本作品を一言で言えば、尖り続けたナイフのようなものです。
その為、時に読むこと自体に恐怖を感じる場面も少なくありません。ですが、それでも惹き付けてやまない魅力というものがちりばめられていて、それが何かというのを感じ取るという、不思議な作品でもあります。
物語は、一人の男の人生を描いた物ではなく、人間のありえる姿を一人の男をフィルターとして描いた作品だと思います。
そのため、あらゆる人間の感情に晒された男は、まるでナイフになるかのごとく尖り続け、やがて生きた狂気になっていく過程が恐ろしくもあり、だからこそ本能的に惹かれるのではないでしょうか。
ただ、それでも最後に求めたものが、ある意味で人間を語っているとも感じました。
それが何か、ぜひ一読されて確かめてみてはいかがでしょうか?
『片山崇』の生き様の一つの終着点だっかかもしれない。IFの世界をインナートレインで辿る物語です。
拳銃。殺し。愛する女性。生い立ち。七つの大罪で灼かれる居場所。それでも、『片山崇』は生き続けた。心をステンドグラスのように砕いて繋ぎ合わせながら進むインナートレイン。
その終着駅に待つのは、シャングリラの終わりか、破滅の幸せなのか。
皆様も、このインナートレインへご乗車下さい。
『片山崇』は、全力で否定するかもしれませんが、
私は、貴方ほど慈愛に満ち、懐深い方を知りません。現状の不満を表しはしても、直接相手を攻撃をせず、受け入れ、
優し過ぎるからこそ掴めそうな幸せを愛する人に捧げて身を引いてしまう。
終着駅まで、その生き様から目を逸らすことが出来ませんでした。
向かい合う人の内面。自我の解剖。そんな言葉では表せない、墓標へ刻み込むような無言の本音の一端を、共に見届けた気分でした。
貴重な場面へと案内して頂きました。
本当に、ありがとうございました。