森の狩人
「よう、アリス。残念ながら失敗した。矢張り罠だったようだ。見事にやられたよ」
『それで?どうするの。五体満足なんでしょ』
「うむ。それなんだが、どうするべきだろうな。向こうは、恐らく匂いだと思うが、此方の接近に気付いていたし、奇襲が効かないとなれば結構厄介だぜ」
『此方も向こうの居場所が分かるから、情報としては五分五分なんじゃないの』
「いや、此方が分かるのは犬の居場所で村長の居場所では無い。対して向こうは恐らく俺と宝条さん、何方でも分かるだろう」
『それでも、より遠くから位置が分かるという点では此方が有利だよ。向こうも敷島くんが言うように頭の切れる人なら、入れ替わり-で良いのかな?-が二回とも通じるとは思わないだろうし。それに、早く攻めなければいけないのは向こうも一緒だよ』
言われてみればアリスの言う通りで、陽炎はらしくもなく攻者の有利に目が眩み、向こうも同じ立場だということに気の付かなかった。
「ともすれば、向こうから攻めてくる、と?」
『とも言い切れないんだけどね。矢っ張り万作さんの方に行く可能性もあるし。でも、そこ迄しているのなら、今の所は間違いなく敷島くんのことが主眼に置かれているよ』
「悪い、アリス。お客さんだ。それで、何処なら落ちあえる?」
『一時間後、別れた場所で』
陽炎は了解、と伝え電話を切った。そして振り向く。そこには、犬神の姿が有った。
「追いかけて来たのか……どんな粘着質だよ……」
陽炎は溜息を吐き、犬人間の一撃目を躱す。そうして、右足で犬神の足を引っ掛け、転ばそうとする。その目論見は確かに成功し、犬人間は転んだのだが、転んだ勢いそのままに両手を付き、前方へ駆け抜ける。
逃げた分けでは無い。その証拠に陽炎には目に見えぬ相手からの殺気がひしひしと感じられた。
「本気で仕留めに来たか……確かに此処は奴に有利っ」
独り言の途中で仕掛けてきた犬神の一撃を紙一重の所で避ける。そして懐から抜いた拳銃の照準を合わせようとするが、それ以前に犬人間の姿が消える。
参ったな。迂闊に山の中に入ればこれだ……俺はこんな追い詰められる人間じゃ無かった筈なんだが。そう思うも、この現状から脱出する明白な方法がある分けでも無く、防戦一方である。
「いや、試してみるか」
だが、彼は一矢報いる方法を即座に思い付くと、それを実行する。
聡明な読者の皆さんは既に気付いていると思うが、陽炎に備わる能力は『銃弾等を思い通りの場所に当てる』ものでは無い。寧ろそれは彼の能力の副産物の様なものである。彼の真の能力とは『未来を予測する』というものである。
故に銃弾を当てるのは、彼がその銃弾が当たる未来を予測し、それに合わせて拳銃を撃っているからなのである。
つまりそれは、相手が次にどう手を打ってくるか、分かるわけであり。
陽炎は右から襲いかかってくる犬神を躱す。いや、彼は犬人間が視界に入るより前から回避運動に移っていた。そして、その時には既に彼の拳銃は左に向けられていた。○.五吋の口径をほこるデザートイーグルが火を吹く。弾丸は犬人間の後頭部に見事命中した。
そのまま流れる様な動作で二発目、三発目と銃弾を撃つ。世界最強の自動拳銃の名は伊達では無く、既に犬神の頭は原型を留めていなかった。が、相手は不死といっても良い程の化け物である。そう簡単に死ぬ分けもない。
「……だが、これでしばらく動かんだろう。今の内に合流を果たさねば……」
陽炎は道を急いだ。
「それで、おめおめ逃げ帰ってきたの?」
アリスの第一声がそれであった。
「いや、戦術的には勝ってた」
「戦略的には負けてるんだよ。村長の行方も分からなくなっちゃったし」
アリスは陽炎の反論をバッサリと切り捨てた。
「向こうはこちらに一方的に攻撃を仕掛けて来れるからね」
確かにその通りである。では、それに対抗する手段が必要になるのだが。
「犬は不死身。飼い主は行方知れずか……本当どうしよう」
手詰まりであった。
「こういう時こそ探偵の出番でしょ?早く推理でもしたら?」
アリスのある種突き放したような言葉を聞き、陽炎もどうやらそれしか無さそうだ、と観念する。
「先ず、今回の案件で最も注意を払うべきなのは、村長がどうやら頭が良い奴らしいということだ」
陽炎の言葉にアリスも同意を示す。
「敷島くんが罠にかかるくらいだからね。敷島くんが意外と単純だということを考慮しても、警察を呼ぶ時間の絶妙さといい、色々と考える人のようだね」
「言い方は引っかかるが、概ねその通りだ。そしてそれを大前提として、だ。村長は今どこにいる?」
陽炎の何か含みある言い方にアリスは俄かに納得した表情を見せた。
「彼は自分の家にいる」
アリスの言葉に陽炎は笑みを見せた。
そのように既に結論に達している二人の隣で先程から会話について行けずに呆然としている人物がいた。煌である。
「宝条さん、貴方なら追う立場のつもりが何時の間にか追われる立場になったらどうします?」
見兼ねたのか、陽炎がそう聞くが、煌は首を捻るばかりである。
「一般的には逃げるか立ち向かうかですが……我々を相手取る村長はそれを役割分担出来るのです。村長が逃げ、あの犬コロが迎え撃つ。ま、一種理想的ですらありますね」
「しかし、それが何故……」
村長が家にいるという結論になるのですか?
その尤もな質問に、陽炎は大袈裟に頷き、言った。
「逃げる事で一番重要なのは、相手の死角に入る事です。特に今回、彼は攻撃手段を持っていますからね。相手の探しそうに無い場所に陣取って、我々が彼の居場所を突き止めようと右往左往している内に、あの不死身の犬で攻撃を加える。此方には疲れが溜まる。そして、遂には、あの犬の牙によって、死神の手に捕らわれてしまう。といった事を描いているのでしょう。次に我々が考えるべきは、彼が隠れている場所はどこか?我々にとっての死角とは?それは既に探した場所。それで、いざという時に逃げる為には孤島より、陸地であった方が良い。そういう訳です。又、村長という職務上、そうそう地元を離れるわけにもいかないでしょうから」
以上の推理をスラスラと述べてみせた陽炎に、煌はほう、と溜息を吐いた。陽炎の場慣れている感じに、改めて感心したやら、これで漸く終わりかもしれないという安堵からか、或いはその両方からか、彼には判別がつかなかったが。
「ただ、問題はどうやって奇襲を行うかだが。あの村長、逃げ足だけは速い」
陽炎は、そう吐き捨てる。
「まあ、あの犬神の嗅覚あってこそだからね。或いはそこを付けば」
「ふむ。もう回復している頃合いだろうし、打つ手が無くなるな」
陽炎とアリスは、二人して黙り込む。その脳内には幾つもの戦術が生み出され、飛び交い、葬られているのであろう。
「ごまかすにしても、本物の方が匂うだろうしな。いや、そうか。向こうは俺の匂いを覚えている。だったら」
「どうだろう、上手く行くかな?」
陽炎が何か思いついたようであるが、アリスがやんわりとそれを否定する。
「む、まだ何も言ってない」
「言わなくても大体分かるよ。大方、あれでしょう。柔軟剤とか、消臭剤を体に振りかけて近づこうと言うのでしょう。そんな奴、どうせばれるよ」
「やってみなくては分からん」
「匂いがそんな物で完全に消えるわけ無いでしょうに。向こうはそれこそどんなに離れても、匂いで追跡してくるんだよ?例え僅かにでも匂いが残っていれば、ばれるよ」
「ああ。だから。ばれれば良いんだよ。アリス、あの犬は、僕と宝条さんの匂いしか追跡しないんだぜ?」
陽炎はそう言い、ニヤリと笑った。
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