第37話 スクナヒコはねぇ、航海と酒の神様だったんだよぉ
「あっしは酒虫(さけむし)のアルチュールというケチな野郎で、旦那の体に住みついておりやした」と、シャンパンの瓶の中にいた緑色の幼虫みたいな生き物はおれに思念を送ったんだけど、面倒なので以下は「と言った」ということにしておく。
「要するにアルコール星人だな」と、おれは言った。
「遠い宇宙の彼方から何千光年、流れ流れてこの星へ、たどり着くこたぁ着きましたが、気がつきゃ仲間もどこに行ったか行方知れず、天涯孤独の身の上と言いたいところですが、義兄弟の兄さんと慕った仲間のひとりは旦那の父親のところに残っていて、超銀河的精神通話で、地球にはまだ数十匹の同類が、かろうじて暮らしているとわかっておりやす」
「スクナヒコはねぇ、航海と酒の神様だったんだよぉ」と、ハチバンはかなりアルコールが回ったような口調で言った。
「へぇ、ヒトに酒の味を覚えさせ、航海術を教えて世界中に広めたのはあっしたちです」
実に興味深い。
酒虫(まあアルちゃんでいいかな)がどうしてそのようなことをしたかというと、酒を飲んで育ったヒトの肉はうまいから、じゃなくて、どうも魂の味が違う、という話である。
「なんか、酒飲みじゃないヒトの魂は、ごつごつしてて筋が多いんですな。もっとふにゃっとして、日なたのネコみたいにほくほくしているのがいいんです。で、そういうのをヒトの腹の中ですこしずつツマミにしながら、入って来る酒で一杯やっている、というのがあっしたちなんですが、旦那の体に入って驚いたのは、旦那には魂ってないんですね! おまけに出ようと思っても出られない。このたびは、旦那の体が一度焼けてくれたのでなんとか脱出できました」
「そりゃまあ、中には魂がないヒトだっているだろう」と、おれはトボけたが、おれはヒトではなく吸血鬼なんだから仕方がない。魂があったら日没と十字架で死にそうになったりしない。
「今度はハチバンの体の中に入るといいかもね。…って、お前がいると普通の人はアル中で早く死んだりするの?」
「それはまあ、飲みかた次第ですかねえ。それはともかく。旦那はもうネストについてはご存じですね」
「うん、だいたい知ってる。地球の旧神復活をたくらんでいる悪の組織、というか悪い宇宙人の手先、みたいな?」
「私たちは、ネストの秘密基地に行くのです」と、イチバンさんは説明した。
「えーと、その前に、ナオさん、あなたに今までになかったものが、鱗粉飛ばし能力以外に備わったことに気づかせてあげますね。それは、歌と音楽、です」
「歌と音楽ぐらいおれだって知ってるよ。人の声と楽器で、うまいことがしゃがしゃやると出てくるものだ」
「それは、ディズニーのお子様絵本を見て、ガンボスープぐらい知ってるよ、って言うぐらいのひどい解釈ですね」
ガンボスープをその絵本を見るまでは知らなかったし、実際に食べたことないのは確かだけどね。
「ハチバンさんはけっこう歌うのが好きで、いい声ですよ」
「えっ、あれ何か叫んでたわけじゃないんだ」と、おれは正直に驚いた。
「おれの家には、音楽コレクションにモダン・ジャズも入ってるし、聞きながら仕事、っていうか物語を書いたりしてる」
「嘘つくなよ、ナオ」と、ハチバンはおれに反論した。
「何か書いてるときに聞いてるのは水の音とか鳥の音とかいった自然音ばっかだったし。第一! ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスやセロニアス・モンク聞きながら物語なんか作れないよ! あれ、ナオのお父さんのコレクションやん。嘘つくなよ」
モダン・ジャズの人たちに失礼であるが、もうこの際いろいろな人に失礼なので気にしないことにする。確かに親父は小説書いてるときは酒もモダン・ジャズも聞いてなかった気がするな。
とか何とか言ってるうちに、イチバンさんの歌の準備ができたらしく、船は速度を落として、操縦席からちょっとハーフっぽい、すごい美人のおねえさんが出てきてギターの調弦をしている。
月光の下で、イチバンさんが自撮り棒を思わせる柄のあるマイクを持つと、背中に蛾の羽根のようなものが広がった。それは全体に黄色い地にラウンデル、つまり内側から赤・白・青の三重丸がある、イギリス空軍機と同じ模様のついた羽根だった。
「えー…私の歌を聞いてください」と、イチバンさんはマクロスFのシェリル・ノームみたいなことを言って、おれは触角を向けると同時に、両手を両耳に当てた。
私の舟はゆくよ
東の果ての
遠い空へ
遠い海へ
それはスクナヒコ、遠い昔にこの地を去って旅立った若者の歌だった。
「あー、メロディーは『エル・コンドル・パッサ、コンドルは飛んで行く』やね」
なるほど、これが歌と音楽というものなのか。
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