4 タイムリミットまで、5分

 学校から長い坂道をくだれば、あとは商店街を貫く平坦な道が続く。

 商店街に近付いた途端、人通りが増える。どこに隠れていたのか主婦やらサラリーマンがぽこぽこと湧いて出る。同じ学校の連中も大勢いた。


 しくじった。これだけ人の数が多くては、告白をするような雰囲気にならない。

 どうする……考えろ。ぼくにならできるはずだ。この天才的な頭脳で、夏休みの宿題を忘れた時も授業中に激しい腹痛に襲われた時も切り抜けて来たではないか。

 雰囲気が悪いからと、このままずるずる先延ばしにはできない。

 状況が最善でなくとも、行動は起こす。兵は拙速を尊ぶ。チャンスを待つだけの人間に、一生チャンスなど訪れない。

 だから、今すぐに言え。駅に近付けば近付くほど人は増える。もう今しかない。もはやこれまでと覚悟を決めろ。ピンチをチャンスに変えてこその男だろ! ためらうな、言え! いま言え! 言うぞ!

「……好きだ」


 声が上ずった。

 発音もぎこちなかったし、自分で思っていたよりも気持ちの悪い声になった。

 勢いに任せて、唐突に、しかし、ぼくは確かに言った。


 言った瞬間、鋭い痛みが心臓に走った。

 動悸が激しい。息が荒くなる。極限の緊張がイバラとなってぼくの心臓を締め上げる。からだの震えが止まらない。だが、言った。言ったぞ。どうだ、ハハ、言ってやったぞ! 言ってしまった!

 彼女の顔が見られない。

 ぼくは固まったまま、となりにいるはずの彼女の返事を待った。

 何分経っただろうか。何時間かも知れないし、何日も経ったかも知れない。息ができない。返事はまだだろうか。頭がくらりとした。緊張のあまり、呼吸をしていなかった。


「私も好きですよ」

 と。

 永遠にも思える時が過ぎて、ようやく彼女が答えた。

 僕の聞き違いでなければ。

 彼女は確かに好きと言った。

 だが……なんだ?

 この違和感の正体は。


 ぼくは勇気を振り絞り、彼女を見た。となりにいるはずの彼女を。

 となりにいるはずの彼女は、ぼくを見ていない。しゃがみこんでいる。しゃがみこんで――なにしてんだコイツ?

 道端にしゃがみこんで、太った野良猫に向かって煮干しを振っている。

「何をしている」

「にぼしふってます」

「誰がそんなことを聞いた」

「お昼の残りなんです」

「昼にそんなもの食ってるのか……」

「先輩も猫、好きなんですね。わたし犬には吠えられるけど猫には逃げられます。ほらー、おいでー」

「待て、それよりぼくの話を聞いていなかったのか」

「え?」

 彼女がぼくを見上げた。

 瞬間、猫は彼女の煮干しをひったくって逃げていった。

「ああー、また逃げられちゃった」

 彼女は走り去る猫をしょげかえって見送った。

「ごめんなさい。えっと……猫が好きだって話じゃなかったですか? ちゃんと聞いてなかったです。もいっかい良いですか?」

 彼女はぼくを見ている。


 子供みたいに澄んだ目で、長いまつげで、彼女はじっとぼくを見ている。

 ぼくが何か言うのを待っている。

 再び心臓の鼓動が高鳴る。


 もう一度伝えようとしても、告白の言葉は喉に張り付いたように出て来ない。

「……好きな、食べ物の話をしていただけだ」

 まあ、仕方がない。次のチャンスを待つぞ。こういうものにはタイミングがあるのだ。急いては事を仕損じる。焦ってチャンスを待たずに行動する者は、何をやっても失敗するのだから。


「食べ物ですか? いっぱいありますねえ。一番じゃないとダメですか?」

「もういい。聞いてなかったなら、別にただの世間話だ」

「えー、怒ったんですか? 先輩はわたしの話いつも聞いてないのに」

「……気付いていたのか」

「当たり前ですよ」

 彼女はまた、ニコニコと笑っている。

 ぼくは彼女の話を聞き流すことが多い。わざとやっているのではなく、つい考え事をしているとそうなる。なるべく聞いているフリをするが、空返事になる時はある。

 しかし、怒っていないのだろうか。ぼくが話を聞いていないことに、気付いているのに。

 彼女はいつも通り、ニコニコと笑っている。

 何を考えているのか、ぼくにはわからない。


 バス停まで、あと5分。

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