洞窟での戦い

 四月の陽気な気候の中、全くその様な空気を纏わない男達がいた。陽炎と煌である。彼らは那須村の隣にある市にいた。


「ここが、ボートを借りた所ですか?」

 陽炎達は同市にある釣具の貸し出し店の前に立っていた。

「はい。確かにここです」

「成る程、良い場所だ。あの村から離れているが、離れすぎているわけでもない。犬神島に、行くにしても、機関付きであれば、行ける、ということですね」

 煌が頷くのを見てから、陽炎はこう言った。


 二人は、ボートを一日借り、それに早速乗り込む。煌がエンジンを入れ、スクリューが回り出す。

「では、行きましょう。犬神島へ」

 陽炎はそう言った。


 犬神島へは半時間程度で到着した。いわば、その程度の距離であった。犬神島には、船着場などという気の利いたものは無かったが、小型船なら接岸出来そうな所はあった。


 その島には、松が一本だけ生え、その他は多少の草が生えているのみであった。半分は岩肌が露出していた。

「あそこです。洞窟の入り口は……」

 煌の指差す方をみると、陽炎達の位置からは、若干見にくかったが、注連縄の様なものが見えた。


「行きましょう……」

 陽炎達は犬神島へと上陸した。


 登るのは余り苦労では無かった。然程高い山では無かったし、岩が階段の様に置かれていて、登りやすかったからだ。恐らくそう置いたのは那須村の村民であろう。

 洞窟の前に立った二人に、中から冷たい空気が伝わってくる。陽炎達はポケットから小型の懐中電灯を取り出し、点灯した。先ほどホームセンターで買ったものである。

 買ったばかりの懐中電灯の光は強く、洞窟の闇を瞬く間に切り裂いた。


 順番は、まず陽炎が洞窟に入り、煌がそれに続く形となった。

 洞窟は右に右にと曲がる様に作られていた。徐々に同一距離を進むごとに進む角度は大きくなっていったが、下る大きさは変わらなかった。


「こんなものを作るとは、まさしく先人達の知恵ですね。犬神様とやらへの信仰の厚さが解ろうものだ……」

 陽炎が会話と独り言の混ざった様なものを言うと、煌もそれに乗っかる。

「本当に、一体何年かかったことやら」

「いや、案外その犬神様とやらが掘ったのかもしれませんよ。花咲か爺さんの如く」

「いや、花咲か爺さんの犬は掘ってませんよ。爺さんに指示しただけです」

「そして、隣の爺さんは支持されなかった」

「ハハ、そりゃあ良いですね」


 陽炎がこんな無体な話を始めたのは、己の影にすら怯える煌を何とか安心させようとしてのことであったが、その目論見は成功した様であった。


 そんな話をしながら、洞窟を進むと、開けた場所に出た。高さは三メートル程あり、半径約十メートル程度の円形の場所であった。

「ここですね。前回、犬人間を見たというのは」

 陽炎の言葉に煌は頷く。

「はい。あそこの奥の方にいまして。しかしどうやら今はいない様ですね」

「では、今の内に探索しましょうか。あの奥を」

「奥?」

 陽炎の懐中電灯が差す方には、確かに奥に進む道があった。

「あんな所があったなんて……」

「まあ、あんな化け物がいたら気付きませんよ」

 陽炎は極めてそう聞かれないように、慰めの言葉をかけた。


 そして、洞窟の更に奥。然程歩かない内に再度開けた場所に出る。しかし、先程までの広さは無く、せいぜい二畳程度の広さしかなかった。


「……これはこれは」

 そこには電灯の光に照らされた男の死体があった。洞窟の中の冷たい空気のせいだろうか、腐敗はそれほど進んでいない。だが。

「獣にでも食われたんですかね?」

 その死体は脇腹の所がゴッソリと無くなっていたのであった。もう血は出尽くしたのか、全体的に青白い。

 しかし、煌の言葉に陽炎は首を振る。

「この島に獣なんていましたか?これはあの犬人間の仕業ですよ」


「私達以外にも犠牲者がいた、ということでしょうか?」

「いや、あの化け物に狙われたら、大なり小なり傷は負うだろう。それに顔にも苦悶の表情というものもない。一瞬の内に殺されたというのも、そうした致命傷となる場所に傷がない。つまり、このことから導き出せることがある」

「……と、いうと?」

「これは生贄だ」

 陽炎は死体を電灯で照らしながら、そう言った。


 煌は、そんな陽炎を見て、明らかにこれは違う人間だ。と感じた。陽炎の目は、死体を当たり前のように見ていた。そう、それが見慣れたもので、見飽きたものであるかのように。

 だが、煌は思い直す。それは彼の職業を思い直せば仕方のないことであったからだ。荒事専門の化物退治屋。それは明らかに危険な職業である。犬人間だって、完全に自分達を殺す能力を持っていて、そうする意思がある。だとすれば、彼にとっては死というものがひどく身近に有るのだろう。

 煌はそれに思い当たった時、背筋を寒くし、同時に願った。己が目の前の死体の仲間入りをしないように、と。


 そろそろ戻りましょう。そう陽炎が言ったのは、煌が考え事を終えた時であった。煌は賛同し、共にあの、広々とした空間に戻った時であった。


 そこにいた。犬人間が。

 だが、向こうも陽炎達を追っている最中なのか。丁度広間に入って来たところであった。泳いで来たのか、懐中電灯に照らされた体は濡れている。

「タイミングの良いことだ」

 そう陽炎は呟き、拳銃を取り出し、犬人間に照準を合わせる。

「宝条さん、その懐中電灯を奴に向けたままにしておいてください」

 陽炎は宝条にそう頼む。彼の分の懐中電灯は、拳銃を取り出す際に、その言葉通り懐にしまわれている。


 犬人間も前回の戦闘で学ぶ所があったのか、急に飛びかかったりはしてこない。寧ろジリジリと、慎重に近付いて来る。


 双方共に、大きくは動かず、互いの一瞬の隙を狙おうと、その目を鋭くさせている。


「少し動く。ついて来い」

 そう言い、陽炎は壁沿いにジリジリと、右に移動していく。煌は、懐中電灯を犬人間へと向けたまま、陽炎について行く。

 犬人間も、鏡に写したかのように、右へ右へと移動して行く。


 広間の半分程まで進んみ、更にもう半回転。陽炎達は出口に繋がる方の通路へと、たどり着く。

「今だ!出口まで走れ!」

 陽炎が不意に叫んだ。煌は咄嗟の事に、体を瞬間的に硬直させたが、直ぐさま発条バネに弾かれたように、走り出す。陽炎も、犬人間から照準を外し、煌の後を追う。


 陽炎が通路に入った時であった。其れ迄ジッと様子を見ていた犬人間が、猛然と駆け出した。目標は勿論、陽炎たちである。


 しかし、陽炎は犬人間が通路に入った瞬間。

「思った通りだ」

 そう言いながら振り返った。その手には、拳銃が握られている。この狭い通路内でも、犬人間の膂力があれば、弾丸を避けることなど容易に出来るであろう。前回、陽炎があれだけ弾丸を叩き込めたのは、単に犬人間が銃を知らなかったからである。


 しかし、今は完全に不意を突かれた。

 拳銃から発射された弾丸は、正確に犬人間へと命中した。


 吹っ飛ばされる犬人間。陽炎はそれを見る前に再度通路を駆けて行った。



 はぁ、はぁ、はぁ。

 煌は、自分の息が切れているのを、感じながら駆けていた。そして、前方に見える光。煌はそれが救いを示すデウスであるかのように感じ、そこに向かい、走った。

 外に出た瞬間、太陽の光に目の前が白一色になるが、目が慣れるよりも早く、煌は山を転げ落ちるように降りて行った。漸く、上陸した場所に着く。しかし、そこにたどり着いた煌は絶望した。


「ボートが……」

 そこにはボートは最早無く、千切れたロープだけが岩に結びついていた。

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