途切れたSupertail

水島一輝

第一部

第一回 最後のコピー


 この物語が終わる時、自分の青春が一つ終わるものだと思っていた。


 しかし、その物語は完結せずに途中で止まったまま、終わってしまった。


 流れ星が長く伸びた後ろの尾を置き去りにしたかのように。


 後味の悪い青春を残して星だけがどこかに行ってしまった。


 この物語はその星と尾を結びつける物語。



- 1 -


 ノートがコピーされた紙を仰向けになって読んでいる。


 何度もコピーが繰り返され、鮮明さを失いかけている字が並んでいるが、疾うに慣れてしまっている。だから早く現実を引き離してコピーされた物語の中に入り込みたかった。


 しかし、会社仲間との最後の飲み会いわゆるお別れ会を終え、酒が入っているせいか深和みわ圭士けいじはなかなかいつものように入り込むことができなかった。


 なんの変哲もない一人暮らしの男部屋に響く時計の針の音がしっかりと耳を突く。没頭してしまえば、周りの音は聞こえてこないはずなのに、今に限っては。


 このコピー用紙をもらったのは今日。圭士、最後の出社日。圭士だけではない。圭士が勤めていた会社の社員全員もだ。


 このご時世珍しくもない会社の倒産にあったのだ。


 大学を一浪して入学し、新卒でヒマワリシードという現会社に入社した。主な事業は、またまたこのご時世珍しくもないスマートフォンアプリの開発会社だった。当時、圭士を入れてまだ五人の会社で、年々アプリのユーザーが増えるにしたがい、社員も増えていった。圭士が入社して四年、昨年のことだ。


 ライバル会社がゲームアプリのヒットを飛ばす中、とうとうヒマワリシードの業績に影を潜めるようになった。パズルアクションゲームが主流のところ、ヒマワリシードは迷路を軸にしたゲームが主軸だった。


 爆発的なヒットこそなかったものの熱狂的なファンやゲーム初心者、子供が入れ替わり立ち替わりでゲームと会社を支えていた。しかし、陰りは現実の色を帯び、赤い数字がちらつくようになった。


そして、会社倒産を決定的にしたのは、社長個人判断による株の投資だった。社長は資金を作ろうと会社のお金を当ててしまったと説明を受けた。社長に近い者ですらその行動に気付く者はいなかった。株に素人も同然だった社長の目論見は完璧に外れ、多額の借金を作ることになったのだ。


 ただ、救いと言ってはあれだが、社長はヒマワリシードと平行して別にゲーム開発会社を運営していたのだ。ヒマワリシードの社員の多くは、特に申し出のなかった者たちは、もう一つの会社に転籍していった。



- 2 -


 圭士も転籍か転職か二ヶ月ほど悩んでいたが、どちらも選ばず、少しばかり休職する道を選んだ。そして、今日ヒマワリシードメンバーとの最後の仕事……といっても倒産する会社での仕事はなく、備品周りの片付けが残っていた。


 そんな中、幼馴染と言ってもよく、同じ会社で働いていた桧垣が声を掛けてきた。


「圭士。はい、Supertailのコピー。ちょうど昨日俺のところに回ってきた。今日、圭士にどうしても渡しておこうと思って急いで読んでコピーしたよ」


 いつもの十枚ほどのコピーだ。


「あぁ、ありがとう。続きを楽しみにしてたんだ。ちょうど新章が始まって、また新しい動きになりそうだったしさ」


 しかし、コピー用紙を手渡す桧垣の表情は浮かない。圭士がこの会社から転籍をせず、去ってしまうのだという悲しい気持ちも含んでいるのだろうと、圭士は感じていた。


「ネタバレするつもりはないが、これな、終わったぞ」


 手渡された十枚ほどしかないはずのコピー用紙がずっしりと重く感じた。


「えっ、終わった? 冗談はやめてくれよ。まだ、終わる段階じゃ……。まさか、もう桧垣は読まないってことなのか?」


「そうじゃない。これを読めばわかる。もう次はない」


「本当に?」


「あぁ、たぶんな。再開を思わす言葉はなかった。昨日の今日で俺もびっくりだよ」


 社内を片付ける音で騒がしいというのに、圭士はとても静かで別次元の真っ白な空間にいるようだった。


 何度もコピーを繰り返された圭士の持つコピー用紙をすぐに読みたいけれど、読めない。読んでしまえば、この会社同様、そこに綴られた物語は終わってしまう。


 そんなのは嫌だと何度も心の中で繰り返した。そして、その気持ちを押し殺すようにカバンの中にコピー用紙を突っ込んだ。


 それでもSupertailへの思いは断ち切れず、呆然と立ち尽くしていた。


 数週間前、会社の入るビルのエレベーターで社長の姿を見た。少し見ない間に顔はやつれていた。目も死んでいるように捉えどころもなく、宙をさまよっているようだった。桧垣に終わりを告げられた圭士の表情は、その社長に近い正気を失ったようになっていたのだろうか。


 桧垣がさらに声をかけてきた。


「大丈夫か。そんなに気を落とすなよ。プロの書いた物語でもなかったわけだし。プロだって途中で連載が終わることだってよくあるだろ。これだって、どこの誰が書いたものかもわからない。作者に何かあったのかもしれないしさ」


「……」


 圭士は肯定とも否定ともつかない曖昧な反応をすると、桧垣は自分の片付けに戻っていった。


 確かに桧垣の言うことに一理あった。今どき珍しくテキスト作品いわゆる小説の類がインターネットではなく、ノートに書かれたものをコピーされた紙で人を介して回ってくる。SNSでの拡散すらない。時代遅れといってもいい方法で、それでも人から人へこの物語は渡されていく。


 渡す際、暗黙のルールがあった。人へ渡すことのできる人数は一人につき一人。必要であればコピーを取り、新しくコピーしたものを次の一人に渡すことができるというものだ。一体何人がこのルールを守っているのだろうか。



- 3 -


 初めてこの物語を読んだのは中学二年の時。夏前のある日、眠くなりそうな先生の話を聞いていた。


 あくびをこらえる圭士の隣で、クラスメイトの桧垣が真剣な目つきでノートがコピーされた紙を読んでいた。気になった圭士は先生の目を盗み、こそっと何を読んでいるのかと聞くと、輝かせた目を圭士に向けてきた。その時、その輝きを先生に向けてやれと思ったことを今でも覚えている。


 桧垣は例のルールを守るかわりに読ませてくれた。この時点で桧垣はまだ渡す相手が決まっていなかった。


 あれから十四年、Supertrailは終わりを告げたのだ。とても中途半端に、一方的に。ヒマワリシードが終わるように一人の勝手な行為のように。


 圭士は、完結しなかった最後のページを読み終え、胸クソ悪い気持ちを晴らすようにコピー用紙を思いっきり宙へ放り投げた。


 普段、悪態をついたり、物に当たることはほとんどなかった圭士だったが、負の気持ちが読んでいる間、ふつふつと煮えたぎっていた。胸クソ悪くなっていつの間にかコピー用紙の端を強く握ってしまっていた。くしゃくしゃになった端が重りとなって、どこにもぶつけられない気持ちとは裏腹に紙は一直線に床に落ちていった。そして、思い出したように真夜中を刻む時計の針の音が聞こえてくる。



- 4 -


 Supertailは、現段階まで四つに区切ることができる。


 一つ目が『出雲編』、二つ目が『異世界ロボット編』、三つ目が『ハワイ編』、四つ目が『ブラック・ローズ編』。


 最近になって、ハワイ編が終わりブラック・ローズ編という新章に突入したばかりだった。当面のキーとなる人物や謎は触り程度が提示されたというのに、あたかも続くようないつもと変わらない筆跡で物語が進行して、謎の解決はない。


 これからは登場人物たちが勝手に生きて進んで彼らの中だけで終わりますと言わんばかり、想像だけを読者に一方的に押し付けて呆気なく終わった。形としては、終わったのかもしれないが、どうも終わっというより、途切れたと言った方が良いかもしれない。


 圭士は、会社がなくなってしまったこと以上にこの物語が途中で終わってしまったことの方が悲しく悔しかった。こんなに楽しみにしている読者がいるんだと。


 一週間から二週間の間隔で、物語の続きが届くのだ。社会に出てからこの物語が圭士にとって娯楽の一つとなっていた。休日に最初から読み直すこともあった。


 その物語にもう続きはない。


 仕事もない。


 休職することは自分の意思で選んだことだが、次の職探しをする気にもならない。そこは割り切りることが大事だと、誰でも言えそうな言葉が世間体というどこだかわからない空間から頭の中に響いてくる。


 まだ大人になりきれていないと言われれば返す言葉はない。圭士は二十八歳にして早くも生きがいを失ってしまったと思うほどだった。


 自然と目はつむり、深い溜息をした。それと一緒にどっと睡魔が圭士を襲い、深夜もかなり遅く眠りについた。それでも一つ気になる一文が頭の中を駆け巡っていた。


 作中で頻繁に使われていた言葉がある。


 それは「記憶の中の絆」。


 その言葉に新しく言葉が添えられていたのだ。それを読んだ時、


「意味がわからない」


 そう言うしかなかった。


 その一方でこの作者は気持ち悪いとでも思わせたかったのかもしれないが、初めて読んだ時の十四歳の子供ではない。もう理解力のある大人だ。そうは思わない。


 最後のページに書かれた終わりを告げる作者の最後のメッセージは、まるで殴り書きのような筆跡で、急いで書いたのか、今の圭士のように胸クソが悪かったのか、かなり強い筆圧で字は太く乱雑に書かれていた。



 記憶の中の絆は失われる。



 と。

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