第2話 空の散歩
「!!」
私は呪文を唱えると同時に、手にした杖をトンと地面に置いた。
中庭を埋め尽くさんばかりに描かれた魔方陣から、小ぶりのドラゴンが現れた。
『もうそんな時間か?』
頭の中に声が響く。これがこのドラゴンの『声』だ。
「そう、もうそんな時間。ちょっと待ってね。今準備してくるから」
あのドラゴンは通常の召喚獣ではない。魔力で支配する通常のやり方ではなく、お互いに信頼関係で結ばれたいわば「お友達」だ。『彼』はウィンド・ドラゴンという種族で名前はスパロー。名付け親はこの私だ。
「さてと……」
魔力で動く魔道器の進化は凄まじく、人が空を飛ぶ羽根を手に入れて久しい。私は退役して非武装化した元軍用機を1機所有している。出所は聞かない事。ウィンド・ドラゴンは小ぶりで乗れないのでこれは必需品だ。
キーンという魔道器特有の甲高い音を響かせながら、私は飛行機を格納庫から庭に出した。
「行くよ!!」
『分かった。先に上がっている』
言うが早く、中庭のドラゴンは空に舞い上がる。やや遅れて、私の飛行機も上空へと上がった。そう、これが私の日課。スパローとの「散歩」である。ウィンド・ドラゴンはその名も示す通り、ドラゴンの眷属では最速の飛行速度を誇る。だから、民間機ではダメなのだ。軍用機の速さでないと追いつけないのである。
『しかし、人は不便だな。そんな物に乗らないと飛べないとは……』
「全くそう思うわ。飛行の魔法もあるんだけど、あれじゃあなたに追いつけないからね」
私は小さく笑った。
「さて、ぶっ飛ばそう!!」
私は飛行機を水平飛行状態にして、一気に加速した。真横をぴったりスパローがついてくる。全く、空のお散歩は大変だ。
程なく海上に出ると、私はさらに飛行機を加速させた。武装は外してあるがその分軽量化された機体は、凄まじい加速でどんどん速度が上がっていき、やがて音の速さを超えた。しかし、スパローはしっかりくっついてくる。この程度では、ちょっと早足程度なのだろう。いつもの事だが……。
「さて、次は曲芸飛行行こうか!!」
『分かった。それにしても、相変わらず遅いな……』
……うるさい!!
こうして、私は日課の朝散歩を終えたのだった。
いつもの時間、いつも通りタータはやってきた。いつもと変わらない授業、いつもと変わらないダメっぷりを披露する彼。そして、ここからが違った。
「あ、あの、先生。手を繋いで……いいですか?」
あの泣き虫タータが、珍しく泣かずにそう言って……やっぱり泣いた。なぜ泣く。
「いいけど、どこか行くの?」
私が差し出した右手を、両手で抱えるようにそっと包むように手に取ったタータが、首を大きく横に振った。
「こ、これが、限界ですぅ!!」
そして、逃げるように立ち去っていったタータ。
「……」
言っておくが、私はなにもしてないぞ。勝手にタータが自爆しただけだぞ。
「大丈夫か、アイツ……」
私は机の上にこっそり置いてあった本を開く。『恋愛ハウツー』『男の恋愛脳・女の恋愛脳』『オトコとオンナ』……そう、知識は本にある。情報の取捨選択は自己責任だが、無駄な知識はない。しょうがないだろう、この年齢までまともな恋愛などしたことないんだから。私だって、好きでこんな本を読んでいるわけでは。くそぅ、タータのヤツ!!
「なんで、5才のオママゴトに本気になっているんだろう。私の悪い癖かな……」
やるんだったら徹底的に。悪癖だな。うん。
「先生!!」
タータが現れた!! ……いや、なんでもない。時刻は夕刻。スパローとの夕方の散歩に出ようかというとき、タータが珍しくやってきた。
「あ、あの、どこか行きませんか?」
途切れ途切れにタータが言った。親に怒られるぞ、こんな時間に。
「別に構わないけど、これから召喚獣とお散歩があるの。来る?」
スパローと戯れる時間は朝と夕方。この日課は外したことがない。
「えっ、召喚獣とお散歩ですか?」
不思議そうにタータが聞く。
「召喚獣と言っても……まあ、友達みたいなものよ。今呼ぶから見てなさい」
私はタータを伴って庭に出ると、杖で地面をトントンと2回叩いた。すると、地面に魔方陣が浮かび上がり、スパローが姿を見せる。正式名称は長いので、私は勝手に「フレンドリー召喚」と呼んでいるが、ある程度以上に信頼関係にある召喚獣はこの程度で簡単に呼び出せる。朝の大仰な呼び方は、まあ目覚ましみたいなものだと思って欲しい。
『なんだ、今度はデートか?』
登場するや否や、いきなりスパローが「言って」きた。
「誰がデートよ!!」
私が怒鳴った瞬間、タータがピクリと体を震わせた。
「ああ、ゴメン。このドラゴンと会話してるの。思念会話っていって……まあ、後で教えるわ」
私はそっとタータの頭を撫でてやる。
「さて、時間ないから急ぎましょ。スパローは先に上がっていて」
『分かった』
目の前のウィンドドラゴンが素早く空に舞った。
「さて、私たちも行くわよ!!」
「行くってどうやって……」
タータは完全に思考停止しているようだ。顔がポカンとしている。
「いいからこっち来なさい。とっておき見せてあげる」
私は母屋の隣にある巨大な格納庫に行くと、そこの明かりを点ける。
「うわぁ、F-335ライトニングⅡだ……」
さすが男の子。タータが声を上げた。
「あら、詳しいわね。これはもう2世代前かな。正確にはF-335B ライトニングⅡ。垂直離着陸出来る戦闘機の傑作といわれたモデルね。これ復座の練習機型だから、後ろに乗って!!」
機体に備え付けの簡単な梯子を登り、魔道器に火を入れた。キーンという甲高い音が響き渡る。こうして準備を終え、私は夕闇迫る空に機体を上昇させた。タータを晩ご飯までに帰さないといけない。ちょっと無茶するか……。
『遅かったな。待ち疲れたぞ』
「悪かったわね。ちょっとくらい待ちなさいよ。じゃあ、行くよ!!」
私はいきなり出力を最大にした。弾け飛ぶように加速した飛行機だが、スパローはしっかり付いてくる。
『他愛もない。もう少し速い乗り物に代えたらどうだ?』
「これ以上は私が死ぬ!!」
この飛行機の最高速度は音の速さの2倍ちょっと。音の速さを超えると雷鳴のような爆音とガラスが割れるほどの衝撃が地面に叩き付けられるため、普段は海上でそれをやるのだが、今は時間がないので何もない草原上空でやっている。
こうしてスパローとの散歩が終わり私の家に戻って来た時、気を付けていたつもりがすでに日は暮れ時刻は夜。タータは後部座席で目を回していた。まあ、慣れないと辛いわな。
「さてと、どうしたものか……」
すでに街門は閉まっている。タータの家は街の中だが、ここは街の外。もう街には入れない。
「しゃーない。ご両親にはあとで詫びるとして、今日は私の家で預かるか……」
私はグッタリしているタータを飛行機から降ろし、よっこらしょと背負って家に入る。滅多に人は来ないが客室くらいはあるので、タータはそこに寝かしておこう。
「んー、焼き肉定食4人前……」
あっ、気がついた。なぜ焼き肉定食4人前なのかは知らないが、タータが寝かせたばかりのソファの上で身を起こした。
「あっ、先生!?」
タータはソファから転げ落ち、テーブルの足の角に頭をぶつけ、いかにも痛そうな顔を作った。……やれやれ。
「落ち着きなさい。うっかり時間を間違えちゃった。あなたは家に帰れなくなっちゃったから、今日はここに泊まっていきなさい。その客室は好きに使っていいから……」
「え、え、ええええ!? いきなり同衾ですか!?」
私は思わずタータをぶん殴っていた
ど、同衾って、どこでそんな言葉を覚えた。教えたヤツ出てこい!!
「庭に放り出すわよ。全く……」
「ごめんなさい。つい、衝撃で……」
そんな驚くことか? 分からん。
「さて、簡単だけど晩ご飯作るから、あなたは少し休んでいなさい」
自慢ではないが、私は料理が下手である。自分で作ったから食べられるようなもので、人に出せるような代物ではない。
「あっ、僕やります。泊めて頂いて、何もしないわけにはいきません!!」
5才の男の子が作る料理か……まっ、期待しないでおこう。私は何でも食べられるので大丈夫だ。料理をタータに任せ、私はひっそりと恋愛本を読んで時を過ごしたのだった。
「な、なんということでしょう……」
テーブルに並ぶ料理たち。こんな材料ウチにあったっけ? という謎。そこは、まるでちょっといい感じのレストランだった。
「すいません。冷蔵庫の中を空にしてしまいました……」
タータがしきりに恐縮するが、恐縮するのはこっちだ。
「じ、じゃあ、食べちゃいましょうか!!」
いただきます!!の挨拶を2人で交わし、まずはスープ……こ、これは!?
「う、美味い。泣けるほど……」
それは、食べたことのない領域の美味さだった。マジか……。
「あの、涙出てますが大丈夫ですか?」
タータが心配そうに聞いてきた。
「うん、大丈夫。この30年ちょっと、なにやってきたんだろうって思ったら、なんか泣けてきただけだから」
こうして、食事を終えた私たちは、それぞれの部屋で眠りに付いたのだった。
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