第二話 アイミートミート

「うわああああああああああ!」

 白いワームホールを抜けるとそこは雪国だった。

 なんてことは当然なく目の前に広がるのは、馬鹿でかい噴水とそれを取り囲む人々、そして出店の数々。どう見ても日本には思えない光景にうろたえる。

「どこだよここ……」

 思わず漏れてしまったその言葉を聞き逃さず、パステルは言う。

「来る前に言ったでしょ。腹筋と背筋の狭間にある世界『エルクサム・ナイエトープ』だってば。看板を見なさい」

 言われた通りに噴水近くの看板を見ると、『Welcome to ELCSUM NIETORP』と書かれているのがわかった。

「異世界なのに普通に英語を使っているのか……」

「ワールドワイドよ」

「異世界でも!?」

「そうよ」

 ワールドワイドってそういう意味じゃないと思うんだけど。

「この世界、『エルクサム・ナイエトープ』は筋力が足りなかったために死んだ人や、自分の肉体に不満を持ったまま死んだ人がやってくる世界なのよ。そういう人たちは魔法的なものがある世界でも、科学技術が進んだ世界でもなく、私たちの知る地球に近い世界からやってくることが多いの。だから、英語やそれに近い言語が一番使いやすいのよ」

「なるほど……?」

 よくわからないけれど、英語が主流ということを理解しておけばいいだろう。そもそも、筋肉不足で死んだ人が集うとかいうわけわからない世界なんだから、全部理解しようなんて思わないほうが賢明だ。

 さて、それはもういいとして、僕はこれから何をするのだろうか。何をすればいいのだろうか。

「本来ならもっといろいろと見て回ってこの世界を紹介するべきなんでしょうけど、そんなことをしている暇はないから地図を見て簡単に説明するわ。こっちよ」

「え、ちょっと」

 ズルズルとパステルに引きずられる。抵抗してみたがそれでもなお引っ張られる。華奢な見た目からは想像もできないパワーだ。僕にパワーがないだけともいう。

 そうしてやってきたのは『BAR CASEIN』と書かれた名前の通りの酒場であった。

「ここは?」

「見てわかんないの? 酒場よ酒場!」

「そりゃ見てわかるけども。君はどうだか知らないけど、僕は未成年だよ」

「私だって未成年よ」

「女神なのに年齢とかあるの?」

「あっ……。……うん、一応あるわ。外見年齢よ、外見年齢」

「ふーん」

 実年齢だといくつなんだろう。何千歳とかかな。でもヘッポコっぽいし神様歴は短そう。

 と、それはいいとしても。

「なんで酒場」

「手軽に地図が見られて、座りながら話ができるのがここだからよ」

「いや、でもやはり未成年が酒場は……」

「大丈夫よ、お酒は置いてないから」

「酒場なのに!?」

「当たり前じゃない。アルコールの分解にはタンパク質使うんだから。基本的にアルコールは筋肉増量に悪影響しか与えないのよ。筋肉がモノを言う世界でそんなもの置いてあるわけないでしょ。そのくらい考えなさいよ」

「じゃあもうそれ酒場じゃないよ! 酒のない酒場なんてただの『場』じゃないか! ファミレスに名前を差し替えろ!」

「あー、うるさいわね。この世界ではこういう場所を全部酒場って言うの! もう、『郷に入っては筋肉に従え』って諺知らないの?」

 知らねーよ! そんな諺あってたまるか!

 と言いかけたが、先にパステルが酒場の中へ入っていってしまった。言いたいことだけ言って押し付けるやり方が彼女のスタイルらしい。不本意だがそれに従うしかない。どうせ僕は彼女の力なくして蘇生できぬ身なのだから。

 パステルに続いて酒場の扉を開ける。すこし暗いオレンジ色の照明の中、大人数で腰を掛けて語らうであろう非常に大きい円形の木製テーブルが五つほど、二人組が向かい合ってグラスを当てそうな長方形のテーブルがいくつか、そして個人でやってきた者が飲んだくれてくれそうなカウンター席が僕の視界に入ってくる。

 僕はゲームでよく見た光景を実際に見られたことに感動してしまう。

「ザ・酒場って感じだね」という感動のあまりわけのわからないことをのたまってしまうのもしょうがないくらい、この酒場は酒場しているのである。酒は出ないらしいけど!

 しかし、その感動の中にどこか違和感があることに気が付く。その正体を探るために酒場の中を見回すと、間もなくそれがわかった。

「あ、そうか……。お客さんがいないんだ」

「開店前だからね」

「えっ?」

 ぎょっとして振り向くと、そこには熊のような雄々しい男がいた。ランニングシャツから飛び出ている腕は丸太のように太く、僕のウエストくらいある。脚部もすさまじい。オリンピックで活躍するスプリンターのようなしなやかで、しかし力強い筋肉の鎧をまとっている。身長は決して高いとは言えないが、体を纏う筋肉が実数値より大きい存在に見せていた。

 そんな男は両手に……肉だろうか。何の肉かはわからないが、とにかく肉だ。アイミートミート。

 そんな筋肉が服を着て歩いているような人がなぜここに?

「貴方は一体……」

「あ、マスター。勝手に上がっているわよ」

「え、マスター?」

 パステルがマスターと呼んだ男は、暑苦しい笑顔を浮かべて言う。

「開店前に来るなと言っているだろう、小娘」

「場所が欲しかったのよ。用事はさっさと終わらせて帰るわ」

「未成年のガキに使わせる場所も、飲ませる酒もないぞ。もっとも、酒なんて置いてないがな!」

 ガッハッハと豪快に笑うマスター。熊みたいな図体の割には朗らかな人だ。

 つか、本当に酒置いてないのかよ。本当に酒場かここ。

 そんな僕の感想はお構いなしにマスターとパステルの話は続く。

「十分だけ! 十分だけでいいから!」

「駄目だ」

 マスターが首を横に振る。開店前で忙しいだろうから断るのも至極当然というものだ。むしろ僕たちが出ていくべきだろう。

「じゃあ五分!」

「しょうがないな、五分だけだぞ」

「やった!」

「いや、譲歩が早すぎない? こういうのって引っ張って引っ張って『しょうがない、貸してやる。ただし条件がある。ちょっと困ったことがおこってな……』みたいな話の流れじゃないの? それがお約束ってものじゃ……」

「なにを言っているんだ彼は?」

「さあ? ヒョロガリの戯言よ、聞き流しなさい」

「ひっでえ!」

 ヒョロガリは事実だから否定しないとしても、戯言とはなんだ戯言とは。

 僕の怒りはやはり無視されて話は続く。

「ただし、五分たったら出て行くんだぞ。今日は忙しいんだ」

「そうなの?」

「ああ。団体の客が来るんだ。料理はいつもより時間をかけて、そのために開店時間を遅らせなければならない」

「あー、だからまだ開店してなかったのね。いつもはもう開いているのに」

 ふーん、話を聞く限りずいぶんと開店が早いんだなと思って店内の時計を見ると、まだ朝の9時だった。いくらなんでも早すぎじゃないだろうか……。こういう酒場って夕方から開店して夜通しやっているイメージなんだけど。

 そのあたりはどうなのかマスターに聴くと、出来の悪い生徒でも見る教師のような目で言う。

「酒場に入り浸るより早く帰って休んだ方が筋肉にいいだろう。なんで夜通し店を開かなきゃいけないんだい? 私だって人間だよ? 夜に寝て朝に起きる。それが生物として当然じゃないか」

「おかしいッ……! 絶対におかしいぞ……! 酒場っていうのはそういうものじゃないはずだ……!」

 なんなのこの酒場!? 個人経営っぽいから24Hの営業はないとしても、酒場なんだから夜にこそ稼ぎ時があるはずだ……! その日の疲れや気苦労を癒しに酒場に訪れて、アルコールによって心をリフレッシュする、それこそ酒場じゃないだろうか!

「これじゃただの大衆食堂じゃないか……!」

「なあ、小娘。彼はどうしてこんなにイラついているんだい?」

「さあ? 生理かなんかじゃないかしら」

「誰のせいだと思っているんだ、誰の!」

「…………誰のせいよ?」

 キョトンとした顔で首をかしげるパステル。そして、同じ態度を示すマスター。

「アアアアアアアアアアア!!!! その態度がムカつく!!!!」

「まあまあ、落ち着け少年。ストレスは筋肉によくない。筋肉を分解するホルモンをコルチゾールといってな、筋肉を脂肪に変えてしまって筋肉が上手くつかなくなってしまうんだ。それはよくない。怒りや憎しみは周りのせいではなく、自分の筋肉のなさのせいだと思えれば、原因は自分にあるとわかってくるはずだ」

「お前らのせいじゃボケエエエエエエエエエ!!!!」

「わっ、なんか怒っているわよマスター!」

「思春期なら誰しもあることだろう。私にもそういう時期があった。なあに、じきに落ち着くさ。思春期の怒りは筋肉痛みたいなもので、終わってしまえば些細なものなんだ」

「ウガアアアアアアアアア!!!!」

 その言葉を聞いてプッツンときた僕はどこから出しているんだという声で咆哮した。

 怒りに身を任せた後の数分は、今でも思い出せない。




「そういうわけで、この世界について地図を見ながら説明するわ」

「…………はい」

 酒場の一角、端っこに置かれた二人席に地図を広げてパステルは言う。

「これが『エルクサム・ナイエトープ』の全体マップよ。この世界は生前筋力不足で死んだ者や肉体に不満を持って死んだ者の魂が集ってできたとされるわ。彼らは日々体を鍛え、いつか望みどおりの肉体を手に入れた時、現世に戻るのよ。…………このあたりは説明したっけ?」

「聞いた」

「オーケイ。経済状況とか世界情勢とかも色々説明したいけど、貴方の目的を考えたらそんなの知ってもどうしようもないから飛ばすわね。

 この世界でモノを言うのは筋肉よ。筋力こそがすべて、筋力持たざる者は人に非ず。それこそがこの世界で絶対不変のルールよ」

「じゃあ僕は人非人か?」

「大丈夫よ。そういうルールはあってもここにいる人たちは基本的に優しいから」

 それ本当か? マスターは(無自覚だろうが)僕に酷かったぞ。

 パステルは全体マップの中央を指して言う。

「ここは今私たちがいる場所。特に決まった名前はないけど、セントラルだとか中心街とかそういう呼称が一般的よ。寝泊りとか食事はここでする」

「そう言えば今日の宿とか決めているのか?」

「ここの酒場は宿も一応やっているからここでいいかなと思っている。まあ、その辺は心配しないで。私がどうとでもするから」

「そう」

 次に彼女が指さしたのはマップの東側。赤い色で領地が囲まれた場所。

「ここはチ・キン地方。有酸素運動で体力を維持したり、脂肪を燃焼したりする運動をメインに行う地方よ」

 次に西側の白い色で領地が囲まれたあたりを示す。

「こっちはソ・キン地方。ウェイトトレーニングをはじめとした高い負荷を与えて筋力を爆発的に向上させることを主軸に置いた地方ね。最高品質かつ最新鋭の機器をそろえているから初心者でも安心!」

「その話を聞いただけで筋肉痛になりそうだよ」

「筋肉痛は次の筋肉を産むための大事なステップよ、受け入れなさい」

「それはいいんだけどさ……」

「何よ」

「そろそろほどいてくれないだろうか、この縄」

 僕は両腕もマトモに動かせない状態でテーブルに乗り出してそう言った。

 そう、怒りに身を任せた後、気が付いたらこの状態で椅子に座っていたのだ。

 身動きが取れず、縄が気になるから心ここにあらずの返事しかしてなかったのだが、とうとう縄の痛みに耐えかねてこの話を切り出したのだった。

 僕の懇願に対してパステルは鼻で笑いながら言う。

「お似合いよ、このボンレスハム。もっとも、肉つきは悪そうでおいしくはなさそうね」

「君もたいがいじゃないか、このド貧乳」

「あ゛?」

「ハハハ、まな板とボンレスハムで相性バッチシって言いたかったんだよ、マドモアゼル」

「言い訳になってねーわよ」

 彼女はキッと僕を睨んだものの、すぐに呆れた表情になってため息。ああ、幸せさんが逃げていくよ。

「縄はチ・キン地方についたらほどいてあげる。またマスターに縛ってもらうのも手間でしょ。また暴れられたらたまったもんじゃないわ」

「その口ぶりだと……チ・キン地方に行くのかい?」

 僕に足りないのは速く走るための筋力と、物を支える筋力だろうからてっきり筋力を爆発的に向上させるソ・キン地方に行くと思っていたが、パステルの思惑はそうではないらしい。

「そりゃそうよ、常時体力ゲージ赤状態男。今の貴方のヘナチョコ体力じゃトレーニングを始めた直後にすぐぶっ倒れるでしょ。まずは体力作りから始めるわ」

「ぐうの音も出ない理由だ……」

「時間もないから、さっさと移動して早めに始めましょ」

 そう言ってパステルは席を立ってしまう。マスターにお礼を言ってから扉を開けて外へ。

 その光景を見届けてもなお、椅子に座っている僕にマスターが言う。

「少年、後を追わなくていいのか?」

「追えませんよ」

 そう、僕には追えない。追う資格なんてない。

「どうしてだ」

「縄に! 縛られて! 自力で動けないからですよ!」

 パステルがそのことを思い出して戻って来たのは、それから三十分後のことだった。

 こんな世界とこんな女神で本当に生き返れるのかなぁ……と思うのも、無理はなかった。

                                  (続く)

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