《第22話》オーナーへのお礼 :後編

 運転席は三井、後部座席には莉子ととなりに連藤が座り、車は動き出した。

「いや、マジ緊張なんだけど。こんな高級車乗ったことないし」

 シートをさすると本革の感触がする。室内の空気もラグジュアリーな雰囲気だ。

 落ち着かない莉子の手を連藤が優しく掴み、 

「確かに莉子さんの手は異常に冷たいな。

 そんなに緊張しなくて構わないんだが……」

「んなこと言ったって……」

「まぁ、莉子はフツーの一般人だもんな」

「うっさい!」

 三井を睨むが、二人とも優雅に微笑んでいるばかりだ。

 労われる側なんだから、もっと、こう、居酒屋なんかでよかったんだけどなー……


 口の中でぼやいてみるが、車は人の波と同じ方向へ進んで行く。

 都会の中へ向かっているのだ。

 喧騒と電光掲示板とビルと人とが入り混じり、都市が形成されていると、改めて気づく。

 いつもカフェで寝起きをしているからか、都会の空気や都会の雰囲気に負けそうになる。

 これぐらいの格好も、こんな街じゃ霞んで見えるのだろう。

 いつまでも明かりが灯る街並みが、こんなに近くにあったなんて忘れていた。

 煌びやかで、情報過多な街。


 ___あまり好きじゃないや。


 莉子は窓に映る自分の顔と、そこから透ける雑踏を眺め、ひとつ息を吐く。

 高級車らしくBGMは流行りのクラシックのようだ。三井の趣味だろうか。

 高い高層ビル群を抜けて、裏道に入って数分、車を下された。

 見上げると隠れ家の風格の白い建物がある。


「先入っててくれ。

 俺、車停めてくるわ」

 さりげない気遣いに驚いてしまうが、彼はいつもこうなのだろう。

 連藤がいるのもあって、遠くを歩かせない気配りがされている。


「では、入ろうか、莉子さん」

 優しく微笑む連藤だが、よく見るといつもより上質なスーツだ。

 なんだか気恥ずかしくて、連藤のことを見ていなかった。


 しかし!

 まさか彼もネイビーのスーツを着てくるとは!


 暗い中で見ていたため、黒いスーツと勘違いしていた。


 ほのかな白い明かりが灯っているため、ここだとよく見える。


 中のシャツは薄い水色で、ベストもネイビーであるものの、細いストライプが入っている。

 タイは珍しく蝶ネクタイだ。

 スーツと合わせた紺色の蝶ネクタイのため、甘く見えない。

 さらに胸ポケットには赤色のハンカチ。差し色というやつである。

 靴は赤茶色の革靴のため、見事にその差し色でカバーしている。

 見事なコーディネート___

 色を肌で感じることができるというが、元からセンスがずば抜けていいのだろう。

 連藤は自然な動きで左腕をこちらに向けた。

 いつもであれば手が差し出されるのだが、今日は彼がエスコートしてくれるらしい。

 素直に腕を取ると、彼はいつもの調子で杖を叩き歩き出す。

 すぐに扉が開かれ、個室へと向かうが、その細く白い廊下の壁には抽象画の油絵が等間隔で飾られ、無機質な空間が彩られている。

 まるで異世界の小窓を抜けていくと、もう一つ扉が現れた。

 開かれると、そこには、いつもの顔と、


 見つけた……


 ゴッド・ファーザーがいる___


「来た来た、莉子さん、お疲れ。似合ってんじゃん、それ」巧が関心したように声をかけたのを聞いてか、「連藤さんと、めちゃお似合いだねぇ〜」すかさず瑞樹が冷やかしてくるが、そんなことに動じてはいられない。

「この度はわざわざこのような席をご準備いただき、ありがとうございます」

 いつになくしとやかな莉子の動きに、若手二人は呆気にとられてしまう。

「莉子さん、本当にこの前のディナーは素晴らしかった。

 それに君のワインの飲みっぷりが気に入ってしまってね、今日は大いに飲もうじゃないか。

 明日は定休日なんだろ?」

「お気遣いまでいただき、本当に感謝いたします。

 それでは今日は皆さまと存分に楽しませていただきますね」

 引かれた椅子に腰を下ろし、身なりを整えた。

 カバンはお尻と椅子の間に入れたし、スカートもしっかりシワが伸びている。

「意外とまともなこと言えるんだな」

 巧が関心したように言うが、

「これでもババアだからね」

「なるほど」

 納得されたことに彼女は無表情になる。

 すでに三井も席に着き、早速とドリンクの注文となった。

 隣に立つのは黄金のブドウのバッジが輝く方、ソムリエである。

 メニューは皿の上にカードとして乗せられていた。

「莉子さん、君ならまず何を頼む?」

 いきなりのファザーからの使命に硬直するが、周りはにやにやするばかりで、言っていいぞと顔に書いている。

「できれば、シャンパンなんか、やはり一杯目ですので」

「他はなにがいい?

 莉子さんの好きなものを1本入れたいんだ」


 まじかー。という顔が出ていたようだ。

 巧が真面目な顔で、【なんでもいいぞ】口が動く。


「あー……、今日はイノシシのお肉がいただけるんですね……

 そ、それであれば、シャトーヌフ・デュ・パプがいただきたいです……」

 ソムリエを見ると、若々しい方だ。

 シャトーヌフと聞いて、反応が薄い。

 そりゃそうか。

 割と安価なワインですからね!

「……シャトーヌフはございますので、ご準備できますが?」

「そしたらお願いします。

 料理のスタートと一緒に開けておいてもらえますか?」

「かしこまりました。

 シャンパンはどうされますか?」

「ノンヴィンテージの食事に合うものでいいだろう」ファザーの一声が響いた。

 途端に素早く準備が施されていく。

 瞬く間にグラスが用意され、シャンパンの軽やかな泡の音が響き渡る。


 乾杯!

 声のあとに運ばれてきたのは前菜の一皿だ。


 魚介のグリルと野菜の盛り合わせは、爽やかな初夏のイメージだ。

 食用の花も散らされ、華やかさもプラスされている。

 見事にシャンパンに合う一皿である。


 軽い話を挟みながら、一口二口進んだだろうか。

「シャトーヌフですが、テイスティングは……?」

 頼んだ莉子の元に先ほどと同じ若手のソムリエが立っている。

 彼女はぐるりと見渡した。


 が、ファザーを始め、視線で「あなたですよ」と言われてしまう。


「では、私が……

 いただけますか?」


 色味は少しくすんだ赤。

 いつもの色だ。

 妙に深みのある色味、女性の妖艶さ、秋の色___

 くるりとグラスをテーブルで回すと、香りを嗅いでみる。


「………」

 言葉にならない。


 良い意味ではない。


 あれ?


 通常であれば、「あ、いい香り。お願いします」で済むのに済ませられない。


 ひたすらにくるくる回して匂いを嗅ぐ。

 少し口に含んでみるが、まるで瑞々しさが、ない。


「莉子さん、どうかしたのか?」

 あまりの無言に隣の連藤が声を上げた。


「連藤さん、これちょっと嗅いでみて。

 一度、飲んだことあるやつだよ」


 小さく頷き受け取ると、香りを嗅いで、口に含む。

「……これは近いものはあるが、飲んだことはないと思うが」


 そうだよなぁ……

 枯れた香りの中のベリーの匂いもなければ、飲んだ時の果汁味あふれる雰囲気もないのだから、仕方がない。


 なんだ、これ?


 首をひねっていると、若手ソムリエもよくわからないようだ。

 通常であれば、「はい」というところが、相手が言わないのである。

 わがままな客に見えなくもない。


「お客様、どうされました?」

 そう声をかけてきたのは、もう一人のソムリエだった。

 動きに無駄がないのと、視線の貫禄からここのソムリエのトップであることがわかる。


 莉子は首を傾げつつ、恐る恐る口を開いた。

「あのぅ、シャトーヌフなのに、こんなに香りも味もしないものでしょうか……?」


 すぐにソムリエもグラスに注ぎ、ワインを確認する。

 表情が硬くなった。


「……お客様、大変申し訳ありません。

 実はこの年はそれほどいい年ではなかったもので、

 飲み頃のピークを過ぎてしまっているようです……

 これはお客様にお出しできるものではありませんので、

 別なものを出させてください。

 どんなものがいいでしょうか?」

「それであれば、せっかくなので、華やかなワインを1本ください」

「では、ピノ・ノワールはいかがでしょうか?

 私、得意なんですよ」

「それでは、それをお願いします」

 シャトーヌフなんて人気のないの頼まなきゃよかったー

 冷や汗かいたわー

 莉子は口には出さないものの、胸の奥で目一杯叫んでいた。お陰でじんわりと背中が濡れている気がする。

「味しないってよく気付いたな」言いながら三井が前菜を頬張った。

「まあね。私にとってシャトーヌフは、家族と同じ意味だからね。

 だから皆さんと飲みたいなって思ったんですが、これは今度にとっておきます。

 私がいいの、準備しときますね」 

 莉子は再び食事に戻るが、

「シャトーヌフが家族ってどういう意味?」

 瑞樹が不思議そうに見つめてくる。

「私の両親がよく飲んでたんだ。

 デイリーでも、記念日でも、シャトーヌフがよくテーブルに並んでて。

 子供の頃は飲めないでしょ?

 でもベリーのいい香りが瓶とかグラスからするの。

 だからその香りを嗅ぐと両親を思い出すんだ。

 家族が揃ってた頃の、そんな感じ。

 だから私にとっては、シャトーヌフは家族なんだ」

 前菜をつつきながら話していたのだが、不意に顔を上げた時、みんなの顔が暗い。


 そんなつもりで言ったわけではない。

 どうしようと戸惑ったとき、

「じゃ、今度はそのワインに合わせて食事作ってよ。

 家庭料理でいいから」

 巧が切り返した。

 なんて鋼メンタル。

 感謝感激です。


「もちろん。

 でも、タダはなし!」

「ケチっ」

 そんな折、ピノ・ノワールがやってきた。

「こちらは間違いなくいいものですよ」

 テイスティングをしてみると、香りもふくよかでエレガントだ。

 まさしく、ピノ! と言わんばかりの美しい女性が浮かび上がってくる。

「素敵な香りですね。

 こちら、お願いします」

「かしこまりました。

 追加のワインがありましたら、私が承りますので、またお声をおかけください」

 ソムリエが立ち去ったのを機に、莉子がよし、と小さく呟き、

「……今日は飲んでいいんですよね?」

 シャンパンを飲み干し、そう言った。

「もちろんだよ」優しい笑顔でファザーが頷いた時、

「白ワイン、チョイスするから、連藤さん、一緒に選んでくれませんか?」


 少しおしとやかなオーナーと、気さくな仲間と、その父親と共有していく時間というは、本当に少ないものだろう。


 どの一瞬も大切にしていきたい。


 これは莉子がいつも思うことである。


 どの思い出も素敵で楽しい思い出になるように、笑顔は絶やしたくないものだ。




「莉子さん、かなりウキウキしてるな」

 連藤が雰囲気を察して言ってきた。

「当たり前じゃない。

 こんなワインリストみたことないもん!」

 どうも高級なものを一本入れようと企んでいるようだ。


「じゃ、オーダーしちゃおうかなぁー。

 すいませーん」


 目が見えなくてよかったと、これほど思ったことはない連藤だった。

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