本当の敵-09

「本当の敵-09」


 人狼は人に化ける。だが、目の前の人狼はアンナの皮を被っていた。小さな身体に黒い巨体を詰め込んでいた。

 辺りに血の匂いが立ち込める。

 リタは小銃を構えた。猟銃でないのがこころもとない。

「アンナはいつから人狼だった? 彼女は死んだのか!」

 音をたてて関節を調整する黒い人狼。くつくつと笑って巨体を震わせる。

「おいおい、説明してなかったのか、アセナ! あの娘の皮をどうしてオレが持っていたのか!」

「アセナ、あなた知っていたの?」

 アセナは目の前を見据えたまま答えない。リタは頭の中で整理する。

 裏切り者。アンナ。娘の皮。アンナの皮というのは本物? だとしたら、彼女はもう。

 いつから。

 いつから。

 訓練時に攫われたときは彼女だったように思う。そして、アセナと私がアンナを抱えた人狼に追いついた。あの時、人狼はもう一匹いた……アンナの皮を既に被っていたとしたら。彼女は既に死んでいて、入れ替わっていた?

 現場に血が落ちていた。アセナと攫った狼は結局、戦うところを見なかった。

 アセナは人狼。内通者は目の前の黒い人狼。母を殺したあの狼。これをアンナの中にいれるため、赤ずきんに潜入させ父を暗殺しようとした――。

 リタは引き金を引きそうになった。全ての元凶が目の前にいる。

「目の色が変わったな。アセナ、どうやら目の前の女は気付いたようだぜ。オレとお前が組んで目の前の女の親を殺そうしたことを」

「――っ……黙れ!」

「リタ、よせ!」

 アセナの制止を聞かず、リタは小銃を撃ってしまう。命中したが黒い人狼の厚い胸板にはじかれただけだった。

「いてえじゃねえか」

 人狼は苛立ったように低く唸る。そして、体制を低くした。

 来る! 

 アセナとリタは左右にとんだ。転がり、構える。やはり、人狼はリタの方に向いていた。

 間近に迫った吐息は生臭い。アセナからは血の匂いななかった。

 けれど、二匹は仲間だ。あの時、アセナはリタを救ってくれたとしてもそれは変わらない。

 リタは太ももとのベルトに挟まっているナイフを取り出した。これは護身用だ。目の前に人狼が現れて、死ぬ間際の抵抗をするための。

 だが、死ぬ気は毛頭ない。素早く取り出し、目の前の人狼の肩に差し込んだ。ナイフの刃は銀製である。

 刺して、すぐ抜く。

 黒い人狼は呻いた。吠える。月を背景に吠える人狼は大きく、リタは震えた。やはり、今まで見た中で一番禍々しい。

 暗闇に目が赤く輝く。でも、怖がってなどいられない。ようやく、会えた。宿敵だ。ずっとこの狼を追っていた。

 アンナはもっと怖かったに違いない。

 人狼が痛さでリタを薙ぎ払う。受け身で後方にとび、衝撃を和らげる。

 もう少しで木に打ちつけるところであってが、回転し、着地。

 数年で培った身体能力だ。リタはすぐさま、人狼に飛びかかる。まるで獣のように叫びながら。感情的になってはいけない。冷静な自分が警鐘を鳴らす。けれど、こいつを殺せば全てが終わるのだ。

父もようやく休める、そう思ったら焦った。


人狼はリタの飛びかかってきたリタを避けて、その腕を持った。片腕を軽々と掴まれて高くつるされる。

「捕まえた! これが同胞をたくさん殺してきた奴の面か!」

 リタは足をばたつかせる。このままでは腕を折られる。腰の小銃に手を伸ばしたが大きく上下に揺さぶられ、落とした。

 その小さな銃を人狼は足で踏みつける。

「アセナは手を出してこないな。見捨てられたか、お前。エセでも狼は狼。人間は憎いし肉にしか見えない」

 ダジャレを一人で言って受けている。

 食べる気だ。私を。

 母のように内臓を取られる。死ぬ。

 人狼は大きな口を開けた。足先から食われるのか、と戦慄した。人狼は口を閉じた。

「そうだ。さっきのナイフもそうだし、前食った赤ずきんも銀色のネックレスつけてたな。全部取ってから食うか」

 人狼は、リタの赤ずきんを爪ではぎ取った。コルセットもはぎ取ろうとしたとき、人狼の手が止まる。

 瞬間、リタは解放された。地面に下されて、見上げるとアセナが人狼の肩にかみついていた。

 黒い人狼が咆哮を上げる。

「お前、何をしている……! こいつは全ての元凶の娘だぞ! こいつの親がどれだけの仲間を殺したと思っている!?」

 アセナは答えず、さらに牙を突き立てた。獣のうめき声が響く。黒い人狼はアセナの頭をつかみ投げ飛ばした。リタはすかさず、落ちていた小銃で人狼の片目を狙う。

 命中し、更に大きく吠える。

 だが、痛みで動きが鈍くなった人狼は片目を押えて、大きく跳躍した。高い位置の木の枝につかまり、闇に消える。

 追おうとしたリタをアセナが止めた。

「無理だ、追えば殺し合いになる」

「殺せばいい! アセナ、あなたもやっぱり、狼ね……もう少しで殺せたのに!」

「もう少しで殺されたのは君の方だよ」

「二人なら殺せた!」

「……そうだね。でも、僕はあいつを殺せるかわからないよ。人間も嫌いだから」

 アセナはそこで一呼吸置いた。

 リタも熱が冷めていく。

 月が消えた。辺りは本当に静かで、暗闇は生き物の気配を感じさせない。


 アセナは狼の姿から、人の姿に再び戻る。変型すると服まで戻った。全ては幻。

 銀色の髪が鈍く輝いた。アセナは声を低くする。

「君は知っているのかな、君のお父さんが狼の毛皮を貴族に献上していることを」

「なんですって……?」

「皮をはぎ取って、洗って、売るんだよ。とても高値で取引されているんだって。知ってた?」

 皮をはぎ取って。アンナのように? 

 手から力が抜け落ちた。信じていたものが全て音をたてて崩れようとしている。そう言えば狼を殺したあと、その死体を猟師ハンターにいつも引き渡していた。

 処理は彼らに任せその先のことをリタは知らない。

「それがレッドフードの資金源になっていたんじゃないの」

「おかしいじゃないか。人類のために戦っているんだろ。国から支援金はなかったのかい」

「私設だから、全ての援助は得られなかった。正規軍の《ハンター》とは違う」

「そんなの詭弁だよ。バレたときの。僕らはそう感じる。正規軍が憎い狼を倒すのは立派な理由だ。彼らは堂々していたらいい。でも赤ずきんが殺すのは。団長の私情、ボランティア精神から? お金が必要だけど、無いなら売るしかない。この仕組みを作ってしまえば狼も殺してもらえるし、それで儲けることもできる。一石二鳥。でも嗜好品として貴族らが毛皮を取り扱うのは別問題だ。狼に家族を殺された一般市民はどう思うかな」

 アセナが調べていたのは、こういった事情だったのだ。

 なぜ、赤ずきんは実績があるのに正規軍に加えてもらえないのか。私設のままなのか。運営費は父が秘書をつけて管理を行っていた為、リタは一度も帳簿を見せてもらったことはなかった。


 ――私はただ、一匹でも多く人狼を倒せばいいと何も考えてこなかった。


 冷たくなっていく体。冷えていく。はぎ取られた赤ずきんを拾わないと、と思うのにそれに触れてしまうとまた、何も考えられなくなりそうだった。

 あの赤い頭巾をかぶっているとき、リタは狼を撃つだけの傀儡になったようだった。感情を無くして、何のために戦っているのかわからず、号令に従うだけの。

「人間は僕らから住む場所を奪い、そして尊厳さえも奪おうとしているんだ。憎むのは当たり前だよ」

 アセナの言葉にリタは何も返せなかった。彼はリタを責めてない。ただ、事実を述べているだけだ。

 彼は動けないでいるリタに変わって、破れたフードを拾い、肩に被せた。

「……どうして、私を助けてくれるの」

 地下牢から助けてくれたときも。母と一緒に殺されそうになったときも。アンナは助けなかったのに。それとも後で殺すのだろうか。

 アセナはリタの肩で手の動きをとめた。そして咳払いする。

「と、友達だからね。人であっても狼であっても友達なら助ける」

「そんな理由なの……裏切り者と扱われても?」

 リタは驚いて彼を見上げる。後ろのアセナと間近で目があった。

 暗闇に視界が慣れたので、アセナが照れたように笑っているのがよくわかった。

 何故か、涙が滲んだ。

「あなた……馬鹿なの?」

「嘘だろ。この状況でそれはないだろ!」

 途端にリタは笑えてきた。腹を抱えて笑ってしまう。すべてが彼のように単純明快であれば世界はもっと平和なのかもしれない。

 笑い方はちゃんと覚えていた。久しぶりに声をあげて笑った。

 悲しみも、恐怖も、憎しみさえも笑ったら少し和らいだ。


 みんな、きっとそのことを忘れているのかもしれない。



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