本当の敵-08
「本当の敵-08」
まだ、狼が人を襲ったりしていなかった頃。リタはよく庭の花畑で遊んでいた。洗濯物を干す母。家の中で木工細工を作る父。春先の日常だった。
花輪を作っていたが、何者かの視線を感じ、リタは顔をあげた。リタの家の周りは民家がなく、あるのは森林だった。
その影から、獣がこちらを覗いていた。狼だった。童話「赤ずきん」を知っていたから、リタは一瞬怖くなった。
けれど、陽の下に現れた狼はまだ小さく愛らしかった。まるで子犬のようだと思った。その子犬が頭を振ると一人の少年に変化した。灰色の髪をしたぼさぼさ頭の少年。当時のリタと同じくらいの年齢だった。
けれど、尻尾はそのまま変化できずに残っていた。
友達も少ないリタはすぐさま興味を持った。
「あなた、おおかみ……なのよね?」
「そうだよ」
「人の言葉がわかるの?」
「うん。僕は半分、ひとの血が入っているんだ」
「どういうこと?」
「お父さんが狼でお母さんが人間なんだ」
「へえ。じゃあ、怖くないのね」
「そうだよ」
細い少年がこちらに歩んできた。リタは花輪を掲げてみせた。
「きれいでしょ。あなたにあげようか」
「くれるの?」
ほほ笑むと少年も嬉しそうに手を伸ばした。花輪を頭の上に乗せる。少年もようやく笑顔を見せた。
「名前はなんていうの? 私はリタっていうの」
「僕はアセナだよ。ねえ、友達になってよ。狼たちは僕と遊んでくれないんだ」
「かわいそうね。私も友達の家とおくていつも一人なの」
「やった!」
「指切りしましょ」
リタが小指を差し出す。アセナは首を傾げた。リタは方法がわからないのだと思って、彼の手を取ろうとした。
けれど、父が大声で叫びながら走ってやってきた。二人の間に割って入る。
「じ、人狼なのか!?」
父はアセナの尻尾を凝視していた。リタは「違う」と説明しようとしたけれど、家に入っておけ! と怒鳴られた。アセナは慌てて狼に戻り、森へと戻っていった。
父は震える手で引き金を引く。銃声があたりをこだました。
母もやってきて、リタを頭から抱きかかえた。父は「お前は何を見ていた、もう少しでリタが食われるところだったんだぞ……!」と母を怒鳴った。
リタは違うのに、と不満だった。
そのとき『お父さんは何をそんなに怖がっているの』と尋ねそうになった。
けれど、できなかった。
子供ながらに空気を読んだ。
――父は、あの頃からいつも何かを恐れている。
それでいて、自分の恐怖心を気づきたくないように思えた。
× × ×
夢だ。幼い頃の夢。または、思考の延長上にある記憶の整理。人が死ぬ前に見るという走馬灯かもしれない。
リタは独りで口の端を釣り上げた。
夢の中の狼の名はやはり彼だったのか。妄想か、事実、過去か。
「何がそんなにおかしいの」
暗闇の中、声がした。何故か、リタの表情が見えるらしい。
声の主が理解できたとき、その理由もすぐにわかった。あまりにタイミングが良い。けれど、ずっと考えていたことなので、リタは驚かずに済んだ。
「アセナね」
「助けにきたよ」
既に部屋の中にいるようだ。
静かな夜――いや、時間はわからない。
「どうやって部屋に入ったの」
「鍵を盗んだだけだよ。鍵を持っていた女の子には眠ってもらっているけどね」
「何故、私を助けてくれるの」
「君は僕を庇ったんだろう」
「どうして、この暗闇で私の表情がわかるの」
「目がいいんだよ」
「どうして……銀細工が平気なの」
「僕は人の子供でもあるんだよ。覚えていないんだね」
まるで、おばあさんに扮した狼が赤ずきんと会話している時のようだ。次々、質問させて言いたい答えに誘導する。
「私を殺しにきたの」
私はアセナが狼だと気づいている。でも、疑われている時点で私を殺しても意味がない。考えた通り、アセナは違うと言った。
声と気配は私の後ろにまわった。
「君を助けに来たんだ。早くここから出――」
「父を殺そうとしたのは、あなたなの」
アセナの動きが止まる。彼は私の手首のロープをナイフで切ろうとしているようだ。
「そうだと言ったらどうするつもり……」
再び彼はロープを切りはじめる。私は迷った。
ロープを切ってもらったら彼からナイフを奪う。そして目を潰す。または、明るい場所に出たとき、人狼だと叫ぶ――。
ロープが切れた。頭の中で父の『撃て!』が響いた。銃は持ってない。けれど、攻撃しろとずっと叫んでいる。
心臓が強く脈打った。
殺気を感じたアセナは沈黙した。すぐに彼は大きく嘆息する。
「僕は君の父親の暗殺計画には加担してないよ」
「本当?」
「嘘か本当か信じたい方を信じればいい。僕はもう行くよ。それとも、一緒に来るかい。どちらにせよ、君はここに居づらいはずだ」
アセナの言う通りだ。私はここから脱出してもすぐに逃亡犯扱いで捕まる。
「……巣に連れていかれて食われるのかしら」
「君は人狼をたくさん殺しているからね。それはそれで復讐したい奴はたくさんいるし、喜ばれそうだけど。僕のメリットにはならないかな。不安なら銃を渡すよ」
アセナは私の手に小銃を渡してきた。人は殺せるだろう。いざとなれば護身用にはなる。弾倉も確認する。弾は入っている。
とりあえず、リタは頷く。アセナは扉を開けた。
螺旋階段を上がり、倒れている赤ずきんを尻目に裏口から出る。アセナはそこで人の姿から灰色の毛並みの狼になった。
普通サイズの狼とは段違いに大きい。
人狼は人と獣の混じった姿と、人間、そして狼の姿に化けることができた。知ってはいるが、間近で変身するところは初めて見た。
「昔も見てただろ。じろじろ見ないでよ」
そうか。花畑でリタは狼の姿から少年になるのを見ていた。あの過去は現実だったのだ。
「乗って」
「え?」
説明をするのを面倒がったアセナは、リタを咥えて背中に放る。一瞬のことなので、リタは驚いた。今、牙を向かれていたら死んでいた。
「一気にここを抜ける! しがみついて!」
言うが早いか、アセナは四足で走り出した。すぐさま、月の下に現れた人狼に見張りの赤ずきんが反応する。見張り台の赤ずきんが銃を撃ってきた。
素早く避けて、じぐざぐと複雑な動きをする。
警笛が鳴り響き、赤ずきんが次々と現れてアセナを撃った。リタは顔を伏せている。赤ずきんの一人が誰か背中に乗っていると叫んでいる。
それがリタだと気づくのは時間も問題だろう。逃げ切れるか。
銀を塗った矢が飛んできた。アセナの太ももに刺さる。少し体制を崩した。けれど動きを止めない。
追いつかれる。
「アセナ、私を捨てて! このままじゃ追いつかれる!」
「銀の矢は少しなら平気だ。黙って、舌を噛むよ!」
正面から、ロッテが現れた。銃を構えて撃つが当たらない。そして、背中のリタを見て叫んでいた。
今夜は第二部隊の当直はないようだ。リタは、ほっとした。彼女らがいたら、少し逃げるのを躊躇ったかもしれない。
アセナは一人の赤ずきんも攻撃せず、木製の城門を軽々と飛び越える。
浮遊感。そして、着地。
降ってくる銃と矢。森に入ると赤ずきんらは追いつけない。
まるで風になったような感覚だ。久しぶりにリタは爽快感を感じていた。何も考えずにずっとこうしていたい、とさえ思った。
が、アセナが動きを止める。先回りしていた一人の赤ずきんがいた。どうして、行く先がわかったのか。
リタは静かに彼の背中から降りた。
小柄な赤ずきんだった。顔を上げる。雲に隠れた月が現れ薄闇に知った顔が現れた。
「アンナ……?」
甲冑を着てない。アンナは銃を構えていた。その顔は無表情だった。
「裏切り者。話が違う」
意味が解らない。ところが、アセナはそのまま彼女と会話する。
「僕は僕のしたいようにする。全て協力するとは言ってないだろ」
「黙れ! やはりエセ狼だったんだな!」
アンナは銃を撃ってきた。アセナとリタは跳躍して避ける。
「どういうこと、アセナ!?」
「つまり、僕が内通者であって、彼女が君の父を殺そうとした……」
アンナが苦しそうに呻いた。体を震わせて背中が避ける。そこから虫の脱皮のように何か黒い物が溢れた。
血が飛び、ねばついた液体をまとった、それは黒い狼。
「暗殺者ってわけだ」
アセナの言葉をどこか遠くで聞いている。アンナに化けていた。いや、あの化け方は彼女の皮を被っていたというのが正しい。
リタは禍々しい獣に恐怖を覚えた。
あの小さな体から現れたこの人狼を私は知っている。
手が震える。死んだ母の虚ろな目。
――目の前の狼は母を殺した、あの狼だ。
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