【完結】ヴェンデッタ
上原 友里@男装メガネっ子元帥
1.快楽の街
第1話 宝石と花と葬送の涙に送られて、悪趣味な白豚は二度と戻らぬ旅に出る。
自由貿易都市シャノア。南ラグラーナ王国を貫流するトワーズ河の河口に位置し、この地方一帯の物資輸送を手がける交通の要衝である。その歴史は二百年の昔に遡る。
もっとも古い著述はシャノア初期の様子を以下のように伝えている。
年に二度、ルイネード侯領の港シャノアに各国の行商人がより集い、毛織物、南方の果実、野菜、魚、肉や毛皮、木材、炭、岩塩、琥珀、家畜、宝石貴石、絹、金銀細工、鉄、武器、東方の香辛料などを売る。常は入り江に面した漁村であるが、このときばかりは何万という市が立ち、さながら突如として出現した城のようである――
一方、薄汚れた裏通りでは、剣と銀貨を秤にかけた命がけの商売が繰り広げられる。
麻薬、盗品、魔術に使う呪わしい道具、さらわれてきた子どもや女までありとあらゆるものが競りにかけられた。
商業、交易の中心地として活気づく表の顔とともに闇に潜む裏の顔を持つ街、シャノア。
むろんここでは殺しの腕も重宝された。
[807830359/1597454264.jpg] 暗闇に沈んだ部屋は、少し苦い煙に満ちていた。開け放した窓辺でカーテンが揺れ、月に見おろされる古い街並みをかいま見せる。月明かりはあくまでも静かで美しい。
ふいに、するどい苦痛の声がひびいた。てすりをつかむ手に身悶え混じりの力がこもる。
「声を立てるな」
安楽椅子に身を埋めていた男がおもむろに口にくわえたパイプを灰皿に打ちつけた。耳障りな音が飛ぶ。男は目の前に躍る剥き出しの肩を掴んだ。椅子が厭わしく軋む。
血まみれの若い男が、床にうずくまっている。髪も、眼も。血のように赤い。
月光が青年の肌を残酷に染め上げている。乱舞する無数の刺青が彫りつけられた背中。にじむ血の色。まるで身体を画布がわりにした殴り描きのようだった。技術も美意識のかけらもない刺青の図柄が青年の背中をかき裂いてゆく。また針が身体に突き立った。
それは一片の同情もない悲惨な扱いだった。単なる奴隷か、あるいはそれ以下でしかない存在だということを思い知らせるためだけに、男は青年を狂気の刺青でもてあそんでいる。
耐えきれず青年は泥を踏みつぶしたようなうめきをあげた。
男が手を返して顔料をつぎ足すたび、赤毛は身体をこわばらせ、汗をしたたらせて苦痛に耐える。
その様子を、妖艶な姿勢で窓際に立ち控える美女が見つめていた。肩にかかる黒髪が柔らかな影を描いている。顔は闇に隠れ、見えない。ただ、薔薇のむせ返るような香りだけが濃密に漂っている。
「ジェルドリン夫人を知ってるな」
安楽椅子の男は吐き捨てるように言う。
どうにかうなずく赤毛の様子に、窓際の女は声も立てず笑った。眼が合ったのだ。こんなかたちで自我を犯されていながら、射るように激しい眼差しは光一つ失っていない。
「今週中に始末しろ」
返事はまともに返らない。肉を突き崩す音ばかりが響きわたる。
「聞こえたのか」
安楽椅子の男は、血まみれの赤毛の背を前に言った。
「理由は」
呻きにまじって、どこか醒めた声が探りをいれてくる。
安楽椅子の男はもう一方の手で赤い髪の毛をつかんだ。
「ヴェンデッタ、教えてやれ」
黒髪の女は唇をわずかにつり上げた。微笑みがかすめる。女の手が伸びて、涙と汗にゆがんだ赤毛の頬を手挟んだ。
「千スーよ、ハダシュ」
ため息にも似たささやきが赤毛を覆い尽くす。
赤毛は身を震わせた。黒髪の女は笑って唇を寄せた。舌がとろけ、もつれあう。ごくりと赤毛の喉が上下した。上気した声がもれる。
「それと、”あれ”もね」
その一言で、赤毛の様子ががらりと変わった。眼にあやしい情欲の色が走り抜ける。吐息が熱っぽく乱れ出した。赤毛は脱力して前のめりにくずおれた。安楽椅子の男は支えようともしない。
黒髪の女は投げ捨てられた赤毛の上腕をつかんだ。殺し屋は、月影のかかる窓枠を支えによろよろと立ち上がった。しなやかに痩せた体つきが光に切り取られ、床に漆黒の影を落とす。足下に何かが糸を引いてこぼれ落ちた。赤いしずくが、床に跳ね返る。
「理由を聞いてどうする」
安楽椅子の男は、過去を彷彿とさせる猛禽のまなざしを差し向けて言った。
「わしを裏切るつもりか」
殺し屋は答えない。
安楽椅子の男はおざなりな笑みを浮かべ、手をかざした。女がさっと寄って男の手を拭く。
「ジェルドリン夫人が黒薔薇に資金を流しているという噂が流れてな。話し合いで、奴との協力関係は終わらせたほうが良いと決まった」
女はテーブルの上に積んであった革袋をひとつ殺し屋の足下へ放り投げた。重みのある金属音が床にこぼれ出す。赤毛はむさぼるように袋をつかんだ。そのままよろめいてドアの向こうへと消えてゆく。
安楽椅子の男はパイプの煙草に火をつけなおし、煙を大きく吐きだした。煙が散った後、男はほんのわずかだけ唇をゆがめて笑った。
宝石と花と葬送の涙に送られて、悪趣味な白豚は二度と戻らぬ旅に出る。それは愉快なことだった。
「どこから来たか知らんが、少しばかり見逃しているうちに目障りになってきた。黒薔薇など、わしがその気になれば一息で叩きつぶせる。そうだな、ヴェンデッタ」
女は凄艶なほほえみと低い声で答えた。
「そのようですわね」
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