りはたちまち陰に潜んでしまったのだった。 

 気づいたらライラはソフミシアのベッドに飛び移ってソフミシアの目を確かめた。あまりに激しい変化だったものだから、白目を剥いてしまっているのではと思っていたけれども、そこまでひどい状況ではなかった。とはいえ目をぱちくりしていて、どうやら自分の体が言うことを利かなかったのに気づいていないらしかった。 

 ソフミシアはそれでもなお起き上がろうとしたものだから、ライラは肩を押さえて身動きが取れないようにした。何をしているのだと文句を言われても手を離しはしなかった。普段のソフミシアであればたやすくライラの腕を引き離して組み伏せられるだろうけれども、フラフラの今では立場逆転、ライラの手から逃れられなかった。 

 何度も体をひねっていたソフミシアだったけれども、いよいよどうしようもできないと悟って諦めたらしく、ライラを押し返そうとしなくなった。それはそれでライラにとっては一安心だった一方、抵抗するだけではなくほかのものまで諦めてしまっているかのようなひどい表情をしていて、更なる不安を掻き立てた。満足に自身の体を操れないことは体が資本の殺し屋にとっては尊厳を砕くのに十分な理由に感じられて、ソフミシアの心が折れてしまったのではなかろうかと、肩に続いて手を取って強く握りしめた。ソフミシアが手を握り返すのを感じ取ってから今日はもう休むよう言葉した、けれどもソフミシアはライラの心配をよそに言葉を紡ぎ始めた。 

「私の母は魔法の専門家で、特に古い文献から古代の魔法の理論を解明するのを目標にしていた」 

「ですからもう休みましょう。明日に備えましょう」 

「せめてあなたの問いかけの答えを言わせてほしい。私の母はその研究のためにこの国に来た、この国の研究施設は最先端だったのだよ」 

「それはいいですから今日はもう休みましょう、ね?」 

「あと一つ。私は母に連れられてこの国にやってきた。父はその時にはすでに戦争で死んでしまっていたらしい。幼い私はまだ魔法が使えなかった」 

 ソフミシアの目はほとんど閉じかけていた。ライラの言葉がまるで聞こえていないかのように自分の言葉を一方的に口にした。言いたいことを言うなり口を閉ざして、鼻から漏れるは穏やかな寝息だった。 

 穏やかな顔をして眠ってくれたのはありがたいことだったけれども、きちんとベッドに寝させるにはひと苦労だった。ソフミシアの体は思っていたよりも重たくて、ベッドに対してまっすぐになるよう引っ張るのはなかなか骨が折れた。それのみならず、寝ている時に邪魔となるナイフや上着などを脱がせるのもまたやりづらくて、思いのほか手間取って別に何もしていないライラも疲れてしまったのだった。一方引きずられたりはぎ取られたりされたソフミシアはというと、全く目を覚ますけはいがなくて、この先永遠に目を覚まさないのではと思ってしまうほどだった。 

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