未来に繋ぐ為の、過去の話 8
ワシの嫌な予感は、見事に外れてくれた。昔の女の話などされて、気分の良い者などおらぬが、そういう類いのものでも、勇気を持って話してくれた事が嬉しかったのじゃ。
途中、泣いてしまったり、情けない所も見せてしまったがのぅ。真也がちゃんと未来を見据えて行けるようになるのであれば、些細な事じゃよ。
「壱……ちょっとごめん。少し、このまま…………っ……」
「?……構わぬぞ」
急に表情が曇り、静かに口を開いた真也が、ワシの胸元に頭を預けてくる。肩は、僅かに震えておった。真也の背中に腕を回して、そっと抱きしめる。無言で暫く頭を撫でて、辺りから漂ってきた匂いに気付いた。
「今夜は、雨になるかのぅ……」
何も言わずに、真也の頭を撫で続けた。やがて聞こえてきたのは、声を押し殺した、静かな泣き声。
「ごめっ……っ、ぅっ……」
暫しの間。雨の匂いが強くなる。
「ありがと……もう、大丈夫…………雨降るなら、帰らないとな」
俯いたまま呟いて、真也は顔を上げた。その笑みは、無理に作っているものだとすぐに気づく。
「今は、無理に笑わずとも良いのじゃ」
歩き出そうとする真也の後ろ姿を眺めてから、隣に並んで軽く手を繋いだ。こんな時、気の利いた台詞の一つも出てこないのが、もどかしいのじゃ。
「帰るまでの辛抱じゃ。多少なりとも触れておれば、気休め程度にはなるじゃろう」
「……ありがと…………」
繋いだ手を弱く握り返し、振り絞るような声で告げた真也。黙って手を繋いで、車の停めてある場所まで戻る。強い、雨の匂いにふと空を見上げた。低い灰色の雲が、空を覆っていた。
「真也よ、雨が降る前に帰るぞぇ」
「うん……じゃあ、乗って」
「うむ」
来た時と同じように、真也は車の扉を開けて、隣に乗るよう促してくる。軽く頷いてから、車の椅子に腰かけ、大人しく真也を待つ。空から降る雨は、まだ降ってきておらぬが、真也の心の内は、土砂降りの雨なのじゃろう。
隣に真也が座り、しーとべると?と云うらしい、太めの紐のようなものをかけられた後、車が低い音を立てて揺れ始める。
「お待たせ壱、出発しても大丈夫か?」
優しい、声色じゃった。普段なら安心しきって心地良く聴こえる真也のそれが、今のワシの中ではモヤモヤ引っかかるものに感じられたのじゃ。均衡が、崩れてきておるのかのぅ。風呂敷を広げて、神酒を何杯か続けて煽って、酒瓶と盃を元どおりに包み直す。
「大丈夫じゃよ」
隣に座る真也の肩に手を添えて、ワシは頬に軽く口付けをした。風呂敷包みを抱え直して、真也の肩に頭を預けて寄りかかる。
「今のは、まじないじゃ。帰り道、よろしく頼むぞ、真也……」
「了解。んっ……まじない?」
真也は、まじないの意味を問うてくる。それからワシに気を遣ってか、出来るだけ大きく動かぬようにして、車を動かし始めた。
「無事に帰れるように、じゃ。ワシは少し……寝るぞぇ……」
まじないの意味を伝える。半分は、言葉にしたままの意味、もう半分は……ワシの自己満足じゃ。伝える必要も無かろう。均衡の取れなくなってきていた身体は重く、襲ってきた睡魔に勝てず、真也に寄りかかりながらウトウトしてくる。
「ありがとな?うん、ゆっくり寝てろ」
夢うつつで聴こえた優しい声に、胸がズキズキ痛む。頭を撫でられる感触は心地良く、目覚めた時に真也の心の内の雨が止んでいたら良いと願いながら、そっと目を閉じた。
【未来に繋ぐ為の、過去の話/完】
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