ハローマッスル シーユーオラクル

永久部暦

第一話 グッバイマイライフ

―――リリリ

 ……………………。

――リリリリリリ

 …………ぅーん、やかまし。

ーリリリリリリリリリ

 …………もうちょっと静かにしてくれぇ。

ジリリリリリリリリ!!!!

「うるせえ!」

 やかましい音のする方へ拳を振り下ろす。真っ直ぐラインを描いた拳が正確に目覚まし時計のスイッチを叩き、やかましい音を封じる。

 さて、これで安眠を邪魔するものはなくなった。この地上の全ての活動をねじ伏せる怠惰の極み、二度寝をするとしよう。

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 いやいや、ダメだダメだ。今日は学校があるじゃないか、起きなきゃ。

 ガバッと上体を起こし、軽く体を伸ばす。そして、ベッドから出てカーテンを開ける。今日もいい天気、何か素晴らしい一日になりそうだ。

 唯一の不満があるとすれば、それは今日が登校日だということだ。

 僕はぐるりと自室を見渡す。真上から見ると縦長の長方形の部屋で、左上の頂点から時計回りにそれぞれ角A・角B・角C・角Dとすると、辺ABにベッドが、辺BCに机とテレビが、辺CDに本棚と出入口が、辺DAにクローゼットが存在する。窓は机の正面にある。特にこれと言って説明するまでもないような部屋だ。

 さて、そんな部屋の一角、テレビの近くに鎮座している据え置きゲーム機を僕は見る。昨日までの大型連休の初めに発売された最新の据え置き機だ。

 ロンチソフトは大人気シリーズの最新作であり、発売前からかなり期待されていて、当然僕もそれを買った。僕はこの大型連休、ずっとその最新のゲームを楽しんでいたのだ。

 無限にも思われた大型連休、それは昨日終わりを迎えてしまった。それと同時に、あのゲームの世界を心行くまで楽しんでいた僕も終わりとなってしまった。

 エンディングを見た、という意味ではクリアはしたのだが、むしろやりこみ要素はここからだ。僕の中でこのゲームは終わっちゃいない、むしろまだまだ続く旅の途中とも言える。

 だから、僕には今日学校に登校しないといけない、という事実がどうしてもつまらなく辛いものであるように思えるのだ。学生や社会人に襲い掛かる強敵・ブルーマンデー……、略してブルマン。僕もそれに抗えないちっぽけな命。ブルマンと言ってもいつか飲んでみたい高級コーヒーではない。

 たわごとはともかくとして、今は8時を回ったころの時間だ。結構急がないと遅刻してしまうぐらいの時間だ。

 パジャマを脱ぎ捨て、着慣れた制服を着こむ。今日は夏日になると昨日の天気予報で美人の気象予報士が言っていたが、まだ制服は夏服ではない。クソが。

 ワイシャツOK、スラックスOK、ネクタイOK、ブレザーOK。登校フォーメーション、承認だ!

「そーまー。学校に遅刻するわよー」

 階下から母の声が聞こえる。バッグを持って急いで降りることにした。

 リビングではすでに朝食ができていた。もう結構遅い時間なんだから当たり前だ。

「あら、毎朝朝食があることが当たり前だと思って? それは傲慢じゃないかしら?」

「まだ未成年で親に保護されるべき存在なんだから、そういう傲慢も許されるはずだ」

 そう言って朝食のパンとベーコンエッグにかぶりつく。10分もかからずに口に収納しきり、牛乳で流し込んで終わり。

 その様子を見ていた母が、呆れたように言う。

「年頃の男子だというのに、それだけで足りるの?」

「足りる」

「もっとしっかり食べなくちゃ。いつまでたってもヒョロヒョロでガリガリの針金ボデーなんだから」

「まあね」

 特に怒るような言葉でも、悲しむような言葉でもない、紛れもない事実に僕はうなずく。

 実際、僕の体はかなり痩せている。毎年行われる健康診断では、毎回痩せ気味だからどうにかしろ、と診断書に書かれる。身長は170cmくらいだが、体重は50kgあるかないかぐらいだ。身長170cmの適性体重が63kg前後であることを踏まえれば、どれだけ痩せているかわかるだろうか。

 痩せる努力をしているわけではなく、自然とそうなのだ。だからもうそのことは仕方がない。考えをめぐらすだけ意味がないというものだ。

「男子たるもの、もっとたくましくてもいいのよ?」

「前時代的だよ、それは。…………ごちそうさま。もう学校に行くね」

「はい、いってらっしゃい」

 その言葉を背に、僕は学校へと向かうのであった。




「はーっ、はーっ……。ゼー、ゼー……。い、いかん。このままでは遅刻する」

 さて、息が荒い中申し訳ないが、自己紹介をさせてほしい。

 僕は細井壮真ほそいそうま。高校二年生の男子だ。

 基本的なスペックは偏差値52の高校で真ん中の順位の成績を取る。くらい三連発で国語の成績の先行きが暗い。でもドントクライ。別にラッパー志望ではない。

 公立高校の普通科の文系クラスという、この世の高校生の半分以上が当てはまりそうな存在だけど、近隣の学生の間ではぼちぼち有名だったりする。

 なにで? それは僕が好きなものと関係している。

 先ほど簡単に触れたように、僕はテレビゲームが好きだ。休日はゲーム三昧、学校がある日も帰ってすぐにゲーム機の電源を入れる。テレビゲームをすることが生きがいだと言い切れる。ジャンルは問わない、だが一番燃えるのはやはり対戦ゲームだ。オンライン対戦は人類の英知が産んだ現代のコロッセオ。命の懸けどころ。

 そう思って世界的に有名な対戦ゲームをひたすらやりこんでいたら、いつのまにやら大きな大会に参加することになり、決勝戦ラウンドまで勝ち進んでしまった。その決勝ラウンドはインターネットを通して世界中に生中継され、その時に僕の姿も全世界に晒されるハメになった。それを見ていたクラスメイトが拡散した結果、あれよあれよと言う間に僕の個人情報はネットの海を漂流し、校内の普段テレビゲームもやらないような学生も、僕のことを知ることになった、と。

 そういうわけで、ちょっとだけ僕は普通とは違う人間なのかもしれない。でも、それは外的な部分だけであって、メンタリティやフィジカルは一般的な男子高生とそう大きく違いはしない。

 その方面で他人と異なる点を、強いて言うならば……、

「ゼヒーッ……ゼヒーッ……、ウエッ……ハァ……ハァ……」

 家から出て数分走っただけで息絶え絶えになる貧弱体力だろうか。母曰くの針金ボデーと相まって、僕は運動というのがひどく苦手で、体育の成績は残念ながら3取れればいい方、といったふうだ。

 まとめると、僕はテレビゲームが得意で、運動が苦手な、ある程度普通の男子高生ということだ。

 ところで、なんで走っているのかというと、いつも使っている道が工事でふさがっていて、遠回りしないといけなくなったからだ。ただでさえ成績があまりよろしくないのに遅刻を重ねるわけにはいかない。なんとか始業までに間に合うようにしないと……。

 まるで三日目の日没までに帰ってこないといけないメロスの気持ちだ。こんなひ弱男子と一緒にされてメロスも迷惑に思っているかもしれないが、僕だってメロスのような直情的な人間と同じに思われては困る。ある意味メロスと両想いな気持ちになって僕は走る。

「ヒッヒッフーッ! ヒッヒッフーッ! ヒッヒッフーッ!」

 まあ、こんな産気づいてるメロスじゃセリヌンティウス死にそうだけどね。




 ラマーズ法を使いつつ走っていると、僕が通っている高校の校舎が見えてきた。

 校舎の形状はかなり独特で、一般的に校舎の形とされる直方体ではなく、上空から見るとダイヤ……つまりひし形になっており、中央部にはひし形に型抜きされたような形の庭がある。アメリカ国防総省ペンタゴンのひし形版と言えばわかりやすいだろうか。

 とはいえ、変わっているところと言えばそれだけで、校風そのものは大して特徴的ではない。その変わっている校舎の形ですら、一年通って慣れた今、大したものでもない。

 校門を通って敷地内に入ると、徐々ににぎやかな声が校舎から聞こえてきた。にぎやかな声が聞こえるということは、朝のホームルームはまだ始まっていない、ということの何よりの証拠だ! スマートフォンで時間を確認したところ、ホームルームはまだ始まっていない時間だった。セリヌンティウスはまだ殺されてなかったんだ!

 学校に着くまでに激流を渡ったり山賊に襲われたりしたわけじゃないが、持ち前の体力のなさでこれ以上走れそうになかったので、なんとか間に合いそうでよかった。

 遅刻は免れそうだ、と安心しながら昇降口へと歩いていると、

「お、細井じゃん」「今日は寝坊しなかったのな」「ギリギリじゃねえか」

 上の方からそんな声が聞こえてきた。声のする方を見ると、クラスメイトの男子何人かが教室の窓から身を乗り出してこちらを見下ろしていた。いくら落下防止用の手すりがあると言えど、危険だから身を乗り出すのはやめた方がいいと思うんだけど。

 それはそれとして、そのうちの一人が僕に言う。

「ホームルームまであと五分もないぞー。急げー」

「わかってるよー!」

 僕がネット中継で顔をさらしたころから友達面し始めた、さして親しくもない連中に返してやる言葉など本当はないけれど、無視するのもそれはそれで気持ちのいいことではないから適当にそう返す。

 昇降口へ急ぐために再び歩き始めると、二階の教室の窓枠にもたれかかる生徒が何人も見えた。先ほどのクラスメイトと同じように、とても危険な状態だ。教師陣も危険だから手すりに寄りかかったり、身を乗り出したりするなと注意しているのだが、その忠告を聞かない生徒が多いこと多いこと。無視して落ちるのは本人の勝手だが、僕の目の前で落ちないでほしいものである。

「あっ」

 な~んて思いながら歩いていると、上からバキッというあまり愉快ではない音が聞こえてきた。そして、その直後に甲高い悲鳴。

「いやあああああああああああ!!」

「えっ」

 声がした方、すなわち上を見ると、僕に向かって垂直に落下してきている女子生徒が見えた。

「へえ、水色か」

 何が水色なのか。めくれあがっているスカートの間から見えたパンツの色のことである。眼福眼福。ちょっとだけ朝から得した気分だ。

「助けてえええええええええ!」

「嘘だろ、やっぱり落ちてる!」

 現実逃避パンツ覗き見している場合じゃない! 落下に巻き込まれないようにしないと!

 だが、女子生徒はもう目と鼻の先。逃げようにも、たぶん間に合わないだろう。

 そういうふうに理性的に判断できたかと言われればだいぶ怪しいが、とにかく僕は落ちてくる女子生徒へと両手を伸ばす。アニメやゲームで見るように、落ちてくる少女を受け止めようとしているのだ。

 そう、必ず受け止められるはずだ。事実は小説より奇なり、アニメやゲームを上回らずして何が現実か。

 伸ばした腕が落下してきた女子生徒に触れる。後は胸と足腰で支えるだけだ。

 ところで皆さんは高校2年生女子の平均体重をご存じだろうか。文部科学省によればおおよそ53kgらしい。その重さの物体がおよそ5m地点から自由落下し、僕の腕と胸に受け止められる……なんてことはなく、両腕から「バキッ」という音が聞こえた。

 あれ、これ受け止めるの無理では?

 そう思ったのもつかの間、胸部に凄まじい衝撃を受け、全身の骨という骨がへし折れる音がした。

 そして、天地が逆転したかように視界がシャッフルされ、叫び声や悲鳴がずっと遠くなり、意識がフェードアウトしていく。

 すごい! 誰もいない温泉で全裸になった時の300倍くらいの解放感と浮遊感がある! 

 意識が完全に消える直前にそんなふうに感じて、僕の体は動かなくなった。




「……………………か?」

 何秒、何分、何時間、あるいは何日ぐらい経ったのだろう。光も音も重みもない世界で漂っていると、ある時突然声が聞こえた。

「…………………すか?」

 学校でよく聞くような、大人への階段をのぼる、大人になりかけの少女の声だ。

 その声は頭の中へ直接響いているようで、僕を呼んでいる、そんな気がする。

「目を開けてください。私の声が聞こえていますか?」

 とうとうはっきりとその声が聞こえるようになった。やはり僕に用事があるらしい。

 でも、別に起きなくていいか。まだ眠いし。あと一時間寝させて。

「だったら永遠に寝てろこのナマケモノ!!!!!!」

 めっちゃ頭がキンキンする声を出してきた。うるせえ。

「…………なんのようっすか」

 お望み通り目を開けてやる。すると目の前にいたのは、やはりというか少女であった。背の小さい、サイドテールが目立つ見た目は十代中ごろの少女。

 その少女がほっ、と一息ついてから言う。

「やああっと目覚めてくれたのね。ずっと声をかけていたのに反応しなかったから心配したわ」

「目が覚めたというか無理矢理起こされたんですけど」

「そりゃね、死んでしまったとはいえ、ここまで反応がないとは思わなかったのよ」

「なんでわざわざ僕を叩き起こしたんですか。というか死んだ? 僕が?」

「目が覚めてくれてよかった。これから大事なことを話すわね」

「やっぱり落下を受け止められなくて死んだのか? いや、それはもういいや、終わった話だ。それよりあなたは誰だ? どうして死んだ僕に話しかけている?」

「貴方は死んでしまったのよ。不幸にも、女子生徒の落下に巻き込まれて」

「うん、それは理解した。君がさっき言ったんだ。それはいいんだ。それより君のことを教えてくれ」

「いや、だから貴方は死んでしまって、ここにいるの。その話を今しているんじゃない」

 話がわからねえな、このアマ。耳か頭が悪いのか?

 まあ、怒っていてもしょうがない。黙って話を聞いてみよう。

「女子生徒の落下に巻き込まれて死んでしまった貴方は、本来ならそのまま死んでしまう予定だったの。でも、不幸みたいなものだったことと、最期まで女子生徒を救おうとしていたことから、チャンスを与えようということになって……」

「…………なるほどね」

 これが噂に聞く「オーラ・ロードが開かれた」ってやつだ。一般的には「異世界転生」と言う方がわかりやすい。すなわち、僕の死を不憫に思った神が僕を異世界に転生させていい思いをさせてくれるわけ。

「となると、貴方はやはり神様?」

「私? 私はパステル。パステルと言っても画材のことじゃないわ」

「いや、そうじゃなくて」

「そうねぇ……。女神と言ったところかしら?」

「女神……女神ねえ……」

「なによ」

 訝しむような僕の顔を見て、パステルなる女神は不服そうにする。

 不服みたいだが、彼女はどこか女神っぽくないと僕は思う。

 理由としては、そうだな、やはり雰囲気だろうか。先の問答で感じたが、この自称女神はどこか頭が悪そうというか、男女の違いを示した車のバッテリーコピペのような「現実世界に普通にいそう」な感じがある。神々しさを感じないと言ってもいい。どこにでもいそうな、フツーの女性だ。申し訳程度に女神っぽい布を身に着けているが、それでも誤魔化しきれていない俗っぽさがある。

 そういうわけで、彼女のことを女神だと信じきれていない。

「なによその目」

「君、本当に女神?」

「そうよ。私は女神。ゴッデス。オーケイ?」

「本当かな。ちょっとジャンプしてみてよ」

「カツアゲするヤンキーみたいな方法で証明できるわけないでしょ!」

 そういう物言いがあまり女神っぽくないところなんだけどなぁ。

「な、なによ! 何が不満だっていうの! もっと女神っぽいことを言えと言いたいわけね!」

「結論としてはそうなる」

「えっ……。えーっと……えーっと……。あ、貴方が落としたのは金の斧ですか? 銀の斧ですか?」

「命だよ」

「いや……その……なんかゴメン」

「…………こっちこそ、変なこと頼んじゃってごめん」

「………………」

「………………」

 突然のしんみりムードになって、二人して黙り込む。それにしても、本当に女神らしくない女神だ。イマドキ金の斧と銀の斧とは、女神のイメージが貧弱すぎる。

 まあ、こんな女神でもきっと僕を都合のいい世界に連れて行ってくれるのだろう。それなら、別にいくら女神っぽくない女神でも構わない。

 さて、本題に戻ろうかとばかりに僕はパステルに話しかける。

「それで、僕はどんな異世界に連れて行ってもらえるの? ゲームの才能がそのまま能力に直結する世界とか?」

「は?」

「は? って……」

 僕が話を元に戻した途端、このアマ、クソ暑い真夏日にクリームシチュー喰いたいと言い出した人間を見るような顔をしやがった。

「いや、チャンスを与えるって言ったじゃないか。辛い事ばかり現世のしがらみから逃れて、僕にだけ都合のいい世界に連れて行ってくれるんじゃないのか?」

「誰がそんなこと言ったのよ。手取り15万円、月残業100時間前後の会社もある情勢の中、そんな都合のいいことあるわけないじゃない。甘えんな」

「ええ……」

「人事を尽くして天命を待つ、という言葉を知らないの? 何にも貢献できず、何の努力をしていない人間が運命を掴みとるなんてそんなバカらしいことある? 仮にそんなことを考えているようなら、貴方のその考えはサトウキビジュースくらい甘いわね!」

「君、沖縄の人なの? 本当に女神?」

 というか沖縄の人でも、さすがに「甘ったれている」と言うのにサトウキビジュースをたとえに出さないと思う。沖縄の人に会ったことなんてないけど。

「ところで……えーっと、名前はなんていうのかしら? 細井壮真って感じの名前してそうな顔だけど」

「うん、そのままズバリだね。むしろ知っていたのかってくらいドストライクだね。なんで知っているのさ」

「壮真、サトウキビの『キビ』ってどういう意味か知っている?」

「スルーかい。…………いや、わからないな」

「世の中『キビ』しいってことだよ頭シュガースポット野郎!」

「罵倒の仕方が独特! 心に響かない!」

「とにかく! 貴方に都合のいい世界なんてないわ。そんなのはただの幻想よ幻想!」

 僕の考えを妄想とバッサリ切り捨ててパステルは言う。

「貴方に与えるチャンスというのは、蘇りのチャンスよ」

「蘇り」

「そう。死んでしまった時から、死んだ日の朝まで時間を戻してあげるのよ」

「………………」

 蘇り……、蘇りか……。

 思案顔になった僕に不満を感じたのかムッとした表情になるパステル。

「何よ、生き返りたくないの?」

「…………そういうわけじゃないけれど」

「なら決まり。じゃあ蘇りのための条件について話すわね」

 割と強引に決められてしまった。でも、死んだままよりは、いくら現実が辛くても生きている方がいいと思うから、そのあたりに不満はない。

 それより、そのための条件というものが気になる。確かにパステルは一貫して「チャンスを与える」と言っている。チャンス、つまり物事を叶えるためには対価が必要であるという話である。

「タダじゃ生き返らせてくれないの?」

「当たり前じゃない。甘えんなって言ってんでしょ」

「そうだろうと思ったけど」

 人死にを無効にしようというんだから、それなりの対価はしょうがないと思うことにしよう。

 しかし、パステルの真意としてはそうではないらしい。

「というより、タダで生き返っちゃうと結局死んだ時と同じことを繰り返すだけでしょ? だから、そうならないようにやってもらうことがあるの」

「…………死んだときの記憶があるなら、なんとしてでも避けようとすると思うけど」

「あくまで『死んだ日の朝に時間を戻す』だけよ。記憶も当然巻き戻るわ」

「それなのに、やってもらうことがあるって?」

 時間が巻き戻るのであれば、何か行ったとしても巻き戻るだけなのでは。

「そう、記憶や経験というのは巻き戻るわ。それは未来でしか得ることができないものだから。今、それらを手に入れても、死んだ日の朝に戻ればなくなってしまう。

 でも、未来でも過去でも手に入れられるものがある」

「それは一体……?」

 怯えるような、期待するような、どちらとも取れる声で僕が聴くと、パステルはニッコリととても魅力的な笑顔を浮かべて、自信満々に告げる。


「それはズバリ、筋肉マッスルよ!」


 …………………………。

筋肉マッスルよ!」

「二回言わなくていいから」

「ごり押し《ハッスル》よ!」

「上手いこと言わなくていいから」

 それにしても筋肉? なんで筋肉? ホワイドゥーユーセイドマッスル?

「ごめん、意味わからないんだけど。どうして筋肉なの?」

 いろんな意味でわけわからない。どうして筋肉が条件なのか、どうして筋肉なら巻き戻しの影響外になるのか。いろいろ。

「未来でしか手に入らないものは、過去に戻れば消えてしまう。

 でも、筋肉は未来でも過去でも手に入る。そういうものなら、たとえ未来で手に入れたものでも、過去に手に入れたことにできる。死んだ日の朝に戻しても『すでに手に入ってる』わけだから問題ないって寸法よ。

 そして、なぜ筋肉が必要なのか、それを答えるために一つ聞くわ。

 貴方の死因は何?」

「それは……」

 突如空から落下してきた女子生徒に潰されたからではないだろうか。

「そうよ。じゃあ、その死を回避するためにはどうすればよかった?」

「女子生徒を見捨てる」

「見捨てんな」

「そんな」

「…………その方針でいくと、そもそも女子生徒の落下に遭遇しなければ貴方は助けに入ろうとしなかったわね?

 貴方は偶然その場面に遭遇してしまった。それは貴方が遅刻ギリギリで学校にやってきたから。それも死の遠因と言えるわね」

 そうだ、いつもの通学路を通れていればある程度時間に余裕をもって学校についていたはずだ。それならば、あの女子生徒の落下に巻き込まれることはなかったはずだ。確かにそういう見方もできるかもしれない。

「通学路の工事は避けられない運命よ。遠回りしないといけないなら、もっと速く走れれば、早く学校につくことができるはずよ」

「もっと速く走れって……」

「あるいは、落ちてきた少女を受け止められたら二人とも死ぬことはなかったわね」

「いやいやいや。高さ5m前後の場所から落ちてきた50kg以上の物体を人間が支えきれるわけないだろ!」

「失礼ね! その女子生徒の体重は49kgよ!」

「そんなの誤差だろ!」

「ええい、やかましいわ! と・に・か・く! もっと速く走るか、女子生徒を支えきれるだけのパワーがあれば貴方の死は避けられるの! そして、それらを手に入れるために必要不可欠ものが……」

「ものが!」

筋肉マッスルよ!」

「だいぶ無茶苦茶な理屈だ!」

 確かにもっと早く学校についていればあの悲劇はなかっただろう。それについては説得力もあるし納得もできる。

 でもそれは早起きなりなんなり他に方法があるだろう!

「できるの? 早起き? 貴方が?」

「………………いや、たぶんできない」

「そういうことよ。だから、貴方にはこれから自分の命を救いうるだけの筋肉を手に入れてもらうわ」

「ぐっ……」

「いいわね?」

「………………」

 本心を言えば、よくない。まったくよくない。運動なんてしたくない、ずっと家でゴロゴロしていたい。その生活には筋肉は大して必要ではない。だから、筋肉なんていらない!

 しかし、生殺与奪の権利がこちらにない以上、従うしかないのが現実。ここでノーと叩きつけてもあの世界には帰れないのだから、僕には選択肢などないのだ。

 本当は嫌だ、嫌だが、頷きたくなく、逃げたいが、しょうがなく……本当にしょうがなく僕は首を縦に振った。

「はい、決定! じゃあ、こんな真っ暗で何もないところからおさらばするわよ!」

「移動するの?」

「ええ! そういう意味では、貴方の望む『異世界転生』ってやつは叶うことになるわ!」

 それは僕にとって多少は救いとなる言葉だった。こんな何もない場所でひたすら筋トレさせられた日には、発狂してしまうに違いない。どんな場所であれ、移動させてもらえるなら、ましてそれが異世界であるならどれだけ良いことだろう。

 興奮を隠しきれずに僕は聴く。

「異世界に? どんな世界だい?」

 やはりニッコリとした笑顔でパステルは言う。

「腹筋と背筋の狭間にある世界『エルクサム・ナイエトープ』よ!」

「えっ、何その肉々しい世界」

 マッチョなお兄さんたちが笑顔で手招きしている光景が頭に浮かぶ。

 体育会系じゃない僕からしたら、それは地獄と言わざるを得ない。

「ちょ、ちょっと待って―――」

「それじゃレッツラゴー!」

「い、嫌だ! やっぱりそのまま殺してくれええええええええええ!!」

 パステルが僕を引っ張って白い円状のワームホール的なものへ突入、僕の声は真っ暗な世界にむなしく響くのであった……。               

                                  (続く)

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