drei(3)

 幸いにして、この日は何も起きなかった。

 K市内、駅近くのビジネスホテルに宿を取って、部屋から出てこない。


 交代もいない、監視役。

 正直、眠った記憶が無い。


 この任務から解放されたら、まずはゆっくり眠りたい。

 一応、フロントに身分を明かし、『片山 崇』が外出したら俺の部屋に連絡をと頼んでおいた。

 そうでもしなければ、眠る暇もない。

 この夜は、久しぶりにゆっくりと眠れたような気がした。

『片山 崇』が動き出したのは、朝、通勤ラッシュの時間帯だった。

 数日間、ラッシュに揉まれて、『片山 崇』はホテルを転々としていた。

 それに付き合わなければならない、俺は必死だった。


 この混雑の中、どう動くか解らない観察対象から目を離せないのだ。

(気づいているのか…)

 幾度か、そう思った。

 そして、いつ誰を殺るのか…。

 それは、本人しか解らない。

 対象が多すぎる…この車内だけでも100人以上は、いるのだから。

 少し諦めていた…。

 これは、止められないと…。

 今、『片山 崇』の身柄を確保しなければ、確実に犠牲者が出る。

 確保しなければ…。


 矛盾と葛藤…理不尽…。

(これが…警察官のすることなのか…)

 見ているだけ…もし、この場で、この男が拳銃を抜いたとしたら俺は、それでも見ているだけ、それが正しいのか…いや、それ以前に見ているだけなんてできるのか…。

 警察官だぞ、俺は!!


 子供の頃に憧れた警察官の姿は、コレじゃないだろう。

 沸々と押し込めていた正義の心が湧き上がる。

(コイツは捕まえなきゃダメだ!!)

 視線の先のサイコパス。

 何を見ている…誰を見ている…。

 俺が止めてやる。


『片山 崇』が電車を降りる、俺も他人を押しのけて降りる。

 距離が縮まる…俺のその手が、『片山 崇』の肩を掴もうと伸びる。

 だが…後、数㎝…そこで俺の手は力を失う…。


 駄目だ…もし、拳銃を所持していなかったら…コイツを、逃がしてしまうかも知れない…。

 なにより…上層部が野放しにしていることも気になる。

 コイツの裏には、もっと大きな誰かが控えているのかもしれない…。

 俺の軽率な行動で…さらなる惡を自由にしてしまうのかもしれない…。


 しかし…目の前の悪を…俺は…。

 遠ざかる『片山 崇』の背中を歯ぎしりしながら見送るしかできなかった…。

 俺に拳銃の所持を認めなかった、上層部の判断は正しい。

 もし…所持していたのなら、俺はきっと…。


 その翌日…『ミツダ・シゲキ』が通勤途中に殺害された。

 俺の目の前で…。


 その時、俺は…銃声を聴いた3発…だと思う。

 鮮やか…としかいいようがない。

 滞りなく…スムーズに…流れる様に、立ち止まることも無くアイツは俺の目の前から遠ざかって行く…。

 迷った…まだ誰も気付いていない被害者を助けるべきか…『片山 崇』を追うべきか…。

 数秒の迷い…それが最悪の結末を招いてしまった。


 俺は『片山 崇』を見失い、そして『ミツダ・シゲキ』は還らぬ人となった。


 結局、何も出来なかった。

 見ているだけの傍観者…俺は、警察官としても、人としても、その資格を失った。

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