最終回 綴られた終焉

- 1 -


 その圭士の提案に、すぐ返答する者はその場にはいなかった。


 ロッジの居間は静まり返っていた。開け放たれた窓の向こうに広がる花畑を優雅に飛ぶ蝶の羽ばたきの音すら聞こえてくるようだった。


 あきれでさえ、口を一文字にして、んーと頭を抱えて唸っている。


 あきれが悩むのも無理はないことくらい圭士は、承知していた。元々、あきれが計画していたことを断念するようお願いしているのと同じことを圭士は言っているのだ。


 あきれが遊人にクオンという石柱虫を探させていた理由は、Akire( i )システムを改良するためだった。石に生命を宿らせる虫の力を利用して、生命の長期的な生存の実現、そして、Supertailを半永久的にどんな環境でも保存しようと考えていた。


 世紀の発見、発明になるほどのことを圭士一個人の意見で、そう簡単に納得できるものでもない。遊人がやっと六年前にここを発見し、クオンの存在を突き止めた。しかし、それ以前から烏丸ミチルはこの地でクオンの捕獲を試みていた。


 ここで日影遊人と烏丸ミチルの出会いによって烏丸の人生を変えてしまった。


 烏丸があきれたちの仲間に入り込んだことで、クオンの捕獲が烏丸の意図により遅れてしまった。それが六年の歳月を経て、やっとクオンの捕獲に成功した。そして、最後の一匹となる貴重な石柱虫を圭士の提案一つで、手放すことは難しい。ましてや、命がけで得たものだ。


 地下で烏丸ミチルを殺そうとしたロンギヌスの槍。それと一体となった京を止めた圭士が鉄化してしまった後、城を構成した鉄が溶けて赤い液体となって、地下空間に流れ込んできた。


 鉄化してしまった圭士を置いていけないと、あきれは取り乱しながら自分もそこに残ろうとしていた。


 しかし、それを遊人がさせなかった。強引にあきれを抱えて、烏丸が開けた穴を通って、自分たちが掘り下げてきた坑道に液体が流れ込んで来る前に地上へと脱出した。


 後から聞けば、ゆりなもその場を離れることが辛かったという。


 同じLittle Storiesのヴォーカルとして、石版になってしまった歴代のヴォーカルたちを生きたまま地底に置き去りにすることは心苦しかった。あの状況で、三枚の石版を抱えていくことはゆりなだけでなく、あきれを抱えた遊人にもできることではなかった。


 少なからず、自分が生き延びれば、三人の存在を覚えて記憶に留めておくことができる。そして、いつの日か湖底に沈んてしまった三枚の石版を引き上げようと心に刻んで、その場から去った。


 烏丸ミチルは、意識を京に乗っ取られたまま、あの場から動けなかったらしい。あきれと遊人、ゆりながその場から逃げた後には、赤い液体が流れ込み、烏丸が正確にどうなったかはわからない。


 そんな危険を乗り越えて、やっと手にしたクオンだった。


「地下坑道緊急脱出用のマスドライバーを使えばなんとかなりそうだけど」


 最初に固い沈黙を破ったのは遊人だった。


「ちょっと遊人」


 それ以上の発言を食い止めるかのようにあきれが噛み付いた。


「わかってる、わかってるよ。あきれさんの言い分も」


「だったら……」


「ただ、これ以上Akire( i )システムを改良してどうなるのかって思ってたりもする。正直、兄はいなくなってしまい、亡骸は城とともに湖の下だろうし、それに京さんだって槍の中に……意思はあったとしても、もう実体はない」


「だから、京姉さんとSupertailだけでもクオンを使って」


「いや、圭士の話を聞いて、もう二人は何も望んでいないんじゃないかと思う。もし、あるとすれば、誰かの心の中にSupertailが残ってくれればいいと」


「……」


「わざわざクオンを使って、石版に生命を宿さなくても、今までどおりコピー用紙で語られていくSupertailでいいと思う。そのSupertailはすでに誰かの心に入り込んでいると思う。みんなの、俺の心にも」


 あきれも遊人の話を聞きながら、静かに頷いていた。


「京姉さんが亜木霊になることをもう望んでいない今、無理にクオンを使う必要はないわ」


 遊人はにっこりと笑って続けた。


「クオンや槍がこの世に残って、人々がそれを争って奪い合うくらいなら、圭士の提案のようにしてしまった方が伝説っぽくっていいかな」


 遊人の発言は、決してその場を言いくるめるような独りよがりの話し方ではなかった。その場にいた誰もが、クオンや槍の扱いに正直迷いがあった。


 しかし、遊人とあきれは対立を見せることはなく、圭士の意見に賛同する形になった。


「確かにクオンを手放すのは惜しいと思っている。でも、遊人の言う通り、またこれをめぐってSupertailが現実化することは避けたい。私たちの手の届かない場所、未開の地にあった方が安全かもしれないわね。それこそ、Supertailじゃない」


 あきれは笑顔を圭士に向けた。圭士も笑顔を返した。


「で、遊人。実際、マスドライバーで何とかなるの?」


 あきれが聞いた。


「いや、実際、今の出力じゃ地下から地上に上がる程度。少し、改良が必要だが」


 と、目を閉じた。遊人の頭の中ではすでに何かが構築され始めている。そして、ふたたび目が開いた。


「何とかなるだろう。少し時間をくれ」


「えぇ」


「遊人さん。私も手伝います」


 と、ゆりなが勢いよく挙手した。


 ゆりなに続いて、ダンテにルカも黙って手を上げた。


「私を抜きにして、完成はないわ」


 美佐緒も手を上げた。


「私にもできることがあれば、言って」


 美彩季も明るい表情を振りまいて手を上げた。


「おぉ、ゆりなに美彩季、ダンテ、ルカ。助かるよ。美佐緒、お前は当然だ。そして、雨宮。お前もだ」


「はーい」


 雨宮はしぶしぶ返事をした。


「んじゃ、早速」


「遊人。俺も」


 圭士は、立ち上がった遊人に手を挙げた。


「気持ちはありがたい。でも、圭士はまだ休んでろ。それに、あきれのそばにいてやれ」


 遊人の最後の言葉は、小声だった。



- 2 -


 圭士はロッジの近くの花畑で、花を摘んでいた。どんな花の構成にしていいのかわからなかったが、Supertailのオリジナルノートに書かれたペンの色のようにカラフルになるようにした。


 抱えられるくらいの花束になって、圭士はロッジの脇から湖へ続く道を歩き出した。


「圭士」


 圭士は振り向いた。


 晴れ渡る空の下、花畑を背景にあきれが松葉杖をついてロッジから慌てて出てきた。


「どこ行くのよ」


「湖だよ」


「私も行く」


 圭士は、向かってくるあきれのところまで戻った。あきれは、まっすぐ前を向いて、圭士を通り過ぎていく。


「ほら、行くわよ」


「いや、一緒に行くならおんぶしようか?」


「今日はあなたの横を一緒に歩きたいのよ」


 先へ進むあきれに追いつき、圭士は歩調を合わせた。


 山から吹き降りた風が、花の香りを抱きかかえて二人を通り過ぎていく。その風は、鉄の匂いはしない。砂も混じっていない。爽やかというよりは、少し水分を含んでいて、湿っぽい。涙が混じっているように圭士は感じた。その訳はこれから向かう湖にあると思った。


 二人は、空を写す穏やかな湖の波打ち際にやってきた。


 圭士は、しゃがんで花束を水面に浮かべた。


 二人の前を行ったり来たりを繰り返して、花束は少しずつバラバラになって広がっていく。


 次第に沖へと流れていった。


 そして、湖に迎え入れられたかのように花は沈んでいった。


 圭士は、湖に向かって静かに両手を合わせた。


 湖の底で静かに眠るLittle Stories歴代のヴォーカルたち。たとえ、水の中であろうとも石版になったなら苦しくはないだろう。湖面に向けられたスポットライトの光は底まで届かないと思うが、どうか歌を響かせていて欲しい。


 俺には、聞こえているよ。


 穏やかな波打ちの音に混じって、繰り返し聞こえてくる。きっと、月の下で誰かの手を握りながら聞く君たちの歌は、心にまた違ったように響くのだろう。


 湖の水に溶けたヴォーカルを支えるLittle Storiesの演奏者たち。そして、Supertailの登場人物の名を持った者たち。君たちに会えていなければ、きっとSupertailをこんなにまで楽しめていなかったかもしれない。誤解しないでほしい。この結末が楽しめたと言っているんじゃない。君たちと出会って話すことができたことで、Supertailという物語の新たな発見・切り口を知り、より深く読めると思った。


 奇しくも、君たちをこんな目に合わせた者が眠る場所で、君たちも眠っているのは偶然なのか、運命なのか。


 人の関係性というものは、離れていくことの方が多いと思う。それなのに、抗ってもどうしてか離れない、離れることができない人がいる。そういうのは、人生が終わってみないと良かったのか悪かったのかわからないと思う。


 Supertailの作者たちは、どう思っていたりするのだろうか。


 古井諒、君たちはどう思っている? 教えてくれないか?


 湖からは、ただの波打ちの音しか聞こえてこなかった。


 またいつかSupertailの話をしよう。



- 3 -


 遊人がひとつだけボタンのあるリモコンを手渡してきた。


「圭士が押せ」


「え、俺でいいのか?」


「もちろんだ」


 少し雲の数が多い空の下の湖に、圭士や遊人、あきれをはじめみんな揃っていた。全員が圭士を見ていた。その目は、圭士がそのボタン押さないで誰が押すのかと、訴えていた。


「圭士が提案者だから」


「わかった」


 不眠不休で遊人たちは、湖を挟んだ山の斜面にもともとあった地下からの緊急脱出用マスドライバーを改造し、ロケット発射台を作った。


 テストはない。一発本番の打ち上げだ。


「ゆりな、空の状況は?」


 逐一更新される各種データが表示された板状の端末とにらめっこをしていゆりなに、遊人が聞いた。


「はい。雲が少し多いですが、雷の危険はないと思われます。風、微弱。問題なし。行けます」


「了解」


 遊人が圭士に向き直った。


「発射準備完了。あとは、圭士のタイミングでいいぞ」


 圭士は軽く頷いて、リモコンボタンの上にそっと指を置いた。


 空と雲を反射する湖の向こうの発射台を見た。


 山中の木々の間から発射口のガイドライン用アームが突き出ている。ロケットは、その下にある。


 圭士は大きく息を吸って吐いた。


 ゆっくり風が吹き、雲が流れ、進む時間が遅く感じる一方で、自分の鼓動は速く強く高鳴っていた。


 こんな時間の流れを過ごすのは初めてじゃないか。


 Supertailでこんなにゆっくりとしている時間はなかった。まるで、力尽きて止まってしまうようにも感じる。


 ――ボタンを押すと、それは止まってしまうのだろうか。


 ――もう答えはわかっているんだ。


「それじゃ、行くよ」


 圭士以外、全員が緊張した面持ちで頷いた。


「5」


「4」


「3」


「2」


「1」


「発射!」


 圭士の声が響き渡った。


 発射ボタンが押されたと同時に、発射台からいっきに白い煙がぶわーっと広がり出す。


 その煙を突き抜けて、赤い飛翔体が光の尾を伸ばしていくかのように、どんどん空へと昇っていく。


 全員の視線が上へ向く。


 それは、あっという間に赤い光の粒となってしまった。


 発射されたのは、ロンギヌスの槍だった。京の意思の入った赤い槍だ。


 全ては圭士の提案だった。


 クオンを槍の中に組み込むことはできないだろうか。そして、槍を宇宙へと打ち上げる。京たちが物語を描くには、この地球では狭すぎるんだと思う。京たちの想像力は、地球では収まりきらないんだ。


 だから、まだ自分たちが知らない広大な宇宙のどこかに、京たちの想像力がしっかりと描けるキャンパス、いやコスモノートが見つかるかもしれない。もし、それが見つかった時、クオンを使って物語が宇宙のどこでも書き残せたらいいなと思うんだ。どうかな。


 空高く、一本の光の線が伸びていた。


 それはまるで、流れ星のようだった。


 日影遊馬と彼の意思を持った吹雪京。二人がSupertailとなって、尾を長く伸ばしていつまでも続く物語を紡ぐための軌跡。


 とてもとても尾は長く、終わりがないように。


 どこが終焉なのかわからないほど。


 遠くへ行けば行くほど、ここからは未来にSupertailは向かう。その先で、新しい物語が生まれても、ここへ届く頃には過去のものになっているかもしれない。ノートがコピーされてきた時と同じように。でも、未来で書かれたその物語は、きっと想像もできない物語になっていると思う。


 完結しなかった物語は、読者個人がエンディングを想像してもいいのではないか。


 それぞれのエンディングがあっていいのだと思うようになった。


 どんな形の結末であったとしても、それもひとつの例えに過ぎない。作者の二人がバラバラの道へ進んだことも決して悪いことではないと思う。


 そう。二人には、それぞれの未来があるのだ。二人が並行し、交差する必要はない。お互い手の届かない遠くに行ってしまうかもしれない。でも、一時だけ同じ時、同じ場所にいて、同じ道を歩いたことには変わりはない。Supertailは、記憶の中に残っている。絆のように。


「いったい、ロンギヌスの槍はどこへ行くのかな? ちょっと気になるな」


 雨宮が言った。


「なら、まずは月にでも観測拠点を作って、流星Supertailの観測でもしましょうか」


 どうせ、もう私たちはやることないし、とあきれは付け加えた。すると、雨宮や遊人が歓声を上げた。


「私にしては、ちょっとロマンチックなことを言い過ぎたかしら」


「そうでもないさ。いいと思うよ」


 圭士は、空から目を離すことができなかった。


「もちろん、あなたも一緒にね、圭士」


 すぐに返事はできなかった。


 あきれにそう言われた時、長い尾を引いたそれは、見えなくなってしまったのだ。


 ただ、遠ざかっていったのか、それとも。



- 0 -


 窓から夕日が差し込む学校の図書室。そこには二人しかいない。


 青色のペンで書かれたノートを読み終える男子学生。


「へー。いいじゃないか。君にしては、落ち着いた終わり方にしたのが、ちょっと意外だったかな」


 窓辺で夕日に黄昏れていた女子学生が振り返った。


「たまには、そういうのもいいんじゃないかと思ってね。ハワイ編はかなり衝撃的になっちゃったから、ここは少し落ち着きと余白を残しておいたの」


「読み終わった瞬間は、もの足りないと思ってたんだけど、前の流れから改めて考えると心にじわじわ響いてくる感じだよ」


 男は、最後のページを何度も読み返しながら、嬉しそうな表情で頷いている。


「いやー、長かったようで短かったような。ちょっと寂しい気もするけどな、終わるの」


「何言ってるの。まだやることはあるでしょ。早くしないと暗くなっちゃう」


「それじゃ、最後のコピーをしに行きますか」


 ノートを閉じて、カバンを持って図書室をあとにした。


「今日は、二つ先のコンビニでコピーしないか?」


 男が言った。


「どうして?」


「いや、もう少しこのL.S.について話をしたくてさ」


 男はまたノートを開いた。そこには、色ペンで書かれた文字がぎっしり並んでいた。


 終わり

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途切れたSupertail 水島一輝 @kazuki_mizuc

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