《第25話》最後の〆に

「……これからどうする?」

 連藤が少し気だるげに言ってくる。


 目を瞑り、吐き出される声が艶かしい。

 首元はタイが緩み、ボタンが外され、これほどに着崩している彼を見るのは珍しいのではと思う。

 ちらりと見える鎖骨が妙に色っぽい__


「起きてー、連藤さぁーん」

 一通り堪能し終えたのか、舐めるように眺めた後、カウンターのテーブルに突っ伏した連藤を起こしにかかる。

「珍しく飲んだと思ったら、ちょっと起きてくださーい」

 うんとすんとは言うが、動きがない。

 ため息をつくが、隣の三井はニヤついている。

「莉子、お前の部屋に泊めればいいだろ」

「あんたの家みたく、うちはダブルベッドじゃないんです」

「狭くて好都合じゃねぇか」

 にたにたと笑うが、莉子の目は尖っている。

「しこたま飲ませたあんたが悪いんだからね。

 責任取りなさいよ!」

「はいはい」


 明日が休みということで二人が来店したのは20時頃。

 そこから飲み始めてもうcloseの看板も出し終えている。

 現在、25時。

 ピッチも早く、時間も長い。

 だいたいの人はべろんべろんであるだろう。

 まだ話せている三井だが、いつにもまして顔が赤いし、呂律も怪しいところだ。


 この飲みすぎたのにはワケがある____


 つい1時間ほど前だろうか。

 もう最後の一杯にしようという話になった。


「何でしめますか?」

「莉子さんのお勧めは?」

「まだ少し飲み足りない雰囲気であれば、アイスワインをお勧めします」

 そういうと三井が顔をしかめた。

「甘いワインだろ? 俺は無理だな」

 苦い顔を作るが、

「このドイツのアイスワインは後味が甘いだけじゃないんです。

 ちょっと飲んでみてください」


 小さいグラスにうっすらと注ぐ。

 色は濃い黄金色。

 粘性は高く、まったりとしている。

 香りは柑橘系のフルーツの香り、白い花の香りがしてくる。


 一口含むと、とても甘い。

 アイスワインは凍らせた葡萄から造るので、葡萄の甘み、濃縮度が違う。


 だが飲み込み終えると、甘みが消えて、白ワインのすっきりした後味が現れる。


「これは飲みやすい。デザートワインだな」

 連藤はするりと飲みほし、空いたグラスの香りを楽しんでいる。

「時間が経ってくるとまた違う雰囲気になりますので、

 もう一杯どうぞ」

 三井もただ甘いだけと勘違いしていたようだ。

 二人ともにすんなり飲み干し、2杯目に突入である。


 時間を少しおいたことで、ワインの渋み、苦味が滲んでくる。

 ___白ワインの渋さだ。

 それが最初の甘い味と、後味の渋みで、奥の深いワインを味わっている感覚になる。


「アイスワインって、ただ甘いだけじゃないんだな」

 三井が感心したように呟いた。


 莉子も小さく頷き、

「意外とストーリーのあるワインって多いんですよ」

 そう答えた時、また二人のグラスが空になってしまう。


 もう一杯だけ。そう言う連藤に甘くなり、つい注いでしまう。


 の、結果がこれだ。


 酔いつぶれた連藤の出来上がりだ。


「莉子さん、俺、まだ少し足りないです」

 ふらふらと手を出すので、彼女は連藤の手を取ってみたが、莉子の手を大事そうに撫でるだけで意味がない。

 まるで溶けたガラスのようにカウンターに寝そべり、莉子の手を撫で、

「もう少し、なんか食べたい、莉子さん」

 を繰り返している。

「はぁ」莉子は返事とも言えない空気を吐いた。

「三井さん、連藤さんのこんなんなったの初めてなんだけど、大丈夫なの?」

「潰れた連藤はいつもこんなもんだ。

 甘えん坊の坊ちゃんになるんだよなぁ。

 今日のワインが美味すぎたんだろ?

 こういう時もある」

 連藤の肩を強く叩く三井だが、三井に「いーたーい」というだけで莉子の手を握ったままむにゃむにゃとしている。


 彼は明日、後悔しないのだろうか?


 記憶が残っていたらひどい後悔になるが、記憶が残らなければそれほどでもないだろう。


 記憶が消えてくれることを祈りながら、

「お茶漬けでも食べたら、少しシャッキリするかな?」

「まぁ、なんか食うのはいいかもな」俺も何かくれよ。三井が続けた。

 ではと、余ったご飯でお茶漬けでも。彼女は動き出した。

 手を抜き取ると、曖昧な言葉で非難を唱えていたが、よく聞き取れないので無視する。


 炊飯器の中から適当にご飯を取りだし、そこに、すりごま、醤油、ごま油を適量回し入れ、それをしっかり握り、フラインパンに乗せて焼き始めた。

 隣で小鍋で湯を沸かし、煮干や昆布が混ぜられた粉末出汁を入れ一煮立ちさせ、おにぎりは両面ともにしっかり焦げ目をつけていく。これだけでも十分美味しそうな焼きおにぎりだが、これに小鍋の出汁をかけるのだ。

 焼きあがったおにぎりを深めのお椀に入れ、その上にミョウガと大葉の千切り、さらに生姜のすりおろしを乗せ、そっと出汁を流し込めば、できあがり。

 出汁におにぎりをくずしながら食べるのが美味しい、出汁茶漬けのできあがりである。


「はい、召し上がれ。

 連藤さんも、どうぞ」


 連藤の鼻に出汁の匂いを嗅がせ起き上がらせると、そっと目の前にお椀を置き、手にレンゲを持たせる。

 お椀のふちを指でなぞらせると、いつもの通り食べ始めた。

「熱いから気をつけてね」

 出汁の旨味とご飯にコクがでて、うまい!

 体が温まるし、何よりするすると入っていく。

「美味しい……」

 いつもの連藤の声がする。


「莉子さん、このお茶漬け旨いな。

 目が覚めてきた。

 __ところで、俺は何か言っていたか……?」


「特段何も言ってないよ?」

 カウンターの中で立ったままお茶漬けを啜りながら莉子は答えた。

 綺麗に忘れているようなら、そっとしておいてあげたい。

 三井に目配せすると、三井もそう思っているのか、

「ちょっと寝てただけだ」

 お茶漬けをずるりと啜った。


 食べ終えたところで、ごちそうさま。二人は声を揃えて、すぐに身支度を整え始めた。

 お会計を済ませ上着を着ると、連藤の手が伸びてくる。

 外まで案内してほしいということだ。

 三井はそのままふらふらと歩きだした。

 三井の後ろ姿を見ながら、意外と足にきてるな、そんなことを思い連藤のエスコートをするが、


「今度は泊めてくれるとありがたい」

 いきなり胸元まで引き寄せられて囁かれた。


「おい、連藤、

 通りでタクシー拾うか?」

「ああ、お願いできるか」

 大通りはこの時間でも空車が走る便利な通りだ。

 少し声を張り上げた連藤だが、隣の莉子の顔は真っ赤だ。ワインのように赤く染まっている。 

「莉子、酔っ払ったかぁ?」

 三井が茶化すが、莉子は睨みつけるだけにしておいた。


 すぐにタクシーが拾われ、先に三井が乗り込んだ。

 連藤に、ドアの場所と高さを伝えると先に杖を入れ、彼が体を屈み込んだその時、


「次はお願いしたからな」


 再び囁き、

 握った手が連藤の唇に触れた、気がする____



 ドアが閉まり、耳までワイン色にしたまま呆然と見送るが、

「あれ、絶対明日覚えてないやつじゃない?」

 踵を返し、呟いた。


 酔って言っていないなら、かなりの策士。

 三井よりも、かなり手強い女誑しだ____


 なんとなく、気を引き締めた莉子だった。

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