第十二回 神のシナリオにあらがう者

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 「私からもお願いする。あきれをはじめ、ここにいるメンバー全員あきれについてやっとここまでたどり着くことができた。どうかあきれの気持ちとSupertailの中に入ってしまった者たちを救ってくれないか。この通りだ」


 ミチルが深々頭を下げた。そして、それに連動するように、黒服のメンバーが次々と圭士に頭を下げていった。


 同時にこんな多くの人から頭を下げられたことがあっただろうか。


 無言の圧迫感すら感じた。圭士はその圧から一歩引いた。


 断れない空気を作り出し、圭士を逃さないようにしているとまで想像する。むしろ、ここで頼みを断って無事に逃げきることの方が難しい気がする。


 言葉の端々に世界征服だの制圧だのと単語が出てくる連中から、裏世界での経験は皆無の圭士が無傷でこの建物から外へ出ることすらできないだろう。全身タイツの女の腰には、小銃すらあったのだ。また銃口を向けられてはたまらない。


 Destiny begins to move.が彼らの言うように本当なのであれば、銃弾に当たらずに済むのだろうか。


「Supertailの中って、このSupertailの世界ってことだよな」


 圭士がノートを掲げて聞いた。


「何度も言わせないでくれる? 初めからそういう話で進めてるんだけど」


 私の涙を無駄にする気? とでも言うように、あきれはあきれたように腕を組んだ。


「空想や妄想じゃないんだよな?」


「空想、妄想、上等よ。なんとでも言って。あなたがコピー用紙で読んだ世界。その興奮した物語の中に実際に入り込めるなんて夢見たいじゃない?」


 あきれの言葉に触発されるように圭士の頭の中は、Supertailの世界が広がっていた。出雲編、ロボット編、ハワイ編、未完のブラック・ローズ編が映画の早回しのように流れていく。


 圭士の脈拍はそれに合わせるように速くなっていた。


「ただ頭の中で考えるんじゃない。あなた自身の体であの世界を体験できるなんて普通の小説じゃ味わえない。京姉さんの筋書きに沿ってSupertailを進んで行くことになる。でも、そのストーリーに抗って京姉さんを救う物語をSupertailに書き添えてほしい。主人公は、深和圭士。あなたよ」


 自分が主人公。


 今までの人生、そんなことがあっただろうか。そもそも人生は、各人が主人公だ。しかし、社会という舞台上ではその他大勢の脇役にすらなれない。


 他人の描いた世界で作者に抗う主人公が今までにいただろうか。


 Destiny begins to move.がどれほどの力なのかわからない。死を前にしてもそのシナリオを覆せるのであれば、主人公たる条件をすでに満たされているのではなかろうか。


 あきれは、Supertailに書き添えてほしいとは言っていたが、Destiny begins to move.が人生の起点を変えることができるなら、大幅な加筆修正、Supertail自体を壊すことも可能だろう。新しいSupertailだって綴ることも……。


「作者がそこにいるっていうんだから行くしかないか。記憶の中の絆は失われると言う意味も知りたいからな。行くよ、Supertailの中へ」


 圭士ははっきりとした物言いから、あきれと目を合わせ、素っ気なく頷いた。しかし、圭士の体は軽くなった。単に覚悟を決め、気持ちが吹っ切れたからではない。自分がSupertailを読んでいる時と同じ感覚だ。続きが気になる、世界がどうなる、Supertailを体感できるワクワク感が圭士の中で踊っていた。


「そう言ってくれないと、私が頭を下げた意味がない」



- 2 -


 圭士があきれの頼みを引き受けることが決まってから、メンバーの動きは早まった。


 この地下室にあったものを他の場所に移動する段取りだった。箱に入った骨や白い蒔を全て運び出していった。


 部屋の中央にあったペン先を模した機械をあきれが直接外しにかかった。その作業姿はゴシック衣装を着た女ではあったが、目は研究者としての眼差しだった。


 あきれは自分を広義の研究者と言っていたが、今となってはそうは言いがたい。マッドな研究者だ。先刻、印象を悪くしないために言ったものだ。しかし、その黒衣では説得力に乏しかったなと、圭士はふと追い返した。今でも、あきれがSupertailの中に入り込む装置Akire( i )を作ったと信じがたい。


 古井龍とLittle Storiesのメンバーは、あきれたちの本拠地に連れて行かれることになった。そして、地下室がすっかりもぬけの殻となった。


 作業が終わるまでずっと持っていたSupertailのオリジナルノートは、あきれに返した。


「このままあなたを霊廟れいびょうに、あ、ラボに連れて行ってもいいんだけど、少し休みをあげるわ」


 たったの二日。二日後、迎えを寄こすとのことだった。


 このまま連れて行かれても良かったが……。自分の中で少し整理もしておきたかった。それに、何度も読んだSupertailを読み返しておきたかった。


 一階の店舗に上がると、柳が椅子に座ってうつむいていた。落ち着きは取り戻していた。傍にルカが立って、柳を見張っていた。


 圭士が柳の前を無言で通り過ぎようとした時、ルカが店のドアの前に立ちふさがった。一階フロアにいるのは、ルカと圭士、柳の三人だけだ。


 ルカは、圭士と合わせた目線を後方にやった。後ろを見ろということだろう。


 圭士は振り返った。椅子に座っていた柳が立ち、赤らませた目で圭士を見つめていた。そして、腰からしっかり頭を下げた。


「謝って済む問題ではないことはわかっていますが、しっかり謝らせてください。本当に申し訳ありませんでした。殺そうとしていた相手にこんなこと言われても困ると思いますが、本当に深和さんに生きていてもらえてよかったです。


 私は、深和さんに恨まれても構いません。何か必要な時は何でもやりますので、申しつけてください。この命に代えてやり遂げてみせます。命を捨てろと言われたら捨てる覚悟はできています」


 柳の下の床に、水滴がいくつか垂れていた。


 覚悟か。俺なんかよりよっぽど彼女の方が覚悟できている。自分がSupertailの中に入って進むより、彼女が入ったほうがスムーズに話が進むのではないか。自分の覚悟と彼女の覚悟は別問題。一緒にはできないが、思いの強さで言えば彼女の方が上だ。


 圭士は、覚悟の捉え方について何も言うことができなかった。


 彼女がそう望むのであれば、それがいいのだろうと。


「わかった」


 圭士はそれだけしか言えなかった。もう二度と会うことはないだろう。そう言っておけば、彼女の気が済むだろう。


 もう話は終わりだろうと、圭士が歩き出そうとした時は、柳がそれを止めるように声をかけてきた。


「あの。……あの時の……二人で話せた幸せな時間を記憶の中にとどめておいてもいいですか?」


 あの時の、とはSupertailの話をしていた時間のことだ。確かにあの時は柳とSupertailについて話せて楽しかったが、それを今聞いてくる柳の心境が圭士にはわからなかった。


 ダメだと言って、理由を言うべきか。


 仮に柳の立場に立っていたとしたらどうだろうか。きっと、相手からどんなに辛い目にあったのか、湧き上がる感情のリミッターが外れたように気持ちを吐露され、相手から罵倒された方が楽になる。こういう時に何も言われないことが辛いか。


「いいよ。辛い記憶より、幸せな記憶は一つでも多い方がいい」


「あ、ありがとうございます」


 柳は最後まで言い切れず、また泣き崩れた。


 圭士は聖者を気取って言ったわけではない。むしろ、悪人に近いと自覚していた。怒る相手を前にして、自分の罪を指摘されるより許されることの方がどんなに辛いだろうか。 柳の悲しみの声が響き渡るブラック・ローズから圭士は外へ出て行った。


 外では、あきれがバンの後部ドアを開けて待っていた。中には誰もおらず、ダンテが運転席に座っていた。


「決着したのかしら? ……何、その顔」


 圭士は自分がいったいどんな顔をしていたのかわからない。柳を許したことにしたとはいえ、すっきりした心持ちでもなかった。かといって、柳の心情を推し量れる心の余裕はない。


「疲れた」


「そりゃそうね。乗って。送っていくわ」


 あきれの後に続いて圭士もバンに乗った。車は黙って発進する。


 圭士は全体重を椅子にあずけ、少し先にある天井を仰ぎ見た。通り過ぎる車のヘッドライトの光が天井を照らし流れていく。今日の出来事が一瞬一瞬、光の中に映し出され過ぎ去っていく。


「捕まえた奴らは、この後、どうなるんだ?」


「処理方法の希望でもあるの?」


「お前、恐ろしいな。そんななりして」


「人は見た目じゃないの。あなたもあの女の一件でわかったでしょ」


「十二分にな。やっぱりあいつらを殺すのか?」


「あなた、見る目ない。私たちが人を殺すとでも思って?」


 あきれの声が耳に響いた。


 一部の人間を制圧し、腰にピストルを挟む人員を動かしていたらそう思わざるを得ない。ましてや人骨が保管されていたのだからなおのこと。


「じゃぁ」


「何か使い道はあるでしょ。現状、外でうろちょろされたくないから。帽子屋の子分、帽子受けの行方がわからない以上、連絡取らせたくないしね」


「なるほど。そういえば、前に命がかかってるって言ってなかったか?」


 海から引き上げられた時、凄みを利かせてあきれが言ったことを思い出した。


「あー、あれね。私の命というより、仲間の命がね。一人、Supertailの中に入り込んだまま出てこない。出てくる合図は知っているはずなのに」


「ということは、その人も俺が助けないといけないのか」


「そうね。……頼むわ」


 頼むという割には、あきれは素っ気なかった。Supertailの中に居続ける事情を知っているようにも圭士には見えていた。しかし、圭士は聞き返さなかった。



- 3 -


 部屋に戻った圭士は、シャワーを浴びてパサパサになった髪を洗い、体が温まるとそのまま泥のように眠った。


 次に目が覚めたのは、翌日。午後三時を回っていた。


 頭の傷の腫れは、おさまり始め圭士は安心した。もう数日もすれば、良くなるだろう。しかし、その数日後に肉体があればの話だ。


 昨日のことが夢であればと思ったが、自分の携帯電話は水没して使い物にならず、あきれの連絡先が書かれたメモがテーブルの上にあった。


 車を降りるときに、渡されたものだ。


 夢にとも思えるSupertailの中に入り込む展開は、どうやら現実のようだ。


「どうするか」


 こういう時は何を考えても仕方ない。かといって、パーっと遊ぼうという気にはなれない。


 圭士は気がつくと、Supertailのコピー用紙をまとめてテーブルの上に置き、最初から読み始めていた。


 何度も読み、先の展開を知っているにもかかわらず、今までにない興奮を覚えていた。


 どんな仕組みかはわからないが亜木霊というもので、今読んでいるこのSupertailの世界に入り込める。この世界をただ頭の中で想像するのではなく、自分の足で歩き、空気を肌で感じ、物語を進んでいく。この世界に立った時、一体何を思うだろうか。想像しても想像できない。


 あきれやその仲間たちもSupertailの中に入ったのだ。なら、一緒に来てもらえれば心強いし、一緒にSupertailの世界を体感できるなんて、いちファンとしては嬉しい。


 そんな遠足気分であきれたちと合流したら、また何を言われるかはわからない。遠足気分でないにしろ、一人で未知の世界に行くよりはいい。提案だけでもしてみるか。


 物語は、少年少女の冒険モノ。当たり前のように武器や魔法が使えて、敵との戦闘もある。定石通り亜耶弥たちは、死ぬことなく物語を進んでいくが、もし自分が戦闘で死んでしまったらどうなるのだろうか。


 そうならないためにも、今予習と称し、Supertailストーリー全編をさらっている。この手の異世界での死は、現実の死に等しい。


 あきれの仲間が一人帰ってきていない。その仲間の状況がわからないわけではなさそうだったが、命がけという意味は、そういうことになる。


 人類を本にして、安寧の世界を作るという吹雪京の言っていることが本当ならば、Supertailの中で死んでも、生き返る記述をしてもらえれば本の中で生き続けることができるだろう。


 吹雪京という神の作者がそう書いてくれればの話だが。


 その吹雪京は、この物語のどこにいるというのか。Supertailに書斎の場面があったか。ノートに文章を書いているシーンがあったか。唯一、手書きの文章があったと言えるのは、ハワイ編の冒頭に亜耶弥が八唐司に渡した手紙だ。英士と亜耶弥が二人でハワイに行くという内容の。


 これが京を見つける手がかりになるだろうか。


 圭士は京がSupertailのどこにいるのか見当がつかなかった。現実世界でSupertailの作者を探す方がよっぽど簡単だったと思えるほどだ。それはもう昨日のこととなってしまっている。そして、オリジナルのノートもこの手で拝見することもできたというのに。


 Supertailの作者は、骨となり自分の世界に旅立った。


 記憶の中の絆は失われるという謎の答えは、持ち去られている。


 もう追いかけるのにはなれた深和圭士。


 少なからず知った世界を歩くのだ。


 あのワクワクした世界を。



- 4 -


 あくる日、圭士の部屋まで迎えに来たダンテとルカ。しゃべらないコンビの車中はそれはとても静かだった。今後のことを質問しても、軽いジェスチャーばかりで圭士は読み取ることはできなかった。


 嵐の前の静けさとでも思わせる車の中で、諦めと覚悟を再度決めるには十分な状況だった。


 結局、あきれと顔を合わすまで一言もしゃべらずにいた。車は、高速道路を進み、標識を見ていると、築波方面に向かっていた。研究所の建物や倉庫がいくつも並んでいた。いつの間に車は地下を走っていて、もう戻る道順はわからなかった。


 運転に迷いはなく、車は止まった。まるでビルの搬入口のよう。大きな昇降式の扉があると思えば、どこにつながっているかわからない出入り口のドアがいくつも並んでいた。


 ダンテとルカについてく圭士。


 施設の中は白い壁に囲まれていて予想以上に清潔な環境だった。


 何度も扉を通り抜け、ますます戻る気を失わせる。


 最新鋭の設備に囲まれた施設には、似つかわしくない木製の扉。しかも観音扉。コンクリートの壁に挟まってそこだけ異様な雰囲気を醸し出していた。異世界への扉のよう。


 ダンテとルカが両側から開けると中は薄暗かった。二人は同時に空いている手で、中へどうぞという促しのジェスチャー。


 圭士は恐る恐る中へ進み、ダンテとルカは扉を閉めた。廊下の眩しいほど明るかった光が消えてしまうのが、こんなにも不安にさせるとは思わなかった。


 薄暗い空間に大きな存在を肌で感じた。


 そう思っていた時、巨大な空間を照らす炎が壁に沿って焚き上がる。


 空間のほとんどを占める巨大な建築物がゆらゆらと炎に照らされて現れた。歴史の授業で習うこの国を象徴する木造建築物のようだ。


 わざわざ地下空間に建てたとでもいうのか。


 もともとここにあったのなら、歴史的な発見にもなろう。


 亜木霊というネーミングからして、この建物に霊的なものをひしひしと感じる。霊感がなくても分かるほどだった。


 霊廟とあきれは言っていた。


 霊廟は本来、人の霊を祀るためのもの。建物の形をした墓と言い換えられる。


 その存在感にも恐れず、霊廟の扉を開けて姿を見せたあきれ。


 先日会った時と変わらぬゴシックの衣装だった。霊廟とあきれの異様さにどちらも妖気すら感じる。どちらが間違っているのか、答えは出せない。


 あきれの声が響き渡る。


「深和圭士。ようこそ、私たちのラボへ。そして、Supertailの入り口へ」



第一部 完

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