アロエナの未来




 お腹に子供がいると分かった時、真っ先に考えたのは仕事ができなくなったら嫌だな、ということだった。

 アロエナはこれでもカッサの店の一番手を自負している。

 どんな相手にも合わせられた。

 冒険者の中には乱暴者もいたけれど、そんなことで怒ったりはしない。

 貴族にだって恥をかかせたことはなかった。

 ティグリスの爺さんなどは、乗り方が下手だという理由で貴族の坊っちゃんを振り落としたことがあるそうだけど、アロエナに言わせればそれは傲慢というものだ。

 自分達の仕事は人間を乗せて移動すること。

 時に守り、いざとなれば落とさないように素早く逃げる。

 アロエナは仕事に誇りを持っていたし、働くということが好きだった。



 番(つがい)の相手であるゴルエドは、アロエナほど仕事に執着はしていなかった。

 乱暴な冒険者相手に一喝することもあったし(それは全く通じていなかったが)、相手が子供であろうとも真剣に怒っていた(同レベルに立っていたとも言える)。


 アロエナは時々、何故ゴルエドと番になったのだろうと首を傾げたものだ。

 単純に、発情期が同じだったという理由もある。

 一応調教師のリコラが相手を探してくれようとはしたのだ。

 結局、一度だけ顔合わせをした相手が気に入らなくて、手近にいたゴルエドでもいいかと思った、そんな気がする。

 ゴルエドは発情期に入る前からアロエナに粉をかけていたので、情けをかけてあげたという気持ちもあった。


 番になると、ゴルエドはこれまでの怠惰な様子から一変して、アロエナを気遣うようになった。

 厩舎内でも、リコラが綺麗に整えてくれた藁をせっせと彼の思う居心地良い形にやり直してみたり、彼の大好きな岩猪の胃袋を半分食べさせてくれたり。

 どれもアロエナにとってはいらぬ世話、むしろ逆効果だったのだが、ゴルエドなりの愛情表現なのだろうと受け止めた。なにしろ藁はリコラの方が上手に整えられるし、魔獣の内臓は実は好きではない。

 リコラなどは、

「アロエナ、愛されてるなー」

 などとからかってきていたが。

 とにかく、仕事を終えると厩舎内でだらーんと過ごしていたゴルエドは、今や貴族の護衛か従者のようにアロエナに尽くしていたのだった。




 当然、子供が出来たと分かった時も、ゴルエドは喜んでいた。

 自分達の子供だーと嬉しさのあまり厩舎内を壊しかけていたほどだ。リコラや、他の騎獣担当の調教師に押さえつけられていたが、本獣は全く気にしていなかった。


 それからは厩舎内もいろいろ変わった。

 部屋を広くしたり、産室を作ったり。

 有り難いことだと思う。

 ティグリスの爺さんが、種付けいいなーとのんびり語る横で産むのは確かに嫌だ。

 フェンリル達は、にわかに番を探す遊びを始めたし。

 もっともこれはゴルエドが悪い。番の相手もいないなんて、成獣(おとな)として有り得ないと吹聴したのだ。

 厩舎内では番探しが流行り、一時は仕事にも影響した。仕事先で、別の騎獣に声をかけるという事案がたびたび発生したのだ。

「お嬢さん、俺と番にならないかい」

 と、やらかしたわけである。

 その話を聞いた時、アロエナはかなりイラッとしたものだ。

 仕事に対して真面目に取り組むアロエナとしては、そうした話は別でやれ、と言いたい。

 元はといえばゴルエドが自慢したからで、リコラはフェンリル達とゴルエドを叱ったものだった。




 そして子供が出来てから、リコラはアロエナの仕事量を分かりやすく減らした。

 アロエナは抗議し、なんとか仕事をもぎ取った。そうすると今度はゴルエドがリコラへ抗議する。

 イラッとして噛み付いたりもしたが、結局仕事量は減らされてしまった。

 むしゃくしゃしているところに、シウとフェレスがやってきた。


 シウとは、騎獣のフェーレースの子を卵石から育てている人族の子供だ。

 ある日ふらっとやってきて、馬や騎獣のお世話をさせてほしいとカッサに頼んでいた。

 王都に住んでいる子で、まれにこうやって押しかけてくることはあるけれど、役に立ったことはなかった。

 人間にはきつい仕事なのだ。

 だから、やってくる子にはいつも「汚い、しんどい、大変だ」と言って、大抵はお断りをする。

 けれどシウの時は、礼儀正しい様子と騎獣の子を連れていることから「じゃあまあやってみたら」とカッサは許可していた。

 まずは馬の厩舎を綺麗に掃除すると、最後に魔法で浄化。藁を居心地良く敷き直し、ブラッシングはとても丁寧だった。馬達は威嚇することもなく気持ち良さげに受け入れていた。最初から、親しい相手のように振る舞い、愛情表現を示す馬までいたほどだ。

 その様子や世話のやりように厩舎で働く者達は皆驚き、それから彼が来ると当たり前のようにこき使った。

 騎獣の世話も最初こそ調教師達に聞きながらだったが、すぐに覚えて手慣れた様子で熱心にやってくれた。


 アロエナはシウが好きになった。

 ブラッシングがとても丁寧で、かゆいところに手が届くというのか、よく獣のことを分かっている。

 決して下に見ることもなく、お世話させてね、と言ってくる言葉に嘘はない。

 穏やかな気質と、優しい笑み。

 人間としては時々おかしな発言をするらしいのだが、騎獣であるアロエナにはどうでもよかった。


 彼が来るとアロエナは途端にそわそわしてしまう。

 誰にも言ってないが、卵石の時、彼に拾ってもらえたらどうなっていただろうと考えたこともあった。

 きっと大事にしてもらったはずだ。

 散々甘やかされて可愛がられているフェレスを見ると、微笑ましい気持ちと共に、ちょっと羨ましく感じる。


 この仕事場が嫌いというわけではないのだ。

 店主のカッサは騎獣達を丁寧に扱うことを信条としているし、リコラを始めとした調教師達は皆、真面目で一生懸命に接してくれる。

 無理難題を吹っ掛けたりもしない。嫌な客に対しても毅然とした態度で断ってくれるので、頼もしい。

 よその店ではたまに鞭で打たれることもあると聞いたので、ここに売られて良かったとは思うのだ。

 ただ、ふと考えたりする。

 もし拾ってくれた人にそのままずっと育ててもらえ、なおかつ常に一緒という生活をしていたら、それはどんなだったのだろうかと。

 シウとフェレスを見ていると、嬉しいような、どこかむず痒い気持ちになるのだった。


 アロエナが夢見る、もう一つの生き方だったかもしれないから。



 けれど、ゴルエドは彼等のことを苦手としていた。


 シウに対しては、マッサージが上手いからといって気は許さないぜ、と毎回言っている。

 力が抜けきっているので、言葉と態度が裏腹なのはシウも分かっているのだろう。毎回苦笑しつつ、ゴルエドをせっせとマッサージしていた。

 ゴルエドのシウへの苦手意識はたぶん、良いようにあしらわれるからだとアロエナは思っている。


 ただ、フェレスへの態度は全く別物だ。

 邪険に扱われても全くへこたれずにまとわりつく子供が、苦手なのだろう。

 大人としてしばらくは我慢しているのだが、結局最後は「うるさい!」と振り払っていた。もちろん、怪我を負わせるようなひどいことはしない。

 希少獣の本性として、魔獣以外を傷付けたりはしないのだ。

 ――もっとも、軍属の騎獣となれば調教により、対人攻撃も行うらしいが――

 だもので、傷付けられない分、腹が立つと地団駄を踏んで怒っていることもある。攻撃しないで怒りを表す方法が、彼の場合それしかなかったようだ。



 ゴルエドがフェレスに物申している間、アロエナはシウに甘えることにした。

 ここ最近仕事ができないので、イライラが募っていたのだ。アロエナの場合、イライラは甘えることで解消する。

「そっかあ。アロエナはもっとお仕事したいんだね。偉いなあ」

 新しい鬼竜馬の革を鞣したものと、オイルを使ってマッサージをしてくれる。うっとりするほど気持ちが良くて、アロエナはふわふわとした気分になっていく。

「みんなアロエナのことが好きなんだよ。妊娠してるとね、やっぱりいつもとは違う動きになるらしいよ。人間もね、お腹が大きいと動きが緩慢になったり、逆にいつも通りに動いて、足腰に負担がかかったりするんだって」

 そうなの?

 アロエナは頭を少し動かして、目を開けてシウを見た。

「そりゃそうだよね。自分以外の命が宿ってるんだもん。その分重くなるし、いつもと同じってわけにはいかないよ」

 そうなると、仕事に差し障りが出るかもしれない。あるいはお腹に影響があるかも、とシウは続けた。

「赤ちゃんが流れたら、可哀想だよね」

 そうね。

「母体にだって影響あるかもしれないよ。ね? だから、みんな、アロエナが心配なんだ。好きだから心配なの。アロエナも慣れないことでイライラするだろうけど、どこかで折り合いつけてみたらどうかな。お仕事じゃなくても、ここの運動場広いしさ」

 そう言われると、そうかなと思えてくる。

 アロエナは気持ちよさにうっとりしながら、ウトウトとシウの声を子守唄に頷いた。


 全部終わると、次はゴルエドだと言ってシウが彼を呼んだ。

 ああ、もう終わっちゃったのかと残念な気持ち半分、すっかり気分が良くなってスッキリした幸せ半分。

 アロエナは頭を巡らす。

 すると、ゴルエドがフェレスにガミガミ怒っているのが見えた。

 ああもう。またやっている。

 せっかく気分良く幸せな気持ちに浸っていたのに。

 アロエナは人間のように溜息を吐きたい気持ちで、ゴルエドに注意した。

 子供を相手に真面目に怒るなと。

 彼はフンと鼻息荒く返事をして、シウのところへ駆け寄ってきた。

 あいつなんとかしろよと言いながらも、足取りが軽い。そして早くブラッシングしろと催促だ。

 シウはゴルエドの文句など全く意に介さず、にこにこ笑ってブラッシングしてあげていた。

 こういうところが、好きなのだ。

 懐が広いというのか、彼が怒るところを想像できない。


 そう、思っていた。




 ゴルエドが恍惚の表情で違う世界へ旅立っている時だった。


 フェレスがフェンリルのケレスにあしらわれて戻ってきたのだが、シウがまだブラッシング中だと知ると、アロエナのところに突進してきたのだ。

「にゃにゃにゃー!!にゃんにゃん!!」

 おばちゃん、あそんでーと飛び込んできたのである。

 全く、この子は。

 呆れ半分、楽しげにはしゃぐ子供の様子に「はいはい」と受け止めようとした。

 いつものことだと、アロエナは思っていたのだ。

 ところが、直前でふわっと魔法の壁のようなものを感じた。

 同時にフェレスがぽてんと転がった。

「フェレス! アロエナは妊娠してるんだよ。ぶつかったらダメだって、言ったよね?」

 フェレスは転がったことでぽかんとしていたものの、シウの言葉を耳にして「あ!」という顔になった。どうやら完全に忘れていたようだ。バツの悪そうな、上目遣いの顔で小さく返事をしている。

「に」

「お腹に赤ちゃんがいるんだ。フェレスよりもずーっと小さい小さい子だよ。その子が怪我したらどうするの?」

「にゃ」

 いたい、と小声で返事をするフェレスに、シウは声音こそ強くないが、怒っていることがアリアリと分かる真剣な表情で見つめていた。

 何故か、リコラ達調教師が怒る顔や声よりも、怖い。

「フェレスも赤ちゃんの時、沢山の人に大事にしてもらったんだよ。覚えてないだろうけど、みんなが優しくしてくれた」

「にゃ」

「フェレスもアロエナの赤ちゃんを大事にしないとダメだよね?」

「にゃ!」

「でも、お腹にぶつかったら、どうなるかな」

「……にゃ、にゃにゃにゃ……」

 いたい、とおもう。

 何故怒られているのか、しっかりと自覚したようだった。しょんぼり顔で落ち込んでいる。

「じゃあ、フェレスはどうするの?」

「にゃ。にゃにゃ。にゃにゃにゃ」

 あやまるの。おばちゃん、ごめんね、とアロエナの顔を伺うように見てくる。

 アロエナは苦笑いでそれを許した。

 むしろ、自分が謝った方が良い気はしたが、シウの「教育」なのだろうと思って口にしはしなかった。

 本来なら、これはアロエナが自分で気付いて、行動しなければならなかったのだ。

 自分の中にある生命を守る義務が、アロエナにはあったのに。

 きっとシウは、アロエナにもそれを教えてくれたのだ。


 その後、ゴルエドからも叱られて、フェレスはすっかりおとなしくなっていた。

 ただあの子のことだから、一晩寝て起きたら元に戻るだろう。とはいえ、少し可哀想な気もしたアロエナである。




 ゴルエドは数日の間、あのチビは本当に話を聞かないとぷりぷり怒っていた。

 でもね。

 あなただってわたしの話を聞かなかったわよ。

 藁はそのままで良いって言ってるのに勝手に変えてしまうし、内臓も苦手なのって話、何度したと思う?

 こっちの方が巣っぽいからいいだろとか、俺の大好きな胃袋食べさせてやるからな! と、毎回ゴリ押しして、わたしの意見は聞かないのよね。

 大体、男っていうのは独りよがりが多いのだ。勝手になんでも自分で決めてしまう。

 リコラだって仕事のことを勝手に決めてしまった。

 ゴルエドも、番の相手は俺でいいだろ! と強引に迫ってきたのだ。

 人のことは言えない。


 でもいいわ。

 シウが言ってた。

 子供が生まれたら、今のフェレスなんてまだまだ可愛い方だよ、と。



 カッサ騎獣店では、卵石から買い取って育てることもあるけれど、厩舎に入れるのは成獣となってから。

 その時にはもう調教されているから、ほとんどの仲間は「大人」なのだ。


 けれど今回はわたし達の子供。

 リコラも、店主のカッサも、子供はアロエナが育てていいと言ってくれている。たぶん、生まれてくるのは希少獣のドラコエクウスではない。

 この子はただの竜馬。

 いずれ、違う道を行く子だから、それまでは一緒にいてもいいと。


 ということは、わたし達は初めて、赤ん坊との生活をともにする。

 それがどんなことなのか、わたし達は知らない。



 シウが楽しげに、どこかニヤニヤとした笑みで、赤ちゃんって大変だよーと言った意味を、わたし達が知るのはもう少し後のことだった。






 あれだけフェレスに文句を言っていたゴルエドが、どこから声を出しているのだろうという甘い鳴き声で赤ん坊をあやすなんて。

 きっとシウ以外、誰も想像しなかったに違いない。


 そして、わたしは。



 子供に、わたしがどれだけ仕事に誇りを持っているか、見せてあげたい。

 人間を乗せ、彼等の意志を汲み、行動する。

 どんな相手だろうと変わらない。

 相手に合わせて、最良と思われる行動を取るのだ。

 その姿を、しっかりと見せてあげたいと思う。

 いつか子供が、お母さんのようになりたいと言ってくれたら。

 わたしはとても幸せに思えるだろう。


 たったひとりの主(パートナー)と出会えなかったことを、惜しむこともなくなる。

 なにしろわたしは、最高に幸せなドラコエクウスになるのだから。







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