第二部

第十三回 Supertailの始まりに

- 1 -


 ズサーッと、圭士は砂の柔らかい衝撃を背中に受けた。気づいた時には、快晴の空を見上げていた。


 確か最後に目を閉じる前、白く埃っぽい部屋の冷たい鉄板の上に横になっていたはず。そして、白い炎に包まれて俺は死んだ。


「はい、君。そろそろ起きてくれるかな」


 首にタオルをかけて汗だくの男が、仏頂面で長いメジャーを持っていた。圭士は、幅跳び場の砂の上に堂々手足を伸ばして寝ていた。遠くでは笛の音が聞こえ、歓声が湧き、スピーカーから女性のアナウンスが響いていた。


 体正面全体をジリジリと照りつける日差しにはむかって起き上がり、砂場を出た。すぐに男が計測する。圭士の頭のあった位置から踏み切り板までは、残念な距離だった。


 背面の砂を落として圭士はスタンドの影に入った。勝手に足が動き、出場者がそれぞれ待機する場所にやってきた。そこには、荷物番をしていた後輩マネージャーが暇そうにしていた。


 あれ? 何で彼女を知ってる? 初めて彼女を見たはずなのに……。


 この場所だって、今初めて来た場所じゃ……。


 あの砂の上も……。


 青い空も……。


 回廊につっ立っていたその時、圭士は後ろから手首をつかまれた。驚いた勢いでその手を振り放そうと思ったが、その前に引っ張られた。


「圭士。急遽、あなたに出てもらうことになったから、急いで!」


 高校の夏服を着て、男子も女子も目を引くキリッとした太もも―圭士が見ているのはその裏―に、腰まで届く髪を一本に後ろでまとめている女子生徒が言った。


 ――誰だ。


「亜耶弥。ちょっとどういうことだ?」


 圭士は意識せず、その後ろ姿の彼女の名前が出てきた。亜耶弥はピタッと止まり、圭士に振り返った。凛とした顔立ちは大人っぽく美しい。誰しもが彼女を視界に入れたのなら見てしまう。


「圭士。さっきの二回目の跳躍で着地失敗して頭を打った? やっぱりこの暑さで頭が……。そ・れ・と・も、私の応援に心奪われちゃったの?」


 と、薄いワイシャツ越しに透ける肌色の肩を圭士にすり寄せる。


「本当に変わらないな、亜耶弥は」


 ドキッと胸を踊らせる圭士。


 亜耶弥の首から競技場に入るためのセキュリティーIDパスがかかっていた。それは、胸の山を乗り越え、双山に吊るされたように揺れていた。亜耶弥は正面に直る。セキュリティーIDパスには姫宮亜耶弥の印字が見てとれた。


「はい? 何を言ってるの? 朝、集合場所に来なかった零士が、今にもなってこないの」


 亜耶弥は本当に急いでいるようで、また圭士の手をつかみ走った。


 陸上競技大会の朝、集合場所に刃隠とがくし零士れいじは来なかった。家に連絡してもつながらず、零士は欠場のまま今日一日が進む。


 俺は本当にSupertailの世界にやってきているんだ。


 圭士は、じわじわと実感が湧き始めていた。しかし、なぜ自分が亜耶弥に手をつかまれているのか、そしてどこへ急いでいるのか全くわからなかった。


 回廊を引っ張られる中、圭士はついさっき亜耶弥に言われたことを思い出した。急遽、あなたに出てもらうことになったから、と。


「零士の代わりに圭士に出てもらうから、リレーに」


「いや、俺、短距離走者じゃないから……。バトンの受け渡しの練習もしてないし」


 圭士はまた勝手に口が動いた。


 俺は、この世界では幅跳びの競技者だったのか。どうも意識が二つ混じるような感覚がある。誰かが俺に台詞をしゃべらしているような。


 確か、実際のSupertailでは聖士が自分の番と零士の番を走る掟やぶりの流れだったはず。


「補欠の一年生でもよかったけど、零士の穴は圭士がいいと私が判断して、急遽エントリー変更を済ませたの」


 亜耶弥は陸上部のマネージャーではなかった。ただ、放課後になるとグラウンドの花壇に腰をかけ、英士や聖士、零士の部活風景を鼻歌交じりに見ていた。この大会が近づいたある日、突然マネージャーとして入ってきたのだ。そこまでは一緒だ。こんなに部活を引っ張る存在ではなかったのに。


「いや、だから……」


 いや、Supertailのストーリーが変わったのか。どうして? 物語に沿う予定じゃなかったのか? 俺がSupertailに入ったことでストーリーに影響が出ているのか。


「練習よりも相性を見て思ったのよ。私を信じなさい」


 亜耶弥の目に迷いはなかった。コピー用紙で読んでいた亜耶弥の発言を今目の前で、そして耳で、何より手首をつかまれ、亜耶弥という人間を自分の体で実感している。圭士は体の奥底からこみ上げてくる嬉しさを抑えきれず笑顔になった。



 ――ここがSupertailの世界。出雲編の始まりだ。



- 2 -


 夕刻。日差しはまだ強い。Supertailの世界も元いた世界と変わらない空気が流れている。


 競技大会を終え、圭士たち一行は駅に向かっている最中だった。


「結局、零士は来なかった」


 亜耶弥は難しい顔をしていた。


「でも、リレーは準優勝だから、トラブルがあったとしてもリカバリーできたんじゃない」


 両脇、両手に賞状やトロフィーをいくつも抱えた八唐司真琴が行った。いかにもというスポーツ少女だ。出場した競技でタイトルは総なめ。彼女の右に出る女はいない。


「零士がいれば、二位なんて取らずに済んだのに。大会記録更新間違いなしのブッチギリの一位で優勝するはずだったのに」


「力になれずすまない。やっぱり補欠の後輩を出していた方が良かったんじゃ」


 圭士は恐縮した。


「どうかしら。そうだった場合、順位はもっと下だったと思うの」


「私もそれは思った。亜耶弥ちゃんの判断で正しかったよ。圭士君だって、幅跳びで優勝でしょ。加速と跳躍に関しては長けているわけだし、良しとする結果だよ。二回目の跳躍は笑っちゃったけどね」


「ハハッ、そう言ってもらえると俺も気は楽になるよ」


 圭士はチラッと亜耶弥を見た。しかし、表情はさっきと変わらない。まるで、この先に起こることを予見しているようだった。その先を知っているのは、Supertailを読んだ者たちだけだ。登場人物である彼らは知る由もない。


「さて、先生もいなくなったし何か食べて行こうぜ。英士と吾妻さんの過去が知りたいところだ」


 有皇川ありすがわ聖士が後方で並んで歩くすめらぎ英士と吾妻弥里の楽しそうな会話風景を細目で見ていた。


「うんうん。それいいね。私も自分へご褒美に少し甘いものをあげたいと思う!」


 真琴がノリノリで聖士の案に賛同する。


 吾妻美里は、小学校の時に転校してしまった英士のクラスメート。転向後も英士とは連絡を取り合っていたらしい。弥里が英士を好いているが、英士はどうなのかわからない。


 この物語では、英士と亜耶弥が一緒に行動することが多く、この二人がくっつくとしばしば予想されるのだが……。亜耶弥は、その英士や弥里に対して特に思いを表に出すことはなかった。


 駅前に到着すると、ざわついていた。繁華街ということもあるが、街行く人々がビルにはめ込まれた大きなテレビジョンを見て立っていた。そこにはニュース番組が映し出されていた。


「ね、ねぇ! あれ!」


 真琴がテレビジョンを指差した。全員が指差す先に視線を送る。


 画面下のテロップに、高校生刃隠零士君。誘拐。犯人一億五千万要求、とあった。


「零士が誘拐された? なんでだよ……」


 聖士が声を荒げた。


「だから、今朝連絡がつかなかったんだ」


 真琴の抱えていた荷物からトロフィーの箱が落ちた。しかし、真琴は気づいていない。目を泳がせながらもテレビジョンを見ていた。


「どうなってんだ」


 新しい情報が出てこない画面にイラつく英士。


「零士君、殺されちゃうの?」


 弥里は英士の服をつかんだ。


「一億五千万なんて普通の額じゃない。直ちにどうかされてしまうわけではないと思う」


 表情を変えず、まるで言い慣れているかのように亜耶弥が言った。


「探そう、俺たちで……」


「英士。俺たちでって言っても、学生が出る場面じゃ……」


 聖士は否定のニュアンスで答えていたが、拳を強く握り、言い知れぬ高揚感を抑えきれないのか、口角が上がっていた。


 圭士もこの展開を知りつつも、実際それを目の当たりにし、彼らと一緒に小説の出来事を体感することに震えを覚えていた。知ったストーリーを肌で感じることは悪くはなかった。しかし、ただストーリーに沿って行くだけでは自分がここでの役目が果たせない。圭士は考えていた。彼らに、今後の展開を話して、ストーリーに新たな切り口を作るべきかと。


 まだ世界の勝手がわからない。自分がここに来たことで、聖士が二回走る描写が変更された。他にも影響が出るかもしれないと、圭士は様子を見ることにした。



- 3 -


 一同は零士を助ける作戦を練るため、亜耶弥の部屋に行くことになった。途中、英士が腹が減ってはなんとやらと言って、弥里を連れて買い物に行ってしまった。


 亜耶弥の部屋で、英士と弥里の帰りを待っている間、テレビのニュース番組を見ていた。零士の誘拐事件を取り上げていたが、新しい情報は伝えれてこない。


「あぁ、零士。今頃どうしてるかしら。傷つけられたりしていなければいいけど。もう犯人もちゃんと確認くらいさせてよ。本当……」


「亜耶弥ちゃん、落ち着いて。きっと無事だよ」


 自信に満ち溢れているはずの亜耶弥が動揺する姿を見て、真琴はそれをおさめようとすることで必死だった。


「真琴ちゃん、ありがとう」


 亜耶弥は、背を正してもう一度テレビに向かった。


「英士のやつ、おせーな」


 と聖士が口にした時、インターホンが鳴った。亜耶弥がそれに出ると弥里だったらしく、ビニール袋を両手に抱えて部屋に入ってきた。


「お待たせ」


「あれ、英士は一緒じゃないの?」


「英士なら何か調べごとがあるからって、買い物が終わって途中で別れたの。でも、もうじき帰ってくると思うから。亜耶弥さん、台所使わせてもらっていい?」


 弥里と真琴が食事の支度をちょうど終え、テーブルに料理が並べられた時だった。英士が部屋に入ってきた。


「ただいま。もしかして、俺待ちだった? 遅くなって悪かった」


「英士。遅い! 何してたの? 弥里ちゃんに荷物押しつけて」


 すかさず亜耶弥が問いただす。


「零士のこと、調べてたんだ」


「零士のことなんて調べてどうするのよ。犯人の手がかりとか調べなさいよ」


「いろいろ情報も出てきたんだ。まぁ、せっかく作ってもらった料理もあるから食べようぜ」


 しかし、みんな零士の心配事で喉の通りが悪かった。しばしばの静寂に英士が口を開いた。


「零士の本名は、綾小路あやのこうじ裕人ひろと


「えっ? 刃隠零士じゃないの?」


 すぐに聖士が反応する。


「あぁ。出雲にある大富豪の御子息なんだよ」


「どうして名前が変わっちゃてるの?」


 今度は亜耶弥がたずねた。


「零士がまだ三歳の頃。零士の父親と母親が亡くなった。それは自殺と判断された。しかし、一方で他殺かもと噂されていた。なぜかというと、出雲で一番の大金持ちで大豪邸だったからだ。綾小路家には、子供は三歳の零士しかいない。つまり、零士が次の館の主というわけだ。だから、親戚一同、零士を養子に欲しかった」


「両親が亡くなった場合、養子に出された新しい親に子供の権利が渡る。それで殺したのかってことね」


 亜耶弥は頷きながら答えた。


「そーゆーこと。しかし、事件は自殺として上手く処理された」


「だーかーら、どうして名前が変わっちゃたわけ?」


 話の読めない聖士が再度聞く。一方で圭士は、話の展開を知っていたことでなかなか先に進まない実際の時間経過にじれったさを感じていた。字を読むスピードや場面の想像は読者に委ねられるからだ。そして、


「要は、零士が両親からある大事なことを聞かされていたんだろ。それは、この日本を動かせるほどの莫大な金額の金塊場所!」


 本来、弥里の台詞であったが、まるで自分が知っているかのように堂々と圭士は発言した。


 台詞を取られてしまった弥里は、ぽかんと口を開けていた。台詞を取られたことに驚き固まってしまったのか、単に圭士の発言を聞いて驚いていたのかはわからない。


「この日本を動かす? そんなすごいの?」


 やはり驚きの隠せない真琴が質問した。


「あぁ。それに目をつけた一部の奴らが、零士を子供にしようと企んだ。子供にしたはいいが、実は零士は記憶喪失だった。綾小路家の金塊を守るため、脳に仕掛けられた秘術が発動したと考えられる。それで、今に至るわけ。だから、綾小路裕人という名前だと、零士が他から狙われてしまうため、名前を変えたんだ」


 圭士は、弥里の台詞を言い切って充実感に浸った。


「やるな、圭士。つまり、零士はそれを思い出すまでは殺されたりはしない!」


 英士が最後にまとめ、そして、圭士に親指を立てて見せた。


「ビックリしたぜ、圭士。まさか、そこで台詞介入してくるなんてな」


 隣にいた聖士が、圭士の首に腕を回して羽交い締めにする。


「えっ? 台詞介入? 何を言ってるんだ?」


「しらばっくれんなよ、圭士」


 聖士は腕にさらに力を加える。


「聖士。勝手な行動しないで。気づかれるわよ。暗転!」


 亜耶弥がそう言ってテーブルを叩くと、部屋が暗くなった。一切見えない。真っ暗だ。窓からも外の光が入ってこない。停電したとしても夏の夜。まだ薄暗い程度で部屋が真っ暗になるほどの時間帯ではない。


 しかし、圭士の目には亜耶弥たちの姿だけがしっかり見えている。座り位置もそのままで人物だけがそっくり切り抜かれたように暗闇に浮かんでいる。


 全員が圭士を見ていた。


「本当にびっくりしちゃった。そこ、私の台詞って!」


 弥里が天に向かって大げさに手を伸ばした。


「私もすごいドキドキしちゃった。ここできたーって!」


 と、真琴がはしゃぐ。


「どうしてみんなそうな風に俺を……」


 圭士は、亜耶弥と目があった。


 さっきまでの零士を心配し深刻な顔をしていた表情は嘘のようにない。あるのは、自信に満ちた光あるあの目だった。


「待っていたよ、あなたを。Destiny begins to move.そして、さむらいの名を持つ者よ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る