空虚

 若いホストのような男が乗ってくる。

 チャラチャラとした雰囲気は無く…どこか他人を寄せ付けない痩せた男。

 黒いスーツはビジネススーツとは明らかに違うシルエット。

 ドアにもたれ掛って、足元に視線を落とす。

 金に近い明るい茶色に染めた髪。

 どうみてもサラリーマンには見えない。


 タバコを咥えたまま、ガスライターをカキン、カキン、と鳴らしている。

「いつからだろうね…電車が禁煙になったの?」

 下を向いたまま私に話しかける。

「今は吸えないんだろ?この頃は、そんなこと無かったよね」

 黙っている私のことなんて気にもせずに話し続ける。


「好きで吸ってるわけじゃないから…関係ないんだけど」

 ポケットから金色のシガレットケースを取り出し、私に差し出す。

 私が無言で首を横に振ると

「辞めたんだ…タバコ…そう…」

 シガレットケースはGIVENCHY様々なタバコが並ぶ。

 SOBRANIE COCKTAILソブラニー カクテル・ SOBRANIE BKACK RUSSIANソブラニー ブラック ロシアン|・DEATHデスCAPRI PINKカプリ ピンクROTHMANSロスマンズが並ぶ。


 ホストが咥えているのはSOBRANIE BLACK RUSSIANソブラニー ブラック ロシアン 黒い巻紙に金色のフィルター。

 現在は終売している銘柄だ。

 ホストは、タバコに火を着けて、ゆっくりとふかす。

 彼は、タバコを吸うというより、ふかす。

 好きで吸ってるわけではないのだろう。

 せわしなく煙を口から出し入れする姿は、まだ年相応に幼い印象を与える。

 彼は、ふかし終わったタバコを床にフッと吐き出し革靴でギュッと踏みつけた。

 私は、そんな彼を見ていて思った事がある。

 彼が身につけている物は、どう考えても、普通の収入で気軽に手にできるものではない。


 私が彼を『ホスト』と称したのは、風貌だけではない。

 そのブランド品を得られる職業を勝手に想像してのことだ。


 彼は、再びシガレットケースを取り出し、今度はCAPRI PINKカプリ ピンクを口に咥える。

 細いスカしたタバコ。

 彼の白い顔に細い指には似合わないわけではない、それがまた嫌味に映るのだ。

 ポケットから取り出したジッポ、さっきはガスライターだったはずだ。

 それもDunhillの純金製だったはずだ。

(なんなんだ、この男は…)

 ジッポは純銀製と思われる。

 程よく、くたびれていて鈍い光を放つ、デザインはシンプルだが、おそらくビンテージ。

 それなりの価格であろう。

「スゴイでしょ…」

「えっ?」

「全部、高校生の頃に稼いだ金で買ったんだ…あっこのジッポは違うけどね」

「バイトで?」

「アハッハハハ…コンビニで?そんなバイトじゃ一生買えないよ」

 小馬鹿にしたように彼は笑う。

 なぜだろう…私は彼の表情、言葉、身に着けているもの…いや言ってしまえば彼という存在にリアルを感じない。

 彼は空っぽ…。

 うつろにくゆんだ蜃気楼のような男。


 彼はタバコをふかし終えると、ドアに向かって歩き出す。

 また床にフッと吸い殻を吐きだし、ギュッと踏みつぶす。


 後ろ向きで見えないが、彼は3本目のタバコを取り出し、マッチで火を着けた。

DEATHデス…」

 私が呟くと

「ご名答」

 と2・3度拍手して、電車が停車するとホームへ降りた。

「さよなら…」なのか「またね」なのか…タバコとお揃いのマッチ箱をカシャカシャッと鳴らして振り返らずに改札へ消えた。


 停車した駅の名は『忘却』

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