fünf(5)

 指定されたのは、海岸沿いにある市民公園だった。

 映画館から10分ほど歩いただろうか。


 何人かの視線を感じるが、確認できるのは、街灯の光の端っこに立っている男1人。

 男は無言で、ベンチを指さし座れと指示する。

 俺がベンチに腰を下ろすと、俺の真後ろに立って後頭部に向かって話し始めた。

「用件だけ伝える。キミは来週月曜日付けで、この部署へ異動になる。単なる欠員補充だ」

「異動?」

「辞令は、コレだ」

 男は封筒を差し出した。

「……なるほど……『墓場』行きか…」

「本来なら懲戒ものだ…もしくは…いやよそう…」

「もしくは…」

 俺はその意味を即座に理解した。

 もしくは『死』だ。

「キミの生活には監視が付き、行動も制限される。しかし考えようだ…護衛が付いたと思えばいい」

「護衛ね…」

「まっ『墓守り』も悪くないと思うがね…個人的には」

「ちっ!」

 思わず舌打ちしてしまった。

「運が良かったな…欠員が出てくれて」

「欠員…」

 どうせ消されたか…自ら飛んだか…だろう。

「離職率が高くてね…悩みの種さ」

「離職ね…噂に違わぬってことだな…」

「そういうわけだ…この鞄に部屋のキーとIDが入っている」

 俺の横に小さな鞄が置かれる。

「必要な物は揃っているはずだ、前日までに入居してくれ、キミの荷物はすでに移動済みだ」

「何から、何まで…手配済みか…」

「そういうことだ。では…任務ご苦労だったな」

「あぁ…そうだな…」


 しばらくベンチでタバコを吹かしていた。

 どうせ、今も監視役は見ているんだろう、もう視線も気配も感じないが…。


 日曜日の午後、俺は宿舎に向かった。

 部屋は整頓され、必要な物は揃っている。

 4箱のダンボールが隅に積まれている。

 俺の部屋にあった私物だ。

 適当に荷ほどきして、ベッドで横になる。


 手すりの無いベランダ。

(ここから飛ぶしか自由になることができないってことか…)

 何人が飛び降りたんだろう。

『特殊機密文書保持課』通称『墓場』。

 公に出来ない資料の保管を目的とした部署で他のどの部署にも属さない公安の監視下に置かれた隔離部署。

 属している人間は『墓守り』と呼ばれ、外界とは隔離される。


 誰にも観賞されない観賞魚みたいな生活が待っている。


 しかし、俺には覚悟があった。

『片山 崇』この男は、俺の手で葬る…。

 このMONSTERの前に立つには、人非ざる者にならなければならない。

 俺は、この『墓場』で『人』を捨てる。

 警察官としての正義、人としての正義、そんなものは全て、この『墓場』へ捨てていく。


 それが出来れば、俺は…そのときに俺は…。


『片山 崇』 この男を見ていたとき、ふと自分が壊れていくような感覚を覚える。

 腐るとは違う…壊れる…崩れる…指先から、足元から…。


『聖人』というのは2つ以上の奇跡を起こした人物に与えられる称号だそうだ。

 もし、良いも、悪いも無いのなら…『片山 崇』 コイツも充分、奇跡を起こしそうだ。


 マスコミがコイツを取り上げたら…ある種のファンが出来るだろう。

 コイツには…『片山 崇』には、人の中に在る『狂』を目覚めさせるナニカがある。


 少なくとも、俺の中の『狂』は、コイツで起きたのだから…。

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