第10話 つじつま
僕が夏休みにバスを待っていたら、「おい」と誰かに声をかけられた。
見ると、ホームレスというほどではないが、うすぎたない恰好をした老人が隣に立っている。頬はこけていて、いかにも薄幸そうな、体が弱そうな感じ。
金でもせびられるのかと聞こえないふりをした僕にかまわず、老人は話だした。
「いいか、少年。自分の行動には気をつけなさいよ。人生は、ちゃんとつじつま合うようになっているんだから」
知らない人に説教だなんてこの人は認知症なのだろうか。それとも酔っ払っているのだろうか。
「俺はな、若いころ、嫌なことがあってな。自暴自棄になってヤンチャしてたんだ」
いるいる、万引きをしたり、いじめをしたり、バイクで暴走したり、そういった犯罪行為を武勇伝にしているような奴。僕はそういう奴が大嫌いだ。
早くバス来ないかな、と思ったが、田舎の、しかも夏休中のバスなんてそうそう本数がない。
「それで、一人で肝試しに行ったんだ。古い廃墟にな」
ジワジワとセミが鳴くなか、彼は話し続けた。
辺りは真っ暗でな。今みたいに携帯でビデオを撮れるわけじゃない。懐中電灯だけ持って忍び込んだ。今でもはっきり思い出せるよ。割れたガラスやら道具やらが床にちらばっていた。歩くごとに足の下で音がしたな。
受付から、診察室に入った時だ。ふっと黒い影がよぎった。
白衣の裾だ、と俺は思ったよ。医者の霊が、診察室から続き部屋の手術室に入ったんだってな。
前にも言ったが、俺はそのとき自暴自棄になっていたからな。どうなってもいいからその正体を突き止めようと思ったんだ。
手術室は寒いくらいにヒンヤリしていた。そして、なんだか生臭かった。さすがに怖かったよ。いくら廃病院だといっても、患者から取り出した臓器が忘れられて腐っている、なんてことはないだろうが……
真ん中に大きな手術台があった。その上にはドーナツ型の大きなライト。
少しずつ歩を進めて、手術台に何となく左手を乗せたときだ。すぐ近くで、かすかに小さな音がした。その原因を確かめようと、俺はめちゃくちゃに懐中電灯を振り回した。
オレンジ色の円形をした光が、真横の手術台を通り過ぎたときだ。そこに黒い影を見た。背の低い男が、台の上に座っている。
俺は驚いて逃げようとした。しかし、その影は信じられない勢いで俺に飛びかかってきた。黒い塊に抱きしめられた、と思ったら目の前が真っ暗になった。
気がつくと、俺は手術台に寝かされていた。金縛りというのだろうか、体が動かなかった。視界の隅で、床に転がる懐中電灯の光が見えた。
なんとかかすかに動く瞼を見開くと、自分が黒い人に取り囲まれているのに気がついた。
悲鳴をあげようにも、唇は半開きのまま、舌が凍りついたように動かない。そのまま、俺は気を失ったんだ。
「そ、それで?」
いつの間にか、僕はその話に引き込まれていた。
そんな僕の様子に気づいているのかいないのか、彼は続ける。
「気付いたら、俺は病院のベッドで寝ていた。廃病院じゃない、普通のちゃんとした病院だ。どうも、あのあと同じように肝試しに来た者がいて、俺を見つけて通報してくれたらしい」
そこで男はどこか疲れたように笑った。
「さっき、嫌なことがあって、自暴自棄になったといったろう」
確かに、そんな事を言っていた。
「俺は、当時悪い腫瘍ができて、医者からもう長くないだろうと言われていたんだ。それがショックだったんだよ」
「え?」
「それが、廃墟の出来事があった後、検査をしてみたら、腫瘍がすっかりなくなっていたんだ」
僕はびっくりした。では、この人は幽霊に手術でもされたというのか。
「でも、まあなんにせよよかったですね。治ったんだから」
「ああ、そうなんだろうな」
彼は皮肉っぽく笑った。
「でも、それから不思議な事がずっとおき続けているんだよ。どういうわけか、会社から金がなくなり、俺が補填することになる、どういうわけか、預金がいつの間にか消える。財布に入れた金がなくなるなんて日常茶飯事だ」
僕は改めて男の服装を見た。黄ばんだワイシャツ、袖の擦り切れたスーツ、だいぶくたびれた靴。
「最初はそういったことが起こるたび、原因を突き止めようとした。けれど、どうしても分からなかった。そのうちに何をしても無駄だと思うようになった。きっとこれは霊が手術代として持っていっているんだとね」
確かに、当時にはありえない技術で治療をされたのだ。金額はかなりのものだろう。
「人生は、ちゃんとつじつま合うようになっているんだから」
その老人は、そうその話を締めくくった。
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