何者

 ソフミシアもライラも宿については半ば諦めかけていた。けがを負った殺し屋にびくびくしながら夜が明けるのを待ち続けなければならない。けれども、さらに奥へもう一本入った通りに宿があった。常識的に部屋を取れるとは思えない時間だったけれども、ソフミシアが三倍のへ家賃を払うと一転すぐに部屋を用意してくれた。しかし豪華なものではなく、今まで見てきた宿に比べるとだいぶオンボロで見劣りする部屋、だからといって二人が不平を漏らしはしなかった。部屋に泊まれる分だけましだった。 

 部屋に逃げ込めた安心感でごわごわしたベッドに倒れこむライラとは一転、ソフミシアは依然として精神を研ぎ澄ませていた。ついさっきまで殺し屋と武器を交えたのだから気を抜くなんてできる状況ではないだろうけれども、壁に隠れて外を見るソフミシアの姿を見ているとどうも哀れに思えてならなかった。ソフミシアには緊張の糸を断ち切る機会がないのであろう。常にだれかから狙われて、常にどう対処すればよいのかを考え続けなければならないのであろう。その上、万が一のことがあれば敵の体に武器を突き立てもするのであろう。してきたのであろう。 

 難しい顔をして外を眺めるソフミシアは、いつしかライラの手を動かさせた。ソフミシアの姿にはいつも影があって、あるいは悲しみが漂っていて、並の人には出せない雰囲気が絵を描いている人としては描かずにはいられないのだった。 

 うつぶせになってラフスケッチに取りかかるライラが考えているのはソフミシアの抱える背景だった。考えているといっても単なる身勝手な想像ばかりで、本当の過去については何も知らない。そういえば、年齢さえも聞いていなかった。 

「そういえばソフミシアさんって、いくつなのですか」 

「年齢は二十だが、それがどうかしたのか」 

「そんなに若かったのですか。私よりも年下じゃありませんか。てっきり私よりも年上なのかと思っていました」 

「見てくれは二十歳相応とは違うのかい?」 

「いえ、見た目ではなく、雰囲気が大人っぽいというか。なんと言えばいいのでしょう、体の年齢と心の年齢が食い違ってしまっているような」 

「それはいい表現だ。心と体が食い違う、そのような無茶をしていれば精神的に辛くなるわけだ」 

「それは、その、そのようなつもりで言ったわけでは」 

「何のつもりだっていうのだい? 私は単に肉体の精神の齟齬について言ったわけで、だから死にたいとつなげているつもりはないぞ」 

「そのつもりじゃないですか」 

「私が死にたい理由はそこではない。断じてない」 

 低く奥底から飛びだしてくるような声はライラの手をたちまち縛り上げた。鉛筆は手から転げ落ちて、体じゅうの器官が縮み上がった。けれども衝撃波のように襲い掛かった恐怖は次第にもの悲しさをたたえるようになる。彼女は死にたがっている。今でこそ目の間の問題に立ち向かってはいるけれども、脳裏には自らの終末が脳裏をよぎっているのであろう。そして終末を経て、ソフミシアは何かから解放される。そう、何かから。 

 ライラはこぼした鉛筆を拾い上げた。うっすらと刻まれた枠の上に芯先を重ねて線をなぞった。色がはっきりと表れると鉛筆をジャンプさせて別のところの描写へと移った。ちょうど腰のあたり、ざっくりとした姿に服を着せようとしていた。 

「ソフミシアさんは殺し屋なのですよね」 

「改まってどうしたのだ。わざわざ確認するまでもなかろう」 

「そろそろ教えてほしいなと思ったのです。その、ソフミシアさんのことを」 

「私のことを知って何になるというのだね」 

「長いこと一緒にいるのですから、いろいろと知っていても悪くはないと思うのですよ」 

 ソフミシアは、そうねえ、と相槌をこぼしながらもライラに一瞥を向けるものの、すぐに監視へと戻っていってしまった。何かしら声を出したり目を上に向けたりなどと考えているようなそぶりがあればよいものの、ただただ外に目を向けるばかりで何を考えているのか分からなかった。ライラの言葉はそもそもソフミシアに届いているのだろうか。ソフミシアが耳にするのは脅威が忍びよる音だけで、ライラの言葉ではないのであろうか。 

 返ってくると思っていた言葉を諦めて紙面の姿を着飾ろうとした矢先、ソフミシアの口が開いた。 

「あなたが聞きたいと思っていることはまず答えられないでしょうね」 

「やはり、私が信用できないのですか。それとも、盗み聞きされるのを恐れているのですか」 

「盗み聞きされるのはあまりいい気分ではないけれども、あなたが信用できないわけではない。ただ、私の身の上はおおむねこの国の陰の歴史でもある。私の過去を知ることはこの国の知られたくない過去を知ることになる」 

「私が知ったところで問題になるとは思えません。私には殺しの技術もなければ、それを外に漏らしたところでいいことは何もないわけですし」 

「それは間違っている。これを知るということはだれに狙われてもおかしくはないということ。自分の身を守れない人に話すわけにいかないし、あなたが知った情報をなんとしてでも引き出したいという人はたくさんいる。なにせ、国を黙らせられるぐらいの爆弾だからな」 

 ソフミシアはふいに鼻で笑って、言葉を断ち切った。爆弾ね、と自分の言葉を繰り返してもう一度鼻で笑った。にやりとする姿はあからさまにうれしいやら楽しいといった感情とは思えなかったけれども、それっぽい顔つき、つまりはさも楽しげにしている風な振る舞いは久々だった。とはいえ、ライラの記憶にソフミシアのほほ笑んでいる顔はよく刻まれてはおらず、いつのことかはよく覚えていなかった。とにかくにやりとあざける姿のあったことだけは覚えていた。 

 ソフミシアは一言、バカらしい、とつぶやいて外の光景から目を逸らした。背中を壁にぴたりとつけて、天井を仰ぐと、目をつぶってしまった。絵を描いてくれと言わんばかりの見事な立ち姿、ライラにとっては格好の餌だったけれども、その手は止まってしまっていた。ライラがソフミシアに見ていたもの悲しさや停滞感の漂いようがあまりにも見事で、思わず見とれてしまったのである。 

 そうね、とソフミシアは言葉した。目は閉じられたままだった。 

「あまり面白くない話だとは思うけれども、私のことを少しだけ教えてあげる」 

「ソフミシアさんのことが少しでも知れるのであれば面白くないだなんてとんでもありません」 

「面白くなんてないわよ。ただ、私はもともとこの国の人間ではなかった、ってことだけだから」 

「そうだったのですか。どこの生まれなのですか」 

「北の国から。私は移住する前の記憶は全くないから詳しく話せはしないけれども、今ではもう存在しない国になっているらしい」 

「ソフミシアさんってそれじゃあ移民だったのですね。どうりで名前の響きが聞き馴れなかったのですね」 

「私の名前は変に聞こえるものなのか」 

「変というよりも、聞いたことがないです。『ソフミシア』なんて名は人によってまちまちだからあれですが、、『フィルン』という名字については、間違いなく聞いたことのないものです」 

「今までそのようなことを言われたことは一度もなかったものでな、気にもかけないでいたのだが。そうか、そんなに珍しいのか」 

 ソフミシアは急に脱力して、天井を見上げる頸がたちまち垂れた。頭が垂れるのにつられて上半身がやや下を向けば、勢いをそのまま尻で壁を押す力とした。壁を押した力はけれどもすぐに衰えてしまって、一歩踏み出さなければ戻ってしまうという様子だった。ソフミシアはしかし動こうとしなかった。いよいよ壁から離れようとする力がなくなって、離れるとも壁に吸い寄せられるともいえない絶妙な頃合いとなってようやく、ソフミシアは足を踏み出したのだった。 

 ベッドのへりに腰を下ろして脚を組むソフミシアを前にライラはその名前の奥にたたずむ姿を頭に思い浮かべた。つまり、名前の中に埋め込まれた意味や親の願い。名字はともかくとして、名には何らかの願いが込められているものである。ライラという名は親が見た中で最も力強くて美しいライラという花から来ている。ソフミシアという名にだって、何か願いが込められているはずなのだ。むろん、ソフミシアが話したがない部分とも性質は異なるのだから話題としては十分そうだった。 

「その名前って、どういう由来でつけられたのですか」 

「ソフミシア、今は廃れた昔の言語で『喜び』を表す言葉。私が生まれたことがとてもうれしくてそう名づけたのだと、幼い私によく口癖のように言っていた」 

「昔の言葉ということは、ソフミシアさんのお母さんは物知りなのですか。今は使われていないような言葉について知っているだなんて」 

「知っているも何も、私の母はその手の専門家だった」 

「それじゃあ、言語学者や歴史学者なのですか。古い言葉を理解できるとなるとそれぐらいしか思いつかないのですが」 

「そう言った類が専門だったというわけではないが、ともあれ、説明するよりも実際に見てもらった方がよかろう」 

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