第十五回 見えない思惑の中で

- 1 -


 二駅行ったところで電車を乗り換える。ホームが変わるため、階段を上がってまた降りなければならなかった。


 聖士は英士の肩を借りてゆっくり歩いている。時折、苦痛で顔を歪めていた。体がしびれているのか、激痛なのかはわからない。それでも亜耶弥たちはまるで自分も痛みを受けているかのように歯を食いしばっていた。この旅の緊張感と失敗はできないという思いに気合が入る。


 予定の電車が来るまで聖士をベンチに座らせ、彼を囲んだ。聖士は階段の移動だけでよほど体力を使ったのか、息が上がり額に汗が光る。


 真琴はそんな聖士にタオルを差し出した。しかし、受け取る手の動きはまだまだ鈍かった。


「ねぇ、漫画みたいに重力無視で飛び跳ねたりできるの?」


 弥里が突然聞く。


「できるよ」


 自信たっぷりに答えたのは英士。


「見せてよ」


「でも、人がいるからな」


 ホームには電車を待つ乗客がちらほらいた。向かいのホームにも乗客がいる。


「これくらい、いいんじゃない? 一瞬だからね」


 亜耶弥はホームのギリギリまで歩いて立ち止まる。その場で軽く体を沈める動作を始めた瞬間、亜耶弥の姿は消え、線路二つを挟んだ向かいのホームにこちらを向いて立っていた。周囲の乗客もそれに気づいてすらいない。


 全員が自分を確認できたとわかると、亜耶弥は手前のホームにパッと戻ってきた。


 宙を移動している姿は全く見てとれなかった。


 空間を乱されて風が遅れてやってくる。


「すごい」


 口々に発した。もちろん圭士もだった。小説を読んだり、漫画にある空間移動は描写が想像を増幅させる。しかし、現実で見る空間移動はなんの派手さもない。音もない。呆気ない。普通にはできないことをいとも簡単にやってみせる亜耶弥。


「このくらい英士でもできるでしょ」


 乱れた髪を整えながら言う亜耶弥。


「亜耶弥ほど上手くはいかないけど」


 と言いつつも走る構えをする英士。そして、一歩二歩と駆け、ジャンプする。今度は宙で移動する英士の残像を見ることができた。


 英士は向かいのホームに着地する。


 そのままこちらに背を向けたまま、またジャンプする。さっきほど勢いはなかったが、ゆっくり宙で体を回転させ、余裕で戻ってくる軌道だった。


 が、そこに通過列車がやってきた。


 みんなは英士のジャンプに集中し、周囲の状況にまで気を配っていなかった。向かいのホームのアナウンスに注意すらしていなかった。


「あぶない!」


 通過列車に気づいた弥里が叫んだ。このままでは英士は列車と衝突する。英士は空中で身動きはとれず避ける余裕はなかった。


 圭士は、この光景を安心して見ていた。当然、英士は列車とぶつからないことを知っているからだ。亜耶弥が「遅い」とため息交じりの一言を言ってから飛び出してくはずだ。そして、英士を連れ帰ってくるのだ。


 しかし、圭士の中で一瞬、時が氷のように固まった。英士は宙で静止し、列車も勢いがあるまま時の中で止まっている。


 ――何か違う。実際の小説と何かが違う。


 止まる時の中。


 ホームの端で英士に叫ぶ弥里。


 Supertailで彼女は叫ばない。


 亜耶弥は一体何をしている?


 圭士は亜耶弥を見ると、英士の様子を見ている。腰に手を当て、物見しているようで助けに行く素振りはまったく見せていない。しかし、これ以上救出に行くのが遅れては亜耶弥といえど英士を無傷で助けることができない。


 なぜ、助けに行かない。


 それなら――。


 圭士は、助走なしに英士に向かって跳躍した。幅跳びの勢い、その距離の比ではない。ジャンプ力とその直線方向に進むスピードは英士の動きを超えている。


 一瞬の出来事だ。気づけば、列車はホームの横を勢いよく通過していく。


 列車が通過すると向かいのホームに、驚いた表情と安堵する弥里が見えた。彼女はその場に腰が抜けたようにしゃがみ込んでしまった。真琴や聖士も、圭士の行動に驚いていた。


「大丈夫か、英士」


「あぁ、助かったよ。圭士」


 その中でただ一人だけ、表情一切変えず圭士と英士が並ぶ姿を見つめいる。


 圭士はその亜耶弥と目線が合う。そして、亜耶弥は小さく笑った。


 ――そういうことか。


 圭士は亜耶弥に試されたことに気づいた。初めから亜耶弥は英士を助けに行くつもりはなかった。圭士がどう英士を助けるのか見ておきたかったのだろうと、圭士は考えていた。


 ただ、圭士にはもう一つ、亜耶弥がそうしたことに思うことがあった。仮に圭士が英士を助けに行かなかった時、聖士がベンチから立ち上がり助けに行ったのではないか。亜耶弥にはまだ見えていない聖士の本性を見たかったのではないかと。


 圭士と英士は左右から列車が来ないことを確認し、亜耶弥たちのいるホームへ瞬時に移動した。


「あぶなかったぁ……」


 英士は大げさに汗をぬぐった。


「調子に乗るからよ。これくらいできないとね。この三人にもできるはずなんだから……。でも」


 まだ腰に手を当てたまま亜耶弥が言う。


「すべては八雲次第か」


 亜耶弥と英士は、物憂げに目線を合わせていた。



- 2 -


 電車を乗り継ぎ、いつの間にか亜耶弥が手配したという寝台列車に乗り込んだ。四人個室が二部屋用意されていた。当然、男女で別れるのだ。


 亜耶弥が聖士に回復術を施すというので、聖士を女子部屋の寝台に寝かせた。


 部屋を出る間際のこと。亜耶弥が英士に声をかけた。


「英士。疲れているところ悪いんだけど、あれ作っておいて」


「あぁ、わかった。こんなことになるとは思ってなかったから、準備してなかったよ」


 英士のいる寝台は遅くまでランプが光っていた。寝台を隠すカーテンに英士の影が映り何かをしている。亜耶弥に頼まれた例のあれを作っているに違いない。


 圭士はそのあれを思いつつ、大会の疲れもあってすぐに眠ってしまった。


 それから聖士が部屋にやってきたのは数時間後のこと。通路の物音で薄っすら目が覚めた圭士は、聖士が亜耶弥とともにドアの前まで来たことに気づいた。聖士は介助を必要とせず、一人で立っているようだった。亜耶弥の回復術が効いているようで良かった。


 二人は短く言葉を交わした。聖士は空いていた寝台に入り込み、すぐに眠った様子だった。このときすでに、英士の寝台のランプは消えていて、英士も寝ていたようだった。


 圭士は夢と意識の狭間で、今日のSupertailを振り返った。物語の大幅な変更はない。新キャラとして圭士がSupertailに加わったとしても予定通り進んでいる。それ以前に、帽子屋やあきれの仲間がこちらに来ていても、これといって影響はないと感じていた。


 ただ、亜耶弥については不明なところもある。暗転空間を作り出したり、アドリブをきかせ、わざと圭士を行動させていた。こういったことが後々物語にどんな影響が出てくるかは未知数だ。


 周囲環境の観察に、自分の役割を同時にこなす圭士は、たった一日でもかなり疲れていて、またすぐに眠ってしまった。



- 3 -


 翌朝、外の騒ぎに圭士は気づかなかった。それほどまで深い眠りに入っていた。目が覚めたのは、聖士の叫び声を聞いた時だった。


「オイ、起きろよ。亜耶弥、英士、圭士! 様子がおかしいぞ」


 ビクッとなってすぐさま圭士は、カーテンを開けた。ほぼ同時に向かいの寝台にいた英士もカーテンを開けた。


 そして、どこからかわからないが、真琴の悲鳴が響いてきた。


「まさか!」


 英士は枕脇にあった小袋を握りしめ、寝台を飛び降りた。すぐに圭士も英士のあとを追った。


 列車は乗り換え予定の駅に止まっていた。朝方ではあったが、寝台列車の乗客がホームに出てざわついていた。ホームに出ると、声をかけた聖士が先へ走っているのが見える。聖士のあとを追うとその先に、騒ぎの原因があった。


「こら、放せよ。化け物っ!」


 弥里の低い怒った声が黒い影に発せられていた。しかし、ただ見て叫んでいるだけで実際には手も足も出せていなかった。


 昨日現れた黒い影の二倍はあろうか。その影に真琴が囚われていた。真琴の体が黒い影に飲み込まれ、かろうじて顔と両手、膝から下が影から出ている状態だった。


「やばいな」


 聖士は一度深呼吸して、足を開いて構えた。英士と圭士も聖士の横に並び、構えた。


「あいつには、体術はきかないわ」


 いつの間にか現れた亜耶弥が言った。


 液体のような影の体。素手で打撃を加えても吸収され、真琴のように飲み込まれてしまうだろう。


「亜耶弥、どうする」


「英士。あれは」


「これだ」


 英士は持っていた小袋を亜耶弥に渡した。夜、英士が作っていた例のあれだ。


 巾着の口を開き、袋をひっくり返す。亜耶弥の手のひらに石が四つ転がった。勾玉まがたまだ。それぞれに紐が通されている。


 亜耶弥は、聖士と圭士、弥里に手渡した。


「それを早く首にかけて。真琴ちゃんには私が持たせる。英士、待ってて」


「あぁ」


 勾玉を渡された三人はすぐに首にかけた。


 亜耶弥は黒い影を瞬時に観察し、軽く足幅を広く取り、膝を曲げて体を沈める。


 と、その場から姿を消した。


 移動速度が速すぎるためか、空気を切り裂いた衝撃波が広がった。


「さぁ、英士。いいわよ」


 次の瞬間には、亜耶弥の声が聞こえる。亜耶弥は黒い影を挟んだ向こう側に立ち、口の前で指を立たせていた。


「大地に住みし護りの精霊。今、我がもとに集いて、勾玉へ。四つ目を護りたまえ。精霊光!」


 英士が言霊を唱えると、首から下がる勾玉が勢いよく光りだし、その方々に放たれた光は主人を包み込む。聖士、圭士、弥里に周囲に光の防御壁ができ上がる。


 その防御壁と同じものが、影に囚われた真琴にもできていた。よく見ると、影の中から出ている真琴の手に先ほどの勾玉の紐が巻き付けられていた。


 亜耶弥が移動した時、真琴にくくりつけたのだ。


「今度は私に決めさせてね。出雲に住みし、大地の精霊よ。汝、我が八雲の名に於いて、割れた力を与え給え。封印!」


 黒き影の足元に複雑な模様の魔法陣が浮かび上がった。そして、亜耶弥が持っていた不思議な色の瓶と魔法陣が、光の輪の道を形成してつながった。黒き影が瓶に吸引されていく。影は光の輪の中で、引っ張られまいと抵抗するも、その力には勝てず、ズズズっと瓶の中へ吸い込まれていった。


 影の足元にあった魔法陣が宙を回転して、瓶の口へと収まり、光が静かに消えていった。


 真琴は防御壁に守られていて、まったく封印の影響を受けていなかった。


 亜耶弥はきょとんとしている真琴の手を取り、英士たちの元へ駆け寄った。


「一旦車内に戻りましょう。周囲に声をかけられては面倒だわ」


 亜耶弥に着いて列車の中に戻った。戻っている最中に、危険を感じなくなったのかいつの間にか勾玉の防御壁が消えていた。


 個室に戻って腰を落ち着けた。


「亜耶弥ちゃん。みんな、さっきはありがとう。影の中は冷たくて恐くて、本当にチビリそうになっちゃった」


 真琴は笑った。


「ふふ。勾玉のおかげで真琴ちゃんの体に影響はなさそうね」


「うん。たぶん大丈夫」


 真琴は力こぶを見せるポーズをした。


「で、これは一体何なんだ?」


 聖士が自分の首からぶら下がる勾玉を手に取った。


「身につけておきなさい。英士が命を吹き込んだお守り。さっき見えていたでしょ、防御壁」


「そうなのか。でも、お前ら二人は?」


「私たちはもう普通の人の何倍もの精霊光をまとっているからいいの」


「便利だね。勾玉にそんな力が封じ込められているの?」


 弥里は不思議そうに今はただの石を見つめていた。


「そういうわけじゃなくて、勾玉というものは本来、その力を持って生まれてくるの。ただ、それが封じられているから命を吹き込んでやる必要があるのよ。あなたたちが願えば、精霊光が守ってくれるわ。それを作った英士にお礼を言ってね」



- 4 -


 勾玉のおかげで今後の道中、少しは安心できるようになった。しかし、またどんな敵がどこで襲ってくるのか不安は尽きないままだ。


 寝台列車から特急列車に乗り換える時間になり、一同はホームを移動した。今朝の騒ぎは一旦収まり、乗客は普通に歩いていた。


 目的のホームに向かうと特急列車はあった。指定席へとそれぞれ座った。出発までには時間があったが、一緒に寝台列車の個室を出たはずの聖士がいなかった。


「あいつ、一体どこへ? トイレ?」


 英士が窓に顔を張り付け、ホームの様子を見ていた。


「いや、何も言ってなかったけど、どこではぐれたかな?」


 圭士は天井を見上げ、記憶を遡ってみたが心当たりはない。


「また黒い影に囚われちゃったとか?」


 真琴が心配そうに亜耶弥を見つめる。


「それはないと思うよ。勾玉があるから」


 亜耶弥は、訝しげに眉をひそめた。


 ――聖士はただ、表に出さないだけ。


 亜耶弥の表情を見ていた圭士が、亜耶弥の内心とシンクロする。


「ねぇ、亜耶弥さん。亜耶弥さんと英士は根本的なところでは魔法使いなの?」


 また唐突に聞いたのは弥里だった。


「ある意味、魔法使いよね……」


「魔法は妖術の一部。妖術とは、すべての事象を覆すことのできるスキル。魔法、能力、技、法などをひっくるめて妖術と呼ぶ。そして、それを平均して使えるのが妖術士」


「聖士」


 聖士が手に本を抱え開いて現れた。


「間違っちゃいないよな、亜耶弥」


「間違ってはいないけど、どこでそんなこと知ったの?」


「これだよ」


 聖士は手に持っていた本の表紙を見せた。広辞苑ほどの大きさで、厚さはその半分ほどだ。暗い紫色をした表紙は、禍々しい模様で装飾されていた。


「それは妖乱祕封ようらんひふう! なんでそんなものがここに。どうして聖士が持ってるの?」


 亜耶弥は目を丸くして、座席から立ち上がった。

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