《第26話》お・も・て・な・し! 前編

 日曜日の今日は、夕方の営業を切り上げた。

 16時から連藤の部屋へと招かれていたからだ。

 カフェから歩いて30分ぐらいだろうか。

 自転車という手もあったが、それぐらいならたまの時間だ。歩いてみようと歩き出した。


 今日の昼間は薄曇りで空は望めなかったものの、夕方の今になって雲が晴れ、朱色の日差しが刺さり混んでくる。

 木漏れ日の並木道を抜けると現れるのがビルの群れだ。

 これぞオフィス街と言わんばかりの堂々たる灰色の巨塔___

 数多の窓の中に数多の人が蠢いていると思うと不気味な気分になる。


 __日曜の今日でも影が横切る窓がある。


「ごくろうさまです」

 なんとなく呟いた。

 ま、自分も仕事してたけどね!


 一際目立つビルが彼の勤めるビルだ。

 大きさもさることながらデザインもなかなか前衛的だ。

 改めてこんな本社の人間が自分の小さなカフェに集まっているのだと思うと、摩訶不思議。

 それを過ぎて、もう少し歩けば彼のマンションになる。

 道沿いのそのマンションは会社の人間が割といると聞いている。

 三井もこのマンションに住んでいるという。

 どこの階数かは知りたくもない。

 しかしながら、高級タワーマンションの、本当に上の方に住んでいる彼の部屋は、今まで何度足を運ばせてもらっただろうか。

 思えばまだ数えるほどしかない。

 大体は自分のカフェで会っているし、改めて彼に招かれたのは初めてな気がする。

 そんな彼から、久しぶりに腕を振るうからおいでとのこと。


 もしかしたら三井さんもいるかも___



 なんとなく緊張しながら、暗証番号など教えてもらってはいるが、部屋番号を押してインターホンを鳴らす。

「着いたよ」

『鍵を開けるからそのまま上がってこられるか?』

「わかった」

 なんとなく改めて気を引き締めると自動ドアをくぐる。

 広いエントランスが広がる。ここにはジムも備え付けられ、コンシェルジュまでいるとのこと。

「どちらへ?」

 思わず声をかけられ焦るが、

「友人の部屋に」なんで友人って言ったんだろ。自分でツッコミを入れながら、

「エレベーターは奥になります」気の利くコンシェルジュの声に導かれ、なんとかエレベーターにたどり着くと、階数を押し、あとは待つのみ。


「はぁ……慣れない」

 右手にはケーキの箱がある。

 いつもは仕入れをしているケーキだが、今回は自分で焼いてみた。

 生ではない!

 それだけしか確かめることはできなかったけど、美味しければいいな……


 そんなことを思いながらエレベーターが到着した。

 降りてすぐに窓があり、街並みが小さく見える。

 意外と自分のカフェ近くの公園も見えて驚いた。

 すぐに気を取り戻し、ドアの番号を確認すると、連藤の部屋へとようやくたどり着いた。


 ドア横のインターホンをそっと押す。

 すぐに鍵を外す音とともに扉が開かれた。

「莉子さん、どうぞ」

 いつものスーツ姿ではない連藤の姿は新鮮だ。

 もこもこのスリッパにスウェット、さらに上はボーダーの長袖である。

「連藤さんもそんな格好するんだ」

「部屋だからな」連藤の声に、少しはにかんだ雰囲気がある。

 少しの廊下を過ぎ、すぐにリビングだ。

 あまりに広いリビングに感嘆の声が漏れる。


 何よりも、今の夕暮れがとても美しく見渡せるではないか___


「今は夕焼けの時間か?

 綺麗だろ?

 俺も目が見えていた時、その景色が好きだった」

 そっと横に立った連藤の背の高さに驚いてしまう。

 いつもカウンター越しなのもあるが、改めて感じるものが今日は多い気がする。

 そっと肩を抱かれた。

 意外と大きな手。

 自分の肩がすっぽりと包まれる。

 いつも掴んでいるはずなのに、サポートするときの手と、全く違う気がする。

 この手には意志があって、動いている、そんな気がする。

 サポートしている手は自分を頼り、動きを探るそんな手だから___


 思わず見上げた時、連藤もみおろしていた。

 赤い日に頬が焼けて、薄いグラスに透ける目が輝いて見える。

 薄い唇に指す紅色が彼の肌をより白く見せてくる。

 まるで人形のようにも見えてくる。

 すぐに莉子は顔を正面に戻すと、素早くケーキを脇へと滑らせた。

「ケーキ焼いてきたんだ!」

「あ、ありがとう」

「あとで食べようっ」

「そ、そうだな…」

 ケーキの箱を持って連藤がキッチンへと向かっていった。

 対面キッチンとなっているため、そのカウンターへ連藤が箱をそっと置いた。

「今日は、ビーフシチューを作ってみた。

 ワインを飲みながら、ゆっくり食べよう」

「うん!」

 返事を返すが、心臓は破裂しそうだ。

 あの赤い唇が本当に美しくて、ガラス細工のようで吸いつけられるようで、触れてもみたかった。

 だがそんなことをしたら彼が壊れてしまいそうで、繊細な彼だから何かが崩れるような、そんな気さえしてしまった。


 莉子は大きく深呼吸すると、

「連藤さん、何か手伝うことない?」

「今日は俺が莉子さんをもてなす日なので、何もしないでいい。

 もうテーブルにセッティングしてある。

 席についてくれ」

 莉子さんの席は赤い紙ナフを置いてある。そう付け足され、円形のダイニングテーブルに向かうと、そこには花が生けられ、ワイングラスがそろい、ワインも栓が抜かれてある。

 だがワインクーラーの中に入れられている。

 白ワインなんだろうか? ビーフシチューなのに?

 ビーフシチューに合う白ワインってどんなのかしら?

 たくさんの疑問符を浮かべながら眺めると、大きなボールにサラダが盛り付けられ、カゴにはパンがいれられていた。


 ___完璧だ。

 ふと、我に帰ってしまう。


 この男は、彼女ができる度にこんなことをしていたのだろうか。

 どれだけキザなんだ?

 目が見えていないから感心の対象になるが、見えていたら、少しどころか結構引くかもしれない。


 いや、そもそも、目が見えていたら、私はここにはいないだろう。


 もっと綺麗で美人で素敵な女性が横にいて、子供もいたかもしれない……



 そんなことを思うと、私がここにいる隙間は本当はないのではないか___



「莉子さん、席について。

 ビーフシチュー、あたたまったので持っていくから」

「うん」

 席に座ってみるが、ここの景色が青写真のようで、自分が何かの額縁に入れられたマスコットのように感じてくる。


 だが、でてきたビーフシチューはなんと芳しいこと!


 うちでは入れないマッシュルームに大きな牛肉がゴロゴロと転がっている。

 嫌いな人参も添えられている……。

「人参、食べるんだぞ」

 見透かされた。

「では、莉子さん、ワインは注いでもらってもいいかな。

 本来は男の仕事なんだが」

「お安い御用ですよ」

 そう、ワインは男性が注ぐのがマナー。

 女性をエスコートする意味でも、お酒を女性に注がせることはNG。

 男性の中には女性が注ぐのは当たり前と思っている人もいるかもしれないが、スマートではない。

 レストランでワインをいただく時は気を遣っていただきたいもの。

 たまにカフェでもそんな光景に出会うので、つい言ってしまうが、これはこれで女性がひと盛り上がりするので面白い。

 そんなことを思いながらボトルを持ち上げると、赤ワインである。

 やっぱり赤ワインなのだが、

「赤ワイン、冷やしてたの?」

 連藤は微笑むだけだ。

 瓶の口から香りを嗅ぐと、濃いベリーの香り、甘い苺の香りもしてくる。

 グラスに注ぐとさらに香りが立ってくる。

「甘い香りがしますね。フルーティなワインですね。

 でも冷やしておくなんて驚いてます」

「イタリアのメルローなんだけど、

 これは冷やした方が美味しいと酒屋の方に教わってね」

 なるほど。

「では、ひとつ味見を」

 連藤に向けて言うと、どうぞと手が動く。

 莉子はグラスを持ち上げ傾けた。グラスの壁に伝うワインの粘性は低く、色は濃いルビー色。だが紫が奥に潜むような深い赤だ。香りは瓶の口から漂っていたように、甘いベリーの香りである。若干皮の香りもするが、それがいいアクセントになっている。

 一口含んでみる。

「甘い。すごく甘いワイン。

 だけどスッキリしてる。タンニンが弱い?」

 口の中にゆっくり含んでみると、だんだんとタンニンが顔を出す。

 冷やしていることでスッキリと感じ、甘さもまとわりつく雰囲気ではなく、リンゴや苺のような酸味のある甘さに感じる。赤らしく重くはなく、スッキリしながらも優しい味のワインだ。

「これは、夕方から飲むのにちょうどいいワインですね」

「俺もそう思って」

「では、改めて、乾杯!」

 二人でグラスを掲げた。

 このグラスは高価すぎてカッチーンなんてしたら砕けてしまう。

 もう、持っただけでわかる。

 高いヤツや……

 ゆっくりグラスを下ろし、目の前に広がる料理を見回した。

 皿に取り分けられたサラダは、有機野菜です。と言わんばかりのハリとツヤがあり、どこを噛んでも美味しい。さらにパンも、今日焼き上がりですよ。と言わんばかりの香ばしさ。

 ビーフシチューは、これは好みだ。私は自分の家のも好き。

 だが味のバランスがすごくいい。

 自分が作るものは家庭料理の延長なので、程よいとろみと洗練さのない味だ。無骨といってもいい。

 だが連藤のビーフシチューは爽やかな酸味もあり、丁寧な舌触りで、肉も程よく柔らかい。

「美味しすぎる」

 呟くと連藤が微笑んだ。

 言葉に安心したのか、連藤も食べる速度が上がっていく。

 しかし、料理もさることながら、皿もコペンハーゲンだし、ナイフなんかもそれなりのものなんじゃないのかしら。


 生きてるベクトルが違うと思う。


 そう思った時、思わずため息が漏れてしまう。

「莉子さん、どうかしたか?」

「いや、私と住む世界が真逆だって思って」

「どこがだ?」

「全部」

「何が?」

「皿も何もかも全部」


 連藤は小さく首をかしげたが、

「これは貰い物だな。

 俺が料理が好きだというと、贈られてくるんだ」


 ___どこのホストだよ!


 突っ込みたくなるのを抑え、食事を続ける。


 やはり連藤の料理は素晴らしく完成度が高い!

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