第9話 Another Sky

 いい月夜だ…。

 半月に欠けた月の光が、白く…金色を帯びて俺に降り注ぐ。

 白いトレンチコート、黒のスーツ。

 俺は殺しには礼儀を尽くす。

 殺す相手にではない。

『殺す』という罪に敬意を払っている。

 やみくもにターゲットを漁るようなシリアルキラーではないのだ。


 車を停めて、しばらく歩く。

『イシワタリ・アツシ』の自宅まで、2Kmほど。

 遠いと思うかもしれないが、車というのは、どこで誰が見ているか解らないものだ。

 不審はナンバーを覚えられる可能性が高い、住宅街では特にだ。

 その点、不審は、服装しか記憶に残らない。

 今夜であれば、白いコートだけが記憶に焼き付く、他はアヤフヤになる。

 多少、目立つくらいでいい。

 ガラの悪い男と目を合わせる人はない。

 顔なんて覚えているはずもない、まず見ないのだから。


 足がだるくなってくる頃、ようやく彼の家に着いた。

『イシワタリ・アツシ』の車が無い、まだ仕事から戻っていない。


 狭い庭に身を潜ませる。

 ペットを飼っていない家は、安心できる。

 キッチンとリビングの灯りがカーテン越しに外に漏れている。

 奥さんが料理でもしているのだろう。


 自分にも、こんな生活という選択肢があったのかも知れない。

 今では、想像すらできないほどに離れた現実に身を置き、それが幸せなのかすら想像できなくなってしまった。


 幸せなんて…幻想なのかもしれない。

 彼だって、平凡な幸せを感じているのかも知れないが、今夜、俺に殺されるのだから。

 客観的に見れば…幸せとは言えない。


 そんなことを考えると…残される奥さんと幼い子供が、ひどく不憫に感じた。

 生きている限り、夫が…父が…殺されたのだと悩み、傷つくのだろう…。


 生きている限り…。


 俺は、庭から玄関へ回った。

 ドアのインターホンを押し、会社の上司を名乗り、玄関を開けてもらう。

「いつもお世話になっております」

 丁寧に頭を下げる奥さん。

 俺は、その後頭部にリボルバーを撃ちこんだ。

 タンッ!という音が玄関に響き、奥さんが顔を上げぬまま、膝から崩れる様に身体が玄関に沈み込む。

 俺は、土足のままリビングへ移動する。

 ベビーベッドに、赤ん坊が眠っている。

 俺は、赤ん坊の頭を、ひと撫でして、眉間に銃弾を撃ちこむ。

 白いシーツ、タオルがジワリと赤く染まる。


 夕食はカレーだったようだ。

 カレーの香りで満たされた室内は、少しずつ血の匂いに浸食されていく。

 生臭いような香りに…。


 これでいい…これで誰も悲しまない。


 リビングに見覚えがあるガラス細工。

 バカラの蝶々…。

(バカラの価値も知らないクセに…)


 車の音がする。

 帰ってきた。

 俺は玄関へ戻り、ドアが開くのを待つ。

 鍵をかけ直したドアノブが回される…。


『イシワタリ・アツシ』と目が合った、

「こんばんは」

 挨拶をして、俺は返事を待たずにトリガーを弾いた。


 ドアにもたれる様に『イシワタリ・アツシ』の身体がズルズルと折れていく。


「キミに直接の恨みは無いんだが…」


 私は何事か言おうとしたのだが、その先の言葉は飲み込んだ。

 意味の無いことだから…。

 玄関は死体が2つ転がっている。

 ドアを開けて出ていくのは、どうにも面倒だ。


 俺は、リビングの窓から庭へ出て、また2Kmほど歩いて車に戻らねば…。


 途中、犬を散歩させている老夫婦とすれ違った。

 血の匂いか…硝煙の匂いか、犬が鼻をクンクン鳴らしていた。

「こんばんは」

 老夫婦が私に声を掛けた。

「こんばんは…良い月夜ですね…」

 私は軽く会釈して、車まで戻った。

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