《第88話》ディナーとワインと…… 中編
莉子が激しく断ってみるものの、
『12月は忘年会シーズンだから、下手な酔っ払いに絡まれる』
『公園は不審者がよく隠れる場所だ』
『カップルの痴話喧嘩に巻き込まれる』
など、多種多様な災難を想定し、帰そうとしてくれない。
本当に心配してくれてのことなのだと十分理解できたところで、
「モウスグ オフロガ ワキマス」
電子音が響いた。
「お湯を張ったからゆっくり入ってきてくれ。
俺は仕事を少し片付けなければならないから、先に休んでいてほしい」
もう後には引けないようだ。
莉子は手早く食器を食洗機へと並べ、テーブルを片付けると、連藤はありがとうとにこやかに告げ、自室へと入っていった。
お風呂場に向かう際、彼の部屋のドア前を通るのだが、扉の隙間から光が漏れることなく、パソコンが打ち鳴らされる音がかすかに聞こえる。
やっぱり目が見えないんだな。
こういう些細なところで連藤の現実を見せつけられる。
暗い気持ちになる必要はないが、少しだけ残念な気持ちになるのはどうしてだろう。
莉子は暗い廊下を抜け、脱衣所へ入ると、おもむろに服を脱ぎ、洗濯機を回し、湯船へと向かった。
湯にはバスソルトが入れられており、肌がしっとりすべすべになるのがわかる。
「毎日こんなのにはいってんのかね、あの男は」
莉子はお湯をすくい、肩にかけながらぼやいてみるが、いや、これはワザワザ準備したのではないかという疑惑が思考を占拠していく。
というのも、連藤はシャワー派でお風呂に湯は張らないと聞いたことがあるからだ。
海外の生活でシャワーに慣れすぎて、湯に入らなくても気にならない、と過去に言っていた。
「……私が毎日湯船に浸かるっていうの、覚えてたのかな」
莉子はもしそうだとしたら…と思うと申し訳ないような、でもくすぐったい気持ちにもなる。
ひとりでにやけていたが、のぼせないうちにと湯船から上がると、頭を洗い始めた。
最後も湯船に浸かり、温まったところでお風呂から上がるが、浮き出る汗に驚いてしまう。
身体の芯から温めてくれたようだ。
ドライヤーをかけながら吹き出る汗を拭いつつ、こんなにいいものなら自分の家でも使いたい、そう思った莉子はネット購入サイトを検索してみるが、結構な金額なことに驚いてしまう。
「850gで2000円って……だいたい850gが何回分なんだ…?」
ドライヤーを当てながら検索してみると、1回50gの小包装があるので、それで割ると17回分ほど。
それを金額で割ると、1回118円程度。
これを高いととるか、安いととるかは、あなた次第です!!!
莉子の中の小さな莉子がそう断言するので、購入してみようとネットショップのカートの中に入れておく。
しっかり乾かせたところで、使い捨ての歯ブラシを取り出し歯を磨き始めるが、意外と眠そうな顔に少し驚いた。身体が温まったことでかなりリラックスできたのだろう。脳みそが休みたいと顔面から伝えてくる。
そそくさと歯を磨き終わらせると、置いていったニベアを塗り込み、ベッドへと向かった。
ちょうど彼の部屋と向かい側が寝室のため、声をかけようかとも思うが、ドアに耳をくっつけると激しいタイピングの音が聞こえてくる。
先に休んでおけと言われたのだ。先に布団に入っていよう。
莉子は自分に言い聞かせ、部屋の電気を消すとベッドへと潜り込んだ。
が、寝付けない。
こんなふかふかなベッドなんて、ホテルでしか体験したことがない!
さらに言えば、クイーンベッドのため、広い。
少し豪華にと思い、ダブルで寝ている自分だが、さらに広い。
縦になっても横になっても足が落ちることがないというのは、自分の身長が低いのもあるが、感動すら覚える。
が、庶民の自分にとっては広すぎるベッド。
端で寝てしまうのはしようがないと思う。
莉子自身、うつらうつらとしていたが、ドアが閉まる音が聞こえてきた。
不意に頭が覚醒するが、寝たふりをしようと決め込んだ。
静かな足音とともに、洗面所での水の音、さらにシャワーの音とドライヤーの音。
どれも丁寧な音に聞こえてくる。
莉子が寝ているのに配慮してなのか、極力静かにというのが痛いほど伝わってくる。
かちりと小さな音でドアノブが下げられ、真っ暗な寝室にもかかわらず、彼はすんなりとベッドへとたどり着くとそっと布団をめくり上げた。
腰を下ろしたようだが、ベッドがそれほど沈まない。
……これはもしや、
ポケットコイルベッドというやつか!!!
袋状になった筒の中にコイルが詰め込まれ、ベッド全体が沈まずに、ポイントポイントで沈むので、身体の凸凹に合わせやすく、さらに言えば複数人で寝るときに相手に振動が伝わりにくいという、ポケットコイルである。
ほぼほぼフラット。なにこれ……
はっきりと覚醒したが、金縛のように身体を微動だにさせずに耐えていると、ずるずると連藤が移動してくる。
莉子の肩にそっと布団をかけ、さらに長い腕を莉子の腰にくるりと巻きつけた。
ぴったりとくっついた胸板に、莉子は心臓の音がもれていないか心配になる。
さらに連藤は莉子の首筋に顔を埋め、器用に莉子の足を絡めとると、自身の足を莉子のふくらはぎへと貼り付け落ち着いた。
ゆっくり深呼吸をし、落ち着いたのか連藤はそのままの体勢で呼吸を繰り返している。
これ、身動きとれないパターン………
連藤を肌で感じながら、恥ずかしさと嬉しさとが入り混じるが、全く動けなくなるのは想定外だ。
息をひそめながら硬直する莉子だが、ひんやりとした足裏の温度がふくらはぎに届く。
じんわりと温度差を感じながら、ただただ静かな寝息が規則的に聞こえることで、莉子の瞼も重くなる。
腰に回された連藤の手を握り、莉子も呼吸を深く繰り返すと、いつの間にか思考が途切れていた。
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