第三回 Little Story

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 二度電車を乗り継いで七本木駅の地下鉄ホームに降りた圭士。


 都会きどりのシックで落ち着き払った黒いタイル壁を横目に流して地上への道を行く。黒い壁が何度もコピーされて黒くかすれた印字のSupertailにも思えてきた。しかし、圭士は、俺の中ではカラーでSupertail世界は再現されていると、一人心の中で豪語する。


 電車の往来でトンネル内に引きずり込まれる風が、地上出口からさらに風を呼び込んで、圭士の進行を止めようとしている強い向かい風。


 俺がどこでどう生きようと、誰かに阻まれる筋合いはない。


 力強く一歩一歩押し戻されないよう踏み出す。


 ホームの電車が過ぎ去って行ったのか、すぐに体が軽くなった。


 全く気まぐれな風だ。Supertailの読めない展開のようだ。


 いつもなら寝ている土曜日の昼中。外へ出ることはほとんどない圭士。いつ吹くかわからない人生の風が圭士の重りになっていたものを吹き飛ばしたせいか、心も軽くなっていたようだ。


 地上への出口を出ると、圭士の心を写すかのような雲一つない開き直った真っ青な空が立ち並ぶビルの合間から見える。またそれが空を圧迫していると同時に、色がなくなった圭士の心を苦しく感じさせる。ビルの後ろに隠れていた太陽が顔を出し、圭士は手を目の上に持って行く。


 とにかく今日はSupertailだけを考えよう。お出迎えありがとう、太陽。君だけはいつも暖かいな。怒ると暑いけどな。


 幹線道路と重なって走る首都高速道路。圭士はそれに沿って歩き出す。


 土曜の昼で人通りが多いかと思っていたが、まばらで都会の寂しさを感じた。十分もかからず、ライブ会場があるビルに到着した。


 一階店舗脇に地下への階段があり、その入り口に「Beat Boots」とあった。階下に電気がついている様子はない。人の気配もない。開場までまだ五時間ほどある。


 圭士はビルの裏手に回ってみることにした。スタッフや関係者、出演者は表から入らないかもしれないと考えた。ビルの脇道はなく、通りを戻って、一本裏手の道に回り込まなければならなかった。


 裏手の道は車一台分の幅で、立ち並ぶビルの裏手口となっていた。表のビルの外壁と同じビルにも通用口があった。


 ビル影でひっそり肌寒い。


 この出入り口がビルの中で地下につながっているかは定かではない。圭士はポケットから丁寧にたたんであった紙を出して広げた。A4コピー用紙に「黒薔薇」と少しいびつな字体で書かれていた。圭士が書き慣れていない漢字を細いマジックペンで太い字に見せようと何度も塗り重ねた結果だ。広げて改めて見ても、きれいな字とは思えなかった。


「あっ!」


 なぜ、今になってひらめくのか。わざわざ手で書かずともプリントアウトすれば良かったのだ。漢字変換して何度も携帯画面を見直す必要もなかった。


 完全にSupertailに当てられてしまっていた。ノートに手書きされたコピーの世界は手書きしなければならないと、勝手に自分のルールを作ってしまっていた。


 これがSupertail信仰の洗脳か、と心内笑った。


 圭士は黒薔薇と書かれた紙を胸の前に掲げた。


 Supertail妄信者もとい、Supertailを読んでいる読者であれば気づいてもらえるはずと圭士は確信していた。新章の名前「ブラック・ローズ」と掲げる者に。


 Supertailには、キーワードとなる言葉が他にもあった。


 バンド名になっていたLittle Story、各章のタイトル、記憶の中の絆、Destiny begins to move.、一風変わった登場人物の名前、月、神、妖乱祕封ようらんひふう、ファンタジーゲームに出てきそうな魔法名や技名、多重人格、T-ウィルス……。


 それらの中で、章タイトルが一番作品に馴染んだ言葉。その中でも突然終わった章タイトルを圭士は選んだのだ。


 ただ、大都会のど真ん中の表通りから一本入って陰った裏通りで、堂々「黒薔薇」の合言葉のように見せている男を何も知らない人から見たら、最悪警察に通報されかねない。何かの密売人かと勘違いされても仕方ない。


 圭士はそのアングルで自分を見る目は持っていなかった。


 Little Stories のファンの早い出待ちくらいにしか思っていなかった。



 - 2 -


 五分ほど「黒薔薇」の用紙を掲げていると、三人の男たちが近づいてきた。二人はギターかベースを背負っている。そして、三人ともマスクをし、視線は圭士に向いていた。しかし、マスクで隠れて完全に表情がわからずとも、決して良い印象で見ていない。


 圭士は怪しさなんて微塵もありませんと言わんばかりの繕った笑顔。それでも三人組は圭士を無視して通用口を開けて中に入って行った。


 ライブ出演者のようだが、Little Storiesのメンバーではなかった。Webサイトで見た男性メンバーの髪型と明らかに違っていた。


 もし、Little Storiesであれば、無条件に反応して声をかけてくれるはずといいようのない自信があった。


 それから肩肘を十分ほど張って、疲れを感じ始めた時だった。なにやら楽しそうに会話をしながら近づいてくる五人組がいた。男三人が女性二人の前を歩いている。後ろの女性一人は、背が低く長い髪でマスクをつけている。その隣の女性は見てすぐに八唐司だとわかった。Webサイトのアーティスト写真と同じショートカットがとても強く印象に残っていた。


 Supertail作中、八唐司がショートカットであると髪型だけは、なぜか言及されているのである。その設定に従い、アーティスト八唐司も髪型を合わせているのだろう。


 圭士は、Supertailのキャラクターは架空のものだと理解はしているが、目の前に偶像のごとき現れ、興奮してしまった。


「あ~! 黒バラだって」


 子供のようにひょうきんな声を上げて、礼儀をわきまえず圭士を指差す男。それは刃隠。肩には黒いギターケースをかけている。


 圭士はドキッと胸が跳ね上がり、少し緊張も増す。


 見た目は圭士の想像と似ても似つかないが、Supertailの刃隠の性格をそのまま再現しているようだった。


「おい、指差すなって! 失礼だろ。申し訳ない」


 すぐに刃隠の腕をつかんで降ろしたのは、皇だった。普通の青年のようだ。Supertailでの皇は、比較的明るい性格ではあるが、本心・本性をつかみづらいキャラクターだった。


「ブラック・ローズなんて言葉知ってるくらいだから、刃隠のことは問題ないかな」


 皇が続けて話す。


「えぇ、もちろんです。それより気づいてもらえて良かったです」


「え、なに、その俺の存在……」


 刃隠は涙する顔を作り、天を仰ぐ。すぐに八唐司がハイハイとうわべの言葉と一緒に刃隠の頭をなでてやる。


 圭士は先の繕った笑顔ではなく、声をかけられたことで本心から笑顔を見せていた。


「待ち伏せのファン、じゃなさそうだね? 黒薔薇という曲は作ってないから、新手の読者かな?」


 八唐司のキーボードケースを持っていた有皇川が、冷静に考察して言う。Supertailで重要なシーンで発言する有皇川そのものに感じた圭士。


「突然終わったSupertailについて少し話が聞けないかなと思って……。いや、ライブでお忙しいことは重々承知はしています。どうしても終わりに納得ができなくて、誰かと話したいというのもあって――」


「ふふっ、それは俺たちも同じだよ」有皇川は、圭士が話し終える前に重ねて話してきた。「正直、ライブどころじゃない、と言いたいところだ。作者の真意が知りたいとメンバーとも議論していて、他の読者にも話が聞けたらと思っていたんだ」


「じゃぁ……」


「こんなところで話すのもあれだから、中に入って話そうか」


 有皇川は何の疑いもなく、圭士を通用口からビルの中へ案内しようとドアに手をかけた。


「え? そんな簡単にいいんですか?」


 信用されているのか、いないのか。逆に不安になった圭士は驚いた。


「うちのファンにSupertailを読んでいる人もいるようだけど、それを絡めてまで接触してくる人はいないから。Little Storiesの音楽性もあるかもしれないけど。仮にあったとしても、"ブラック・ローズ"をキーワードにするのは、何かあるに違いないでしょ」


 そう言って有皇川は中に入り、ドアを押さえたまま圭士を招き入れる。


「有皇川がいいと言っているので、大丈夫ですよ。さぁ、どうぞ」


 圭士の背中を押すように八唐司が微笑んで促した。


 どうも有皇川がリーダー的存在のようだ。そして、圭士は足を進めた。



 - 3 -


 地下への階段を降りていると、後ろをついてくる刃隠が声をかけてきた。


「お兄さん、俺ら相当Supertail読み込んでいるからちゃんと話についてきてよ~」


「もちろん。読み込みは出来てるからしっかり話はできると思います」


 軽妙な喋り方は、本当に本人のようだなと、圭士は改めて感じる。


 階段を降りると個室がいくつかあり、別に機材部屋があった。その個室の一つに、楽屋らしくドア入り口横にLittle Stories様と張り紙があった。先に入った有皇川が荷物を置き、オーナーに挨拶をしてくると言って出て行った。


 メンバーは個室の適当なところに荷物を置き、イスに座って一息つく。ライブへの緊迫した緊張感はなさそうに見える。だが、一人だけイスに座るなり、カバンから楽譜を取り出し、入念に読み始めた。八唐司の隣にいた小柄でマスクをした女性だ。おそらく四代目姫宮だろう。


 今日が初登場ということは、緊張しているのだろう。ライブで歌うのも初めてなのだろうか。やっぱり大変な時に来てしまったかな……。


 圭士は背筋を伸ばして、楽屋の出入り口付近に立っていた。


「中に入って座ってください」


 挨拶を終えて戻って来た有皇川だった。イスは人数分しか用意されていなかったので立っているつもりだった。有皇川は、この場所に慣れているようでどこからかパイプ椅子を持ってきた。


「チューニングは、三時半から出演順にするそうだ。それまで少し話ができそうだ」


 メンバーはそれぞれ返事をした。姫宮は、有皇川に向けていた視線を楽譜に落とした。


「自己紹介がまだでしたね。深和圭士と申します。Supertailは中学二年から十四年間ずっと読んでいます」


「じゃぁ、深和さんもほぼスタート時から読んでいるんですね」


「そうですね。長々細々と」


「僕は有皇川こと古井諒です。Little Storiesのリーダーです。よろしく」


「こちらこそよろしくお願いします」


 二人は握手を交わした。圭士は力強く握られて感動を覚えた。表世間には知られていないたった一つの小さな共通点で繋がれたことに。


「メンバーを紹介するよ。刃隠こと岡本秀人。皇こと大橋悟。八唐司こと柳奈々。で、今回からメインヴォーカルの姫宮こと中村ゆりな」


 古井にそれぞれ紹介されて、一人ずつ握手する圭士。有名人の紹介を受けているようで、さらに気持ちが高揚する。


 中村ゆりな以外は、大学の同期性で二十歳の時にこのLittle Storiesを結成。メンバーが大学を卒業して社会人になっても運良く勤務地がバラバラになることなく活動が続けられているという。ただし、ヴォーカル姫宮というポジションを除いて。


 中村はまだ二十歳で、学生。Little Stories結成以来のファンだったらしく、一緒に活動に参加し、コーラスを担当していたが、三代目姫宮が抜けて今回四代目に抜擢されることになった。当の中村もコーラス参加することになってからSupertailを読んではまってしまった。


「まっ、うちらの中では、コピーし合って内輪で回していたことがバレてしまうけど」


 と、古井は苦笑して見せた。


「読者が皆ルールを守っていたのかわかりませんし、唯一ネットにアップされていないことの方が驚きですけど」


「確かに。深和さんは何か僕たちに聞きたいことがあって来られたんでしたよね?」


「はい。グループ名にLittle Storiesと名付けられていますが、作者から許可されて使っているのかなと……」


 圭士の質問に場が一時、止まった。


「あ、聞いちゃまずかったですか」


「そういう訳じゃないんだ。ここ最近、その類の問い合わせが増えていてね」


「問い合わせ?」


「作者の知り合いなのか? 知っていたら終わらせた理由を聞け、とか。そういうことだよ」


 きっぱりと刃隠こと岡本が、不満を募らせて言ってきた。今さっきまでは上機嫌だったのに。


 これは失策だ。俺もそこが聞きたくてここまで入り込んでしまったんだ。


「本当に私たちは作者を知らないんだけどね。Webサイトからそういうお問い合わせが増えてるの。Little Storyのインスパイアって謳ってはいるけど、作者の許可はとってはいないのも事実。でもこれきっかけで、作者がライブ会場に来てくれてもいいんだけどね」


 八唐司こと柳がメンバーが言いにくそうなことを言ってきた。しかし、最後に付け加えた一言が場の雰囲気を和ませる。


「本当に申し訳ないです。実は自分もその口でして。作者を知っているのかなと思って。もし、知らななくてもコピーをたどって作者を突き止めようとも思っていて……」


「いえいえ、皆気軽に問い合わせてくるだけです。でも、直接聞きに来られたのは深和さんが初めてですよ。もし、本気で作者を探すというのであれば、協力しますよ」


 と、古井。


「本当ですか。ちょうど仕事もなくなって時間が空いたものですから、馬鹿な気分転換かもしれないと思ってはいるんですけど」


「それはそれは……。なら、まずはうちの兄を紹介しますよ」


「お兄さん?」


「深和さん、聞いて驚かないでください。ビックリしますよ!」


 柳が前のめりで言ってきた。


 ――驚かないで? ビックリする? どっちだ。


 ――本当に八唐司のような性格の人だな。みんな演じてる訳じゃないんだろうけど。


「Supertailは、うちの兄から回してもらっていてですね、兄はバーをやっているんです。そのバーの名前がブラック・ローズなんです」


「えっ!!!」


「ハイ、驚いた!」


「いただきました!」


 柳と岡本が面白がる。


「いやいや、そりゃ驚きますよ!」


「深和さん、それだけじゃないんですよ。ブラック・ローズ編が始まったのは、コピーを回す前後期間があったとしても、この一ヶ月くらい。でも、兄のバーはブラック・ローズとして四年はやってます」


「えっ!」


「驚き、二つ目もらいました」


 今まで様子を伺い黙っていた皇こと大橋がポロっと言った。


 ――みんな仲がいいなぁ。昔からこういう仲で、Supertailの話をしてきた人たちか。


 圭士はこの時ほど心から羨ましいと思ってしまった。


「偶然、ブラック・ローズだったのでは?」


「詳しくは聞いてないんですが、どうも兄は前々からブラック・ローズという言葉を知っていたようです。もしかしたら、作者に関する情報を持っているかもしれません。なので、今度、一緒に兄の店に行きましょう。Supertail好きにはたまらないお店になってますから」


 圭士は、両手で自分の両腕を上下にさすった。


「今、鳥肌が……。この急展開、Supertailの初回のようですね。出雲編だと、刃隠零士が集合時間に現れず夜のうちに誘拐されて、みんなで助けに行っちゃうみたいな」


 物語には展開へのきっかけがある。Supertailは、いつも唐突で、おそらく読者の誰もがそれを予測できない。そして考える隙を与えずに、登場人物は後ろを振り向かずに走り出す。それでもなぜか、その背中を追いたくなってしまう。それがSupertailだ。


「いやいや、出雲編明けのロボット編冒頭の突然の転校生がやってきた理由だよ」


 岡本がここぞとばかりに勢いよく話に割り込んできた。


「巨大ロボットの頭部が校舎に落ちてきた、でしょ! 秀人はいつもそこからよね」


 柳が呼応する。


「校舎が使い物にならないから転校してくるっていう理由も強引ではあるけど、転校生が来ることで物語が動き出すのは、現実でも有り得るでしょうが。ワクワクって」


「俺はハワイ編を押すね。あれは、姫宮の策略に始まり、姫宮で終わる。姫宮が皇英士を連れて二人抜け駆けのようにハワイに行ってしまう。そしてハワイ編のあの最後を誰が予想できたか。いないだろうね、あれは」


 もの静かだった大橋が、力を込めて力説した。


「それなら、ブラック・ローズ編の謎の呈示の仕方だって、今までのように派手さはないが、シンプルなところに大きな含みを僕は感じてるよ。姫宮亜耶弥には"きょう"という姉がいることが、ブラック・ローズ編で初めて明らかにされる。そして、その姉が実は行方不明ときてる。"ゴースト"という隠語がつけられて。しかも、姫宮亜耶弥本人の口からサラリとね」


 古井も自身が気になったところをあげた。テンションを上げずに淡々と話す雰囲気に圭士は引き込まれていった。


「そこもそうよね。SupertailにおけるDestiny begins to move. よね。それになぞらえるなら、深和さんがここに現れ、作者を探し当てる最初の"Destiny begins to move. ―運命が動き始める。"が、この今なのかもね」


 柳の発言に、圭士は鳥肌以上に身震いすら起こった。


「奈々、それは上手くまとめ過ぎだろ」


 すかさず岡本が口を出す。


「そう? 素敵じゃない。私もDestiny begins to move. の波に乗ってみたいし」


「たく。これだから女は……」


 柳の発言に目を覆って崩れてしまう岡本。


 その岡本の発言はSupertailのどこかの場面にあった。それを思い出した圭士は笑みをこぼした。


「Destiny begins to move. のそれに匹敵するのかわかりませんが、俄然、作者探しにやる気が出てきましたよ」


 と、圭士は握りこぶしを見せた。もし、これがSupertailであれば本当に楽しい物語の一編になるのかもしれない。しかし、これは現実であることを圭士は承知している。物語のような運びにはならないことを。


「あの、私、ちょっと外で読んできます」


 一番年下の中村が立ち上がって楽屋を出て行こうとする。気分を害してしまっただろうか。


「あ、申し訳ない。つい嬉しくて話し込んでしまって。私が出て行きますから。ライブの打ち合わせやリハとかあると思うので、私はこれで。もちろん、ライブ、見させてもらうので。楽しみにしています。頑張ってください!」


 圭士は慌てて立ち上がり、中村の動きを止めるように楽屋の出入り口に立った。


「深和さん。うちらのことでしたら大丈夫ですから。ここのステージでは微調整できれば良いだけなので」


 つられて古井も立ち上がった。


「いや、それでも……。アポなしで突然お邪魔してしまったので、今日は失礼いたします。ライブ、楽しみにしていますから」


 と、Supertailの続きの話に後ろ髪引かれる思いを断ち切り、圭士はその場を後にした。


 作者に出会ったら、この思いをぶつけたい。どんだけこの物語は読者を楽しませていたのかを。これだけ人を引きつける作品があることは、読者にとっても作者にとっても幸せだろう。



 - 4 -


 『Beat Boots』ライブ会場の幕が上がった。


 一度チケットを購入すれば、スタートから終わりまで全アーティストのライブを見ることができる。しかし、圭士は Little Stories の出番が来るまで時間を潰した。


 Little Stories の前のグループが終わり、ぞろぞろと客たちが会場からはけていく。その入れ替わりにLittle Stories の番を待っていた客たちがなだれ込む。


 観客用の椅子はなくスタンディング形式で、圭士はフロア後方壁面に設置された手すりに寄りかかっていた。


 フロア半分ほどが客で埋まる程度だった。前のグループに比べたら少ないが、メジャーデビューもしていない無名のグループが会場半分も入れば悪くないだろう。客層は二十代女性がほとんどのようだ。男性も少なからずいるが。


 そして、会場に場違いとも言える格好の客がいた。ゴシック衣装。最前列の一番端で一人目立っている。自前の衣装なのかはわからない。


 七本木界隈のメイド喫茶類の店員なのだろうか。休憩時間の合間に見に来たというのだろか。Little Storiesは意外な客層にも支持されているようだ。


 そうこうしている間に、会場全体の照明が落ち始めた。セッティング済みのステージにメンバーが出てきた。しかし、まだマイクスタンド前にはヴォーカルの姿はない。ドラム有皇川の三度の合図で、スピーカーに楽器の音が入り込み、会場に響き渡る。スローテンポで低音が繰り返される。まるで、霧が立ち込める森の中を歩く物語の冒頭のように。


 何度か繰り返される音楽とともに、ステージ中央にじんわりと月の光を照らすように落ちてくるスポットライト。


 新ヴォーカル姫宮が立っていた。楽屋では付けていたマスクはしていない。まさに緊張が表情に出ている。会場の拍手に一礼し、さらに拍手が大きくなった。


 それが合図だったのか、有皇川のドラムのテンポが急に変わり、次の曲の始まりだとわかった。


 ステージ全体に照明が当たり、メンバー全員の姿がはっきり見えるようになると会場の客たちも歓声を上げた。


 先の森の中から一気に飛び出たように明るい世界。しかし、どこか寂しさ、悲しさを感じさせる曲調は、西欧風なアコースティックな部分がそう思わせるのだろうか。


「四代目・姫宮~!」


「記憶の中の絆~!」


 観客の中から女性の声が飛ぶ。熱心なファンなのだろうか。


 姫宮はマイクスタンドから外したマイクを太もも前に持って、歌の入りを待つ。ゆっくりマイクを口元へ持って行く。そして、一息吸い込んだ。


 姫宮の一フレーズ目の声で、圭士は鳥肌がたった。その小柄な女性から想像つかない低音が響く深い声。アコースティック風な音楽と民族性を漂わすその声が合わさり完成するLittle Stories。



 ― 記憶の中の絆 ―


 月照らす道 一緒に帰ったね

 神のシナリオにあらがうあなた


 強く引っ張る手のぬくもり忘れない

 握れば握り返してくれる


 闇に引き込まれそうになった私

 助けてくれたあなた もういない


 涙を枯らし目を閉ざし未来を閉ざして

 光がなくても見える 記憶の中の絆



 本を開けば新しいストーリー

 終焉をつづらないあなた


 世の理を超えた想像力に

 笑ったら微笑んでくれたのに


 一人になった私の頭を

 なでてくれたあなた もう見れない


 君が壊れても互いの過去は変わらない

 私の中で永遠の 記憶の中の絆


 断ち切られた会話も


 私から続きをはじめるから


 約束の地で屍になっていても

 私の骨に刻まれて


 運命のいたずら 時と重なる魂

 君とともに甦る 記憶の中の絆



 - 5 -


 最後の歌詞を吐ききり、姫宮の声は観客の中に溶け込んでいく。そして、音楽が息を合わせて終わった。


 スピーカーから消える楽器音。


 一瞬の静寂の後に歓声と拍手が湧き上がる。圭士も痛いほど後方から拍手を送った。


 ステージ上では余韻に浸る姫宮。それをよそに、ステージ最前列の端で見ていたゴシック衣装の女がステージに上がり、躊躇なく姫宮の首に手を当てがった。姫宮は驚く間もなくふらりと意識を失い、その女に崩れ抱えられる。


 女の手の中で一瞬、照明に反射して光った細い何かが見えた。短い注射器のような。


 会場は困惑の域をいっきに通り越して、パニックになる。悲鳴を上げてフロアを駆け出して会場を飛び出ていく客。その流れに逆らうように黒スーツ姿の男二人がステージに向かっていく。


 最初の曲を歌い終え、一つ緊張から解放されて瞬く間に意識を失った姫宮を男が抱え、会場を何事もなかったように出て行く。ゴシック衣装の女もステージ上のメンバーを気にすることもなく、男たちの後を追っていなくなった。


 ステージ上では、何が起きたのかわからずただ呆然とするLittle Storiesのメンバー。


 後方で、演出家のように計算されたその出来事をただ見ていることしかできなかった圭士。


 ――姫宮は連れ去られたのか?


 ――誘拐


 この似た状況に、圭士の頭の中にSupertail物語の一編が思い起こされていた。



 刃隠零士が誘拐された出雲編の冒頭を……。

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