《第7話》白い天井とリーマンと彼女

 勢いよく起き上がろうとしたが、起き上がれなかった。

 右手の異常な鋭い痛みと全身の軋む痛み。

 第一に右手には大掛かりなギブスがはめられている。


 体の痛いのは後遺症ってやつなのかな……



 そして、


 __知らない天井。


 しかも個室__


 ラッキー!!!


 でもそんな金ないよぉ

 あ、でも傷害で向こうから戴けますね!



 白い天井を眺めながら、お金のことなんか気にしてみるが、もっと気にすることがある。



「連藤さん、」大丈夫かな。


 声に出してみたが、声がでない。

 どれぐらい寝ていたんだろう。



 ドアがノックされた。


 はい。言ってみたが、声が出ていない。

 もう一度、声を張り上げてみた。

 裏返りながらも出たようだ。


「あ、起きてる!」そう言いながら駆け寄ってきたのは瑞樹と巧だ。

「マジ大丈夫?」巧は花を抱えて現れた。

 手早く隣の台に生けてあった花と取り替え、形を整える。


「結構寝てたんじゃね?」

「どれくらい?」

「丸一日ってとこだね」瑞樹が答えた。

「仕方がないだろ、あれだけのことだったんだから」三井が被せていうが、

「どれだけのことだったの・・?」恐る恐る尋ねると、

「それは連藤から聞いたらいい」

 三井は言うと後輩二人を引っ張り出した。



 残った連藤と少しの沈黙の後、声を出した二人だが、同時になってしまう。

「すみません」先に謝ったのは連藤だ。


「痛みはひどい、ですか?」


「私なんかより、

 本当にごめんなさい」


 あの震えた手を思い出し、また痛みが形になる。


「ごめんなさい」


「なんであなたが謝るんですか」


「あんな怖い思いをさせてしまったんだもん」

 今度は彼女の手が震えている。



 ぼつぼつと痛みの落ちる音がする。



 さも見えているかのように連藤は手を取り、優しく握った。


「確かに恐ろしかった。


 あなたが死ぬかと思って恐ろしかった。


 あなたは大丈夫というけど、手に付いた生温かな感触は血で違いないし、

 あなたはどこが痛いとか何も伝えてくれない。



 どれだけ恐ろしかったか。


 気絶された時は、あなたの息が止まったかと思った」



 彼は一息つくと、

「目が見えなくなって五年になる。


 私は自分なりに目が見えないことを噛み砕いて納得して生きてきた。

 だが、今回ほど目の見えない悔しさを味わったことはない。


 あなたが無事で、


 本当に良かった」



 しみじみいう彼の額には包帯が巻かれ、所々に絆創膏やらガーゼやら当てられている。

 そんな中でも彼は、私の心配をしてくれるなんて、なんてバカな人なんだろう。


 本当にバカだ。


 彼女は顔を上げるとパタパタと水が落ちる。

「バカだなぁ、連藤さん、

 死にそうなら、死にそうっていいますよ」


「あなたはきっと言わない。

 瀕死でも大丈夫というだろうな。


 本当にひどい人だ」


 彼の口元はうっすらと笑っている。

 彼女もつられて笑ってしまう。


 言葉を吹き消すような、そんな笑いだ。


 彼は静かに、そして壊物に触れるように彼女の手を取り、ぽんぽんと叩いた。


「今、うちの会社の弁護士に処理を任せている。

 お店も瑞樹が張り紙をだしているようだ。


 安心していい」


「え、いや、私そんなお金ないし、それに」


「大丈夫。一番最初の被害者は私だ。

 会社の名前を言って脅されたのだから、こちらもそれなりに、な。

 だから、このぐらいはさせて欲しい」


「いやだって原因は私だし」


「いや、彼らに種を蒔いたのは私だと思う」


「どういうことですか?」


 連藤はうんと深く息をつくと、

「あの日、なんとなくコーヒーだけでもいただけないかとカフェに寄ってみたんだ。

 閉まっていたらそれはそれでと。

 そしたら駐車場のほうでガチャガチャ聞こえたんで、なんだろうと近づいたときに、

 お前、何見てんだよ、と吹っ掛けられて。


 ま、買ったという」


「は?」

 素っ頓狂な声が上がる。


「目が見えないのに、喧嘩買ったの?

 ありえないし!」


 叫んだらあばらが痛い。とても痛い。

 うずくまると、すかさず背をさすってくる。


「で、勝算はあったわけ?」


「それは私に怪我をさせれば完了となる」


「何、体張ってんの……」ため息に似た呆れた声だ。



「しばしば店に来て、イタズラしようとしてた輩なので、どうにかできないかと思ってたんだ」

 目が見えないと侮っては困る。眼鏡を直しながら彼が言うが、彼女は固まった。


 ん?

 最近の器物破損はそういう経緯だったのか__


「なんで相談してくれないんですか?

 私の店のことなんだし」


「あなたに怪我をさせたくなかった。

 結果は失敗したが……」



 防犯カメラがあるからとのんびり構えすぎていたようだ。

 もう少し決め手が欲しかったのは事実だが、まさかこんな結果を呼ぶとは。



「悲劇の奇跡ってやっぱり起こるんだね」



 連藤の顔がやや傾く。



「私、昔、交通事故にあったんだ。

 それで天涯孤独なんだけど、


 私だけ助かったんだ。


 くしゃくしゃの車の中から私は助かった。

 本当に奇跡だって。


 でもさ、事故がね、相手の脇見。


 ありきたりかもしれないけど、本当にちょっとの脇見だって。

 それだって奇跡じゃん。


 悲劇の奇跡。


 そんなくだらないことで私の家族はいっぺんに消えて、私だけ生き残って、どうしたらいいんだろうって。


 ただね、両親があのカフェをしてたんだ。

 だから高校卒業したらすぐにあのカフェを再開しようと思って、それだけ考えてた。

 飲食店のバイト掛け持ちして、必死だったな・・・


 きっと私はこれからも悲劇の奇跡が起こるんだと思う」



 自戒に似た言葉に聞こえる。


 自分が生きていることを恥じている、そんな雰囲気だ。


「だから、

 私なんかと関わっちゃダメなんですよ、

 連藤さん」


 そっと手が抜き取られた。


 自分の熱では温められないほど冷えた手。

 ようやく温めてあげられたのに、また、逃げていく。



 逃げていくのか。



 私は、逃がすのか___



 目が見えなくなって何もかもに絶望し、自分の在り方を何度も何度も何度も自問自答した。

 それでも彼らはそばに残り、自分のできることを与えてくれ、そして、支えてくれた。

 だがこれからだって何があるかわからない。

 目が見えないことで腕を失うかもしれない。

 それこそ彼女の言う、悲劇の奇跡だ。



 悲劇の奇跡は繰り返されるのだ___



「繰り返すしかないんだよ」


 連藤はただ涙の落ちる音を拾いながら、彼女の肩をそっと腕で引き寄せた。


 彼女の小さな呼吸が胸元から聞こえる。


 雨だれの音は止まないが、黙って彼女は息をしている。



「奇跡の悲劇は、続くものだ。

 小さくも、大きくも、続いていくんだ。


 乗り越えられないものはないなんていうけど、乗り越えらえない時もあると思う。


 その時は、俺が周りにそうされたように、



 あなたを支えたいと思っている。


 莉子さん、あなたの支えになりたいんだ」


 心に伝えるように、そっと、言葉が紡がれる。


 彼女の絡まった鈍い色の心の澱が、ゆっくりと溶かされていく。



 一人で躍起になってしてきたことが、何かいつも慌ただしく猛々しい心だったものが、

 まるで満月の海のように、暗くも淡い光がゆっくりと漂う、そんな夜の落ち着きになる。



 ふと、

 私は今まで何と戦ってきたのだろう__

 すぐに答えが見えた。



 孤独だ。



 私は、孤独だったんだ__



 長年の謎が解けたような、開放感とともに安堵感が襲ってくる。

 放心というのだろう。


 だが、人の隣というのはとても温かいんだな。彼女は思わず唇が緩んだ。


 左手はしっかり握られ、それが心地いい。




 氷のような指が、ほどけていく__




 不意に彼女が頭を上げた。

 連藤の顎に当たったようだ。

 互いに鈍い声が上がる。


「急にどうしたんだ?」


「ちょ、コレって、

 こんな気持ちって、

 吊り橋効果ってヤツじゃないっ?」


 気の無い男女でも揺れる吊り橋を一緒に歩くことで、その緊張感を恋愛と勘違いするという、

有名なそういうヤツだ。


「そ、それは違うと思う!

 なぜなら、俺はオーナーの料理が前々から気になっているし、本当にそんなことは」


「料理じゃぁーん。

 料理教えて欲しいなら素直にそう言えばいいじゃん。

 変な気、持たせないでくれる?」


「本当に違うんだ」


 連藤の目が見えているのかと思った。

 まっすぐ向いた瞳はこちらを映している。


 しっかりと映している。



 本当は私の姿が見えるんじゃないか___



「信じて欲しい。


 信じられないのなら、信じてもらえるように俺も努力する。


 確かに食事に誘った時、自分でも一瞬悩んだんだ。

 なんで誘ったんだ、と。


 料理のことも教えて欲しかったのは間違いない。

 いろんな食事をしたら、どんな風にあなたは表現するのか、聞いてみたかったのもある。


 だが、一番は、

 あなたとの時間を純粋に楽しみたかったんだ。


 だから、あの日コーヒーをいただけたなら、正直に話そうと思ってた。


 急に誘われて社交辞令だと思われていては嫌だったし、

 純粋に二人の時間が欲しかったと伝えたかったんだ……」


 すまない。


 何に謝ったのか。連藤は小さく言った。


 おそらく、すべてのことだろう。


 莉子自身もなんとなく謝りたかったが、ここで謝ったら何か負けだと思う。

 何に負けるかわからないけど。


「したら連藤さん、退院祝いにお願いしますね」


「もちろん」


「それ、俺たちも一緒っ?」瑞樹が扉を開けるなり、叫んだ。

 思わず見つめるが、彼には本当に悪気はないらしい。

「それはそれ、これはこれ」

 連藤はそっと彼女の手を握り、言った。

 彼女は返事の代わりに、小さく握り返した。


「本当みなさんにはご迷惑かけっぱなしで。

 色々なお手配してくれたんだもんね」


「いや、全部連藤が取りまとめるから、俺たちは何にも」三井が呆れたように言う。

「多分、オーナーの病状とかそんなのも、全部聞いてるよ」巧が当たり前のようにいう。

「本当に?」

「オーナーの兄……いや、お袋のようだった」三井が戯けていうが、

「誤解を招くような言い方は本当にやめてくれないか」

 とてつもなく焦る連藤がそこにいた。




 一通り聞いてみると、自分は全治三ヶ月の大怪我をしているという。

 腕は手首から肘にかけて、一文字の傷がつけられ、腱に傷をつけるほど深かった。

 おかげで気絶できたわけだけど。

 さらに打撲が数カ所あり、退院はそれほど時間がかからないが、まずはギブスを外し、それからリハビリとなるらしい。


 茫然自失である。


 なんか路頭に迷った気分だ。


 ただ有難いことに、休業している間の売り上げ、その他経費含め、保証としてすべてむこうが持つという。


 いっそのこと、店の改装をして、リニューアルオープンとしたほうが、お客様も入りやすい気がしてきた。



 その費用もふっかけようかしらね。



 黒い笑みを彼女が浮かべたとき、そういえば、連藤も黒いことを言っていた気がする。

 相手の会社名を聞いたあとの、あの含んだ返事___


「しばらくはこんな状態ってことはわかったけど、

 あの、TDKだっけ?

 あの四人はどうなったの?」


「主犯格ともう一人が未成年で、残りがハタチ。

 強盗未遂、傷害事件ということで立件できるようだが、未成年というラベルが強く、なかなか制裁できない。

 ので、別なところで制裁しておいた。


 あなたへの保証、医療費、慰謝料など、それは間違いなく振り込まれるから安心して欲しい」


「言ってる意味がよくわからないんだけど」


「KDTはうちの傘下に入った。

 来月からお飾りの社長だってよ、オレ」




 平たくいえば、潰したってことか___




 恐ろしい

 恐ろしすぎる!



「しっかり給与差し押さえていくので、安心していい」


 その満面の笑みが余計に恐ろしいんだけど!



 いや、違うぞ、莉子、

 心強い顧客がついたんだ。

 そう彼女は頭の中で言い切った。


「本当に、ありがと」

 ようやくホッとした気がする。


「ねぇねぇ、俺たちも莉子さんって呼んでいい?」瑞樹が犬のように笑顔を向けた。

「構わないけど、急になんで?」

「オーナーって呼ぶより、親しい感じじゃん」

 巧が言うが、

「確かにそうだね」

 なんとなく名前で呼ばれるのが久しぶりに感じる。

 思わず笑顔になった。




 事故の記事は小さく新聞に載った。

 だが逆にその記事が載ったことが不思議なぐらい、KDTが彼らの企業の傘下に入ったことは、速報ニュースで流れていた。

 どえらいことなんだなぁと他人事のようにニュースを見て、時間を潰す。

 それもこれも私の事件がきっかけだとは、誰も気づくまい。

 元から吸収合併をはかっていたようだが、今回の件が拍車をかけたのだろう。


 大人の世界は世知辛く、理不尽だ。


 今日の六時に仕事が終わるという。

 連藤からのメールだ。

 本当に彼はマメだ。

 朝、昼、寝る前とメールをくれる。


 しかも、業務連絡である。


 朝はよく眠れたか、昼は食事が取れたか、夜はしっかり休むように。


 本当にお袋だ。


「私のマッマは今日は何を持ってきてくれるかなぁ」

 小さくつぶやきながら寝返りを打ったとき、


 それはいた。


「誰がママだ?」

「あなたです」連藤である。

 あまりの即答に言葉に詰まっている。


「今日はババロアを持ってきたんだが、いらないようだな」

「やだ、ママ、帰らないで!」

 全身の打撲も落ち着き、腕を吊るしておけば歩けるようになっていた。

 立ち上がると、連藤の背中にしがみついてみる。

「帰らないでください」

 彼はくるりと体を回すと、ぽんぽんと彼女の頭を撫でる。

「だいぶ素直になったな」


「ババロア食べたいから!」

 連藤はその言葉に悲しげな、そして気の抜けた顔をした。

 まるでかわいそうな子と言わんばかりの表情だが、彼女は関係ない。


 ババロアが大事だ。


 彼女はすぐさまベッドに戻り、カップに入れられたババロアを渡されるのをうきうきと待っている。

 左手しか使えないため、カップをはめる容器にババロアを置き、スプーンで一口ほじる。

 甘い香りの中にベリーの酸味とフレッシュな香りが漂ってくる。

 頬張ると口の中でまったりと溶け、さらにイチゴの果肉とブルーベリーのすっぱさが程よい美味しさで、いくつでも食べられるのではと錯覚するほどだ。

 だが錯覚で一個食べれば、ほぼ満腹になるだろう。


「マジ、めっちゃ、うまーい」

「口にあったならよかった」

 彼はベッドの横の椅子に腰掛け、彼女の空気を読み取っている。

 ほぼ食べ終えた彼女は、

「退院したら、今度は私が作りますね」張り切って言ってみるが、


「右手が治ったらな」確かに。


 ふと右手を掲げてみるが、指もつるような痛みがある。


「左手の練習をします」

 これしかないだろう。


「手伝うよ」


 彼の言葉は誰よりも信頼出来る言葉だ。


「ありがと」


 彼女はもう一つのババロアに手を伸ばした。

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