第2話 『至福の乾杯』


「ギャハハハハッ!! また負けたのかよ、レオレオは弱いな!」



 下品な哄笑を上げる亜人――ゴブリンのロットを、レオはバツが悪そうに睨んだ。



「うるせーな、お前達だってさほど稼いでねーじゃねーか」



 円状の机に肘をついて顎を乗せるレオは苛立ち気味に反発する。しかしそんな事はロットの前ではどこ吹く風だ。



「いいんだよ、俺らは。楽しく生きてっから」


「そういう問題かよ……」


「そこ重要だろ、なあベル?」



 不意にロットがすぐ隣の椅子に委縮して座るベルに話を振る。自然、レオの視線もベルに注ぐ。


 亜人の男がそこにいた。もとい正確には獣人族、コボルト。

 筋骨隆々とした体躯に、全身を覆う茶色い体毛は近寄りがたい威厳を放っている。

 丈夫そうな革製の装備を身に着けて、背には自分の背丈程あろう巨大な大剣を吊るしている。

 これで眼光が鋭ければ様になっていた事は間違いない。しかし、彼のつぶらな瞳が画竜点睛を欠く。


 コボルトのベル。彼は見た目に反して内気な性格なのだ。

 そんなベルはレオとロットの二人にまじまじと見詰められ、思わずカメのように首を引っ込める。



「……ええ……と……。……ごめん……」



 ベルの震えた声帯から発せられた声は今にも消えてしまいそうな程小さく、ともすれば周囲の喧噪と重なり合って聞き逃していたかもしれない。



「いや何で謝んだよ、ベルッ!」



 しかし、それを聞き逃す事なく、その上機敏なツッコミを入れれるのは二人の付き合いが長いからこそだろう。


 パシン! とベルの胸あたりに平手打ちしたロット。そんなロットにベルは微苦笑。


 レオは何が正解か分からず、ポリポリと後ろ頭を掻いてそっぽを向いた。

 胸中で、ロット……お前だだ滑りしてんぞ……と呟き、言葉にして発言したい衝動をレオはどうにか抑える。


 ロットが口元に手を据えて、ゴホンとあざとく咳払いをし、再びレオの方を向いた。ふんと偉そうに鼻を鳴らして続ける。



「まぁよ、あれじゃねーのレオレオ。あんまりしくじってばかりだと主から信用なくすぜ?」


「…………」



 ぐうの音も出ない。まさにその通りだ。


 傭兵にとって一番大切なものは『信用』である。

 その『信用』の有無で傭兵という職は評価される。


 今日。

 レオ率いる分隊は、ペペット村の要請により、周辺の森に沸いたドラゴン《正式名称:ピュラ》の討伐を承った。

 不意を突いた形でピュラに襲い掛かったものの、結果的にレオ達は惨敗してしまいやむなく撤退。

 結果、任務を遂行する事は出来なかったのだ。



「……うるせーよ。他人の心配するくれーなら自分の心配しろよな、ロット」


「俺っち達はこれでも生活費は補えてんだよっ、どっかの誰かと違ってな」



 ニヤニヤと笑みを浮かべる意地悪なロットを、レオは鋭く睨んだ。続けてロットはさも自分の事のように隣に尚も畏まって座るベルについて意気揚々と語りだす。



「何せ、ウチのベルは強えぇーーーからなッ!」


「ギョフッ?!!」



 変な声を上げてベルがビクリと肩を震わせた。

 ……ギョフッって何だ、ギョフッって……、と思いつつレオはベルを見た。

 彼は困惑していた。目がウルウルしているし、今にも泣きだしそうだった。


 ぎくしゃくした動作でベルは自分を指さして助け船を求めるような潤んだ瞳でロットを見た。



「……ボ! ……ボボ、僕はッッ…………!!」



 困惑と羞恥、緊張の絶頂に立たされたベルは無意識に身を乗り出して豪快に机を叩いていた。

 我を失ったベルが取った行動は、ベル自身の現状を悪態化させる他ならないものだったと、一秒後に我を取り戻したベルは気づく。



「…………弱いから……」



 と、擦れ声で小さく呟いて、ベルは脳天から湯気が立ちそうなほど赤面すると、音も立てず腰を下ろす。



「ああ……」



 ポリポリと頬を掻くロットが作り笑いと共にレオに言った。



「謙遜なんだよ、こいつ」


「お前デリカシーの欠片もねぇーな!!」


「ヒャヒャヒャヒャ!」


「……何が面白れーんだ」


「ナイスツッコミ!!」


「…………」



 辟易したレオは陽気なゴブリンに一瞥くれてベルを見遣った。彼はいつもと変わらぬ微苦笑を浮かべていた。不意に豹変してロットは和やかな口調でレオに告げる。



「まあ、色々あると思うけどな、とりあえずがむしゃらに頑張れよ」



 良い奴なんだけどな、こいつ……と思っていたまさにその時。酒屋のお姉さんが三人分の陶器を器用に運んで来て、思わずレオは胸を撫で下ろす。


 円状の机に三つ陶器が置かれる。そこには並々と紫色をした液体が入っている。少しアルコールの効いたこの酒は、マリアナと言いこの酒場の定番メニューだ。

 レオ達はマリアナの注がれた陶器を手に持ち、



「それじゃあ――」



 誰ともなくレオが陶器を最初に掲げ、



「乾杯ッッ!!」



 音速の速さでロットに音頭を横取りされ、



「……かん……ぱ……い……」



 レオの激しい逡巡も尻目、ベルがそれに続いて途切れ途切れに声を上げる。





 ロットという傭兵とは出会ってまだ日が浅いが、それでもレオは意気投合して仲良くなれた。

 日々が流れるにつれ、互いの事を知りゆくというものだろう。

 そしてまた一つ、レオはもしかすると革命的な発見をしたかもしれない。




 ロットは空気を読めない。




---



 晩餐も佳境を迎え、ロットがぶつぶつと何やら陶然と独りごちるのをレオは何と無しに聞いていた。

 不意にバタリとロットは机に顔を伏せてかまびすしいいびきをかき始めた。そんなだらしないロットをやれやれと言った感じに隣に座るベルは微笑みながら見ていた。



「……お前も大変だな」



 レオは頬杖を突いて、嘆息する。しかしベルは即座に首を横に振った。



「……ううん……そんな事……ないよ?」



 ベルの声は小さかった。

 酒場に所狭しと犇めく客の嬌声や蛮声がそれと重なり合ったが、不思議とベルの優しげな声音を捉える事が出来た。訳が分からず小首を傾げるレオに、ベルは微苦笑で返す。 


 もう大半を飲み干したマリアナの注がれた陶器をベルは見据えて、僅かに残るマリアナを口にした。

 ふうー、と一息してベルは隣で昏々と眠り続けるロットを見遣った。



「……僕はね……独りじゃ何も出来ないんだ……、……本当に、何も……」



 一区切りして、ベルは続ける。



「――でも、ロットが傍に居てくれれば大丈夫! 何だか安心するんだ! ロットは優柔不断な僕が岐路に立たされた時、その道を優しく示してくれる道標みたいな……そんな存在…………なんだ……」



 レオはなおもいびきをかく締まりのないゴブリンに一瞥をくれた。とてもとても気持ち良さそうに、愉快そうに眠っている。思わずレオは忍び笑いを浮かべる。



「良く分かんねーけど、何となく分かる気がするな」


「うんッ!」



 その言葉に、初めてベルが快活に頷いて、喜々とした声を上げた。ニカァッとレオが笑うと、釣られてベルも喜色満面に笑った。それは常に浮かべている微苦笑ではなかった。作り物めいたあの笑顔では。心底楽しそうな、まさに本物のそれだった――。



 自然、二人は空になった陶器を握る。そしてどちらともなく陶器をぶつける。



 儚げな快音が喧噪な酒場の中に響き渡った。

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