第二回 タイトル

- 1 -


 遅く起きた朝、圭士は昨晩の酒と不快な気持ちとが混ぜこぜになって二日酔いに襲われていた。波打ち際に立たされて頭痛と吐き気の波を交互に浴びせかけられていた。


 シャワーヘッドから勢いよく出たお湯はまだ冷たい。頭からかぶると、いくぶん押し寄せる波を忘れさせてくれる。次第にしっかり温まった湯が出てくると、湯気が浴室全体に広がっていく。同時に圭士の頭の中も湯気に包まれるように霞が立ち込める。



 ――記憶の中の絆……



 ――失われる。



 霞の中を漂う作者の最後のメッセージ。


 毎回ノート十ページ前後で一回分の物語が終わり、必ずと言っていいほどノート下の欄外に作者のメッセージが残されていた。


 それらは、次回予告であったり、読者へのメッセージなのか誰に向けられたのかわからない「続き、よろしく」という伝達文もあった。


 正直、よろしくと言われても、そもそも何をよろしくしたらいいのだろうか。しっかりコピーして広くこの物語を伝えてくれと言っているのだろうか。


 ノート下の欄外に残される曖昧な表現は、今回だけではなく今まで何度もあったのだ。いつもやきもきさせられっぱなしだった訳だし、最後の最後まで腑に落ちない表現が続けられてきたといえば統一感はある。しかし、最後の、そこに違和感を感じていた。


 圭士は昨晩、それを読んだ時は気にならなかった。


 肌を伝い落ちるシャワーの湯とともに体内に残っていたアルコールも抜けていくような感覚の中、冷静さを取り戻して考えてみれば、不自然きわまりない。


 深夜の帰宅で疲労とアルコールに酔わされ、突然の最終回に心を乱されていたとはいえ、もう少しそこに注目しても良かったはずだ。


 それは「失われる」の「る」だ。最終回であれば、「失われた」にならないだろうか。



 ――記憶の中の絆は失われた。



 と、なれば絆がなくなって、極端な解釈ではあるが失われたという結果によりSupertailの続きが書けなくなったと理解することはできる。


 しかし、記憶の中の絆とは、作中にこのタイトルで差し込まれた短編のアナザーストーリーだ。


 突然、前回の続きとは違う場面で雰囲気を変えてこの物語が始まった時も、今回のようにドギマギした記憶があった。


 登場人物は、姫宮ひめみや亜耶弥あやみすめらぎ英士えいじ有皇川ありすがわ聖士せいじ刃隠とがくし零士れいじの高校生四人。


 夜、彼らが通う学園内にある噴水の前で月が反射する水面を眺めている姫宮亜耶弥は、胸の前で両手を組み、祈りを捧げる。この四人がいつまでも仲良く共に歩んでいけるようにと。


 記憶の中の絆では、特別なストーリーがあったわけではなかった。意味深に亜耶弥が三人の男を思う表現が記述されていただけ。


 これとは逆に本編では、三人の男たちが亜耶弥を本彼女にしようと詰め寄った場面も見受けられる。ただ、亜耶弥は皇英士を他の二人よりも心理的に近い立ち位置で表現されている印象だった。最終的には誰と結ばれるか今となってはわからないままだ。


 記憶の中の絆が失われるとは、この四人の関係が失われるということなのだろうか。しかし、ブラック・ローズ編が始まってこの四人の関係が失われそうな記述は見当たらない。それどころかメンバーでバンドを組んで演奏楽器の割り振りもしているのだ。ってことは……。


「音楽性の違いによる解散」


 圭士は、体を泡まみれにしながら思わず口からそう出した。すぐにそれはないと苦笑する。


 まだ曲も作っていないし、音楽の方向性すら決まっていないわけだから、多少の揉め事があったとしてもそれでこの物語が終わってしまうほど四人の絆がいとも簡単に壊れてしまうわけではあるまい。


 Supertailという物語は四人それぞれが特殊な力を持ち、敵と戦い絆を深めていくストーリーだ。音楽性の違いくらいでそうなろうはずがない


 もし、目の前の鏡が曇っていなければ、馬鹿な自分の顔を見ることになり、Supertailを好いている自分の恥を目の当たりにしていただろう。



- 2 -


 シャワーを浴び終え、二日酔いの頭痛や吐き気はいつの間にかおさまっていた。頭の中はSupertailのことでいっぱいになり、興奮していた。その思考が二日酔いなどの思考を吹き飛ばしてしまったようだ。


 冷蔵庫にストックしてあった500mlのペットボトルの水を口から流し込むと、温まった体が内側から冷えていく。冷たいという信号が、くぅっと圭士に言わせ、Supertailの思考を少しばかり冷たく止めた。


 思考回路に余裕ができ、まるで周囲が見えていなかったようで突然部屋の中の視界が広がった。ローテーブルに置いてあった携帯電話のランプが一定の間隔で点滅していることに気づいた。それはメールの受信を静かに知らせていた。


 メールは桧垣からだった。昨日のお別れ会での挨拶を改めて端的にまとめた内容だった。お疲れ様と次に向けてゆっくり休んでくれという定型文。その後に、Supertailのことで気を落とすなよとあった。


 圭士はすでに落ちた後だと思いながら定型感謝文を返信した。


 桧垣は、Supertailが終わってしまってショックを受けた様子はなかった。昨日も、コピーを渡される時、昔のように目は輝いていなかった。


 実際、楽しみにしていたのは世界で自分だけだったのかもしれないという考えが圭士の頭をよぎった。


 まだ手に持っていた携帯電話で久しぶりに「Supertail」と入力フォームに入力し、インターネットを検索した。


 過去に一度だけ圭士は「Supertail」の単語を検索にかけたことがあった。今から五年ほど前だ。その時の検索結果はとても印象的で今でもよく覚えている。面白いことに検索結果は、全くと言っていいほど「Supretail」物語に関する情報が出てこなかったのである。あたかも「Supertail」という言葉自体が存在しないかのように。


 誰もこの物語についてネット上に情報を上げていなかったのだろう。良い信仰心を持った読者がなんと多いことか。


 唯一出ていた情報は、流れ星に関するWebサイト記事に「Supertail」という単語が使われていた。そこに書かれていた「Supertail」というのは、流れ星の長く伸びた後ろの尾が通常よりも長く伸びた状態に使われる言葉だった。


 そのサイトに掲載されていた写真は、縦位置で宇宙空間の上へ強い輝きを放って進む流れ星。その尻尾は通常見る尻尾の三倍はある長さだった。ただ、その呼び名は一部の研究者たちの造語で正式名称ではないようだ。


 「long tail」なんて言葉もマーケティング用語にあったな。ただ長いだけでは飽き足らず、超越した長さを当てがう。嫌いじゃない。


 そのサイトを見た前後から、自分の中で特にタイトルの決まっていなかったこの物語に「Supertail」という名前がついて回ってきていた。


 読者たち全員が「Supertail」と呼んでいたかはわからない。他に呼び名がない訳ではなかったが、それはあまり使われていないだろうというのが圭士の見解だ。話の内容とあまりにも合っていないタイトルだったからだ。作者がどうしてそう名付けたのかよくわからない。


 誰だか知らない者が、いつになっても終わらないこの物語に「Supertail」というタイトルをあてがったことは正解だと思うし、腑に落ちる。宇宙空間をいつまでも進みゆく姿に重ねたのだ。


 もしかすると、しっぽの「tail」を物語の「tale」を掛けたのかもしれない。発音は全く一緒だ。長く伸びるしっぽといつまでも続く物語。


 五年ぶりの検索結果には、とてつもない数がヒットしていた。



 Supertailが終わった


 Supertailの終わり……


 Supertailの終わり、納得いかない


 Supertailが失われた



 などなど結果タイトルだけ見れば、終わりに関する不評の感想ばかりだった。荒々しく鼻息をたてた文句が書き連ねられていることが、ページ抜粋エリアに表示されている。


 圭士はそれを見て少し安心した。他にも同じように思っていた人たちがいたからだ。しかし、それ以上先のリンクを見ることはできなかった。好きだった物語に文句がつけられるのは、見るには耐えられない。圭士も傷つく……。


 昨晩、胸クソ悪くなったことを反省する。


 考えを切り替えようと、圭士はふと「記憶の中の絆」と入力して検索をかけてみた。


 「記憶の中の絆は失われる」という検索結果が出てくると予想していたが、その期待は裏切られた。思っても見ない文字列が目に入ってきた。



 新メインヴォーカルで「♪記憶の中の絆」|Little Stories



「まさか、Supertailを真似てバンドを結成していたとかってオチじゃないだろうな……」


 圭士は、Supertailのコピーをもらった日、それを読み始める時にあった胸の高鳴りに似たものを感じていた。


 「Little Stories」とここでは複数形で表示されているが、「Little Story」という表記でSupertailの本編に書かれていることがあった。正確にはわからないが数回程度しか「Little Story」という言葉は使われていない。明らかにそこから取ったことは間違いないだろう。そして、この言葉が作者が物語につけたタイトルでもある。直訳で「小さな物語」だろう。しかし、小説の内容はタイトルに相応しくない少年少女の冒険ストーリーだ。


 そのタイトル表示されているリンク先に移動する。


 Little Storiesというバンドのウェブサイトが表示され、サイト上部にはLittle Storiesのロゴマークが配置されていた。ライトグリーンを基調とし、枝と葉をモチーフにしたロゴマークで、優しさを感じる。


 Supertailの世界観からは少しイメージの違う印象を受けた。


 サイトは白ベースでキーカラーにロゴマークで使われているライトグリーンが使用され、明るくふんわりという言葉がぴったりなウェブサイトになっていた。


 スクロールしてみると、開いたページはニュースページだった。記事の更新日は四日前。


 ライブで、新メインヴォーカルの発表とその新ヴォーカルによる「記憶の中の絆」という歌を披露するという告知内容だった。曲名をアップしているということは、この曲が人気曲なのだろう。


 ライブの日程を見ると、今日の18時。出演時間が19時頃の予定と記されていた。いくつかのバンドグループと合同で順番に持ち時間が割り振られている形式のようだ。


 圭士は、ふーんと何度か頷き、興味が湧いて、Aboutのメニューボタンを選ぶ。先にMemberというメニューも気になったが、ここは順番に進んでいこうと自分に言い聞かせて、ページがロードされるのをほんのわずか待った。



― About Little Stories ―


グループ名は、とある小説のタイトルから拝借させてもらっている。メンバーはその小説の大ファンであり、楽曲はその小説からインスパイアされている。


また、ロゴマークは、小説に即して、枝は登場人物それぞれにある人生を表し、数ある登場人物が繰り広げる物語の先で芽吹かせる葉の様子をイメージしている。


Little Stories から心を込めて " Destiny begins to move. " を。



「まさしくSupertailのことじゃないか。しかも、ブラック・ローズ編にあったバンドを想起させる。結成はいつだ?」


 圭士は、笑みをこぼしながら画面をスクロールしていく。すると略歴が出てきた。


 結成は今から四年前の6月。結成後は、ライブハウスを拠点に活動しているようで、ヴォーカルが三回も入れ替わっている。


 ということは今回で四人目なのか。


 メンバー入れ替え時の書き方が、とても不思議だった。



 "二代目ヴォーカル 姫宮 加入"

 "三代目ヴォーカル 姫宮 加入”



「ヴォーカル姫宮……」


 圭士はすぐにSupertailのヒロイン姫宮亜耶弥が浮かんだ。


 下の名前の表記がない。なぜ、ないのか。


 そして、後回しにしていたメンバーページへ画面を遷移させると、表示された画面に、



 姫宮(四代目):ヴォーカル



 と、見出しが見え、写真が表示されるはずの場所に枠だけがあり、姫宮という人物の写真はまだなかった。枠の中央に "Secret" とだけテキストがあった。ニュースにあった内容と照らし合わせれば、ライブで初登場ということになるのだろう。


 ――なぜ、名前が姫宮に統一されているんだ。まるで、姫宮になろうと……


 圭士は思いついたように、すぐ画面を下へとスクロールする。



 戸隠:ギター


 皇:ベース・コーラス


 八唐司:キーボード・コーラス・作曲


 有皇川:ドラム・作曲・編曲



 それぞれ姫宮のメンバー紹介内容と同様に、名前と担当楽器の記述と姫宮の箇所にはなかったメンバーのモノクロアーティスト写真が表示されていた。


「八唐司までいるのか」


 八唐司やとうじ真琴まこと。女だ。姫宮亜耶弥たちと同じ高校生で、八唐司は有皇川聖士と恋仲のような関係である。はっきりと交際しているという記述は見受けられない。


 圭士はメンバーのアーティスト写真を見て、小説の中で圭士の描いていた人物像とは違っていた。Supertailの漫画や映像化されたものがあった訳ではないから、統一された人物像はない。


 ここにSupertailの人物名を使うのか。インスパイアといえば聞こえはいいが、パクリとも言われかねない。完全に一致させないため下の名前がないのだろうか。とある小説とAboutページで謳ってしまっているし、Supertailがわかる人には明らかだ。


 もし、このメンバーのうち誰かがSupertailを書いていたなら問題はないのかもしれない。しかし、記憶の中の絆が失われるというメッセージがありつつ、バンドを継続している。つながりは、ないのかもな……。


 圭士は考えあぐね、その思考をやめた。


「じゃぁ、直接、聞きに行けばいいじゃないか。繋がっていようがいまいが、何かわかるだろう。俺には時間はあることだし」


 圭士は桧垣以外にSupertailについて話すことはなかった。コピーを渡す相手以外と話してはいけないようなルールをなんとなく抱いていたからだ。Little Storiesのメンバーに会って話ができたら、どんなに面白くなるだろうか。どんなことを思って読んでいるのか考えるだけでワクワクする。圭士の心は弾んでいた。


 そして、Supertailからインスパイアされた音楽は、一体どんなものかも気になるところだ。圭士は、今日行われるライブ会場を調べ始めた。


「七本木ね。都会のど真ん中で演奏とは……」

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