4-3.『決別』―③
* * *
昔からずっと同じ夢ばかり見る。だから、その夢を最初に見たのがいつだったか、ユーレイは忘れてしまった。
ただ、夢での自分は五歳か六歳かそこらの幼い姿をしているから、たぶんそのくらいの時期から見るようになったのだろうとは考えている。
――夢の中の少女ユーレイは、小さな腕に小さなフクロウを抱きしめて、満面の笑みを浮かべている。
『すごい! すごいわ、ユーレイ! あなたは天才よ!』
『よしよし、今日は記念日だ! なんでも好きなものを買ってやるぞ!』
そんな幼いユーレイに惜しみない拍手を贈るのは母親で、ユーレイを抱き上げてその頬にキスをするのは若かりしころの父親。
使い魔:<報復ロウ>の召喚をこの若さで成功させた娘に、相応の祝福を贈る――ごく当たり前の、温かな家庭像。
――この段階ではまだ気づけない。何度、何回同じ夢を見ても、夢の中の幼いユーレイは両親の愛を無邪気に享受することで頭がいっぱいになる。
だから、いつも彼女を現実に引き戻すのは――
『すごいじゃんか、ユーレイ!』
背後から聞こえてくる、兄の声。
背中から氷をぶち込まれたような勢いでユーレイの頭は冷える。振り返るのが怖くなって、けれども、体は勝手に動く。
ぎこちなく振り返ったユーレイに、兄ボーレイは悪意のかけらもない優しい微笑みを向けている。
くっきりとした目鼻立ちはユーレイとよく似ていて、髪の毛の金髪などは本当に兄妹でそっくり同じ色をしていた。
「――おい。おい。お嬢、起きて。お嬢。……起きて! おい――」
兄と同じ色のその髪を、一時期は無邪気に喜んでいた。優秀な兄とおそろいのこの金色が誇らしくてしょうがなかった。
いつか自分も兄みたいになるんだと、そう思っていた。
でも、しばらく経って、兄と同じ色のこの髪がとても疎ましくなった。
髪の色は同じでも、おまえは兄と同じにはなれない――そんな呪いのようにすら思えた。
両親と一緒になって、他意なく自分を祝福してくれている兄の姿を見て。
本来この場所にいるのは自分じゃなくて兄なのだということを、すぐに思い出して。
ユーレイは、いつもそこで目を覚ます。
『こうあってほしかった』という空想に浸ることすら、彼女には許されない――
「――――『ユーレイ』!!」
* * *
床に寝かせたユーレイの頬をぺちぺちと叩き、必死の呼びかけを続けていたカラセルは――
「――お兄様!?」
「は?」
奇妙な第一声とともにユーレイが跳ね起きたのを見て、安堵の吐息を吐くよりも先にまず素っ頓狂な声を漏らした。
きょろきょろとあたりを見回すユーレイ、「大丈夫?」と背中をさするカラセル。しばしの両者硬直ののち、
「……ここは……?」
コクピット内のモニターは一様に青黒い画面を映すのみで、外の様子がまったく掴めない。
「海ん中。沈み真っ最中。あと残念なことに、ここにお兄様はいない」
あくまで軽い調子、からかうような含みすら持たせて解説するカラセルの声――
ユーレイはようやく我に返った。
「なかなかまあやってくれるよあの女。<ディスペリング・ストーム>までさらっと握ってんのは犯罪だな……」
「……負けたのですか、私たちは」
「負けたも何も海の底だから、進展なんにもないんだけど。まあ、そこそこしんどい局面」
よいしょっ、と声を上げて立ち上がったカラセルがモニターに手を触れると、一時中断という形になった決闘のログが表示される。
【シルバー・バレット】側の場には<ガラクタ錬金工房>が一枚ぽつんと残っているだけで、対する【コンセプター】の場には確殺の無限ループが成立。
――この状態から決闘を再開したところで、結果は見えている。
「いや、起きないからどうしようかと思った。このまま海の底で死ぬのってだいぶ嫌な死に方だしさあ、っていうか死ぬにしても最期の話相手って欲しいよね……」
「……」
「……お嬢さまー?」
うなだれたまま動かないユーレイの眼前でひらひらと手を振るが、反応は返ってこず。
どしたの、と腕組みをしたカラセルに、ユーレイがぽつりぽつりとこぼしたその言葉は――
「……結局」
「ん?」
「お兄様には、……勝てない」
魂が剥がれ落ちるような――涙にも似た印象を。聞いていたカラセルに与えた。
いつになく深刻なその声色に、さすがにカラセルもすこし黙った。言葉を探すように天井を見上げ、しばしの沈黙を挟んだのち、そーだよね、と短く切り出す。
「ほんと、よくできたデッキだよ。基本コンボの完成度もさることながらー、<マンタレイ>が汎用永続サーチだから拡張性と対応力にも優れる。これ全部机の上で組んだってんだからほんとすごい。いくらテキスト知ってても、他国のカードって実際使ったことなんかなかったはずだろうに。……ほんとに、すごいカードゲーマーです」
語る言葉は、後ろに行くほど観光地の見どころを解説するツアーガイドのような調子を帯びていき、つまりそれは場を和ませる意図を含む発言だったはずなのだが、
ユーレイは、座り込んだまま動かない。
「あー……、……まあ、余計なことしてくれたって感じではあるよね。カードゲーマーとしてはともかく、ハイランドの国民としてはどうかと思います。だからお嬢、そんなお騒がせ野郎には妹から鉄槌をくらわしてやらねばならんと、そんなふうには思いませんか?」
子供をあやすような仕草と声音でそう語りかけてみても、やはりユーレイは動かない。
今もなお【シルバー・バレット】は海中を沈んでいく真っ最中で、モニターには濃紺色の闇が広がるばかりである。そこに時たま映るこぽこぽという気泡を横目に見ながら、カラセルは困ったように息を吐いた。
「……まあ、何? おれ結局才能ないからさあ、魔力の量が足んないから。おれ一人だと【シルバー・バレット】動かせないんですよね。だから、まあ、困ったことになる。お嬢がやる気出してくんないと」
「同じことではありませんか」
カラセルの台詞を遮ったのは、抜け殻のような空っぽの言葉。
「戻っても、どうせ、負けるだけです。なにもかも、ぜんぶ叩き壊されて、負けるだけです。……同じです」
「……同じ
「どちらにしても、同じことです」
水葬かあとカラセルは額を打つが、ユーレイはにこりともしない。
だんだんと光すらも届かなくなっていく深い海の底――モニターの映し出す蒼い闇が、着実にその色を濃くしていく。
「テメーと心中するなんざ真っ平ごめんだー、って言われたのがもう遠い昔のようですよ。なんか好感度上がっちゃったかな」
「……私に、務まるはずがなかった。お兄様の代役も、……お兄様を、打ち倒す役も」
鼻をすする音がしたのを、カラセルは聞こえないふりをした。
いやいや急に何を言ってんのと言いかけて片手を挙げて、
数秒間その姿勢で静止して、挙げたその手を後ろ頭にやって、黙った。
「いつだってお兄様に敵わなかった。どうやってもついていけなかった。……誰も、私のことなんか、見なかった。……そんな人生なら」
真っ赤になった目元を一度拭ったのも、カラセルは見ないふりをして、でも、
「お兄様が生み出した力に、わたしが、殺されるというのは。自然な、……必然の、……当たり前の……ことでしょう?」
そこまでなんとか言い切って、それでとうとう、ユーレイは声を上げて泣き出した。
海の中にも雪は降る。実際のところその正体はプランクトンの死骸やら排出物やらといったものではあるのだが、とにかく、深海にも雪は降る。
暗く、深い海中にしんしんと降りつもる雪の中で、一人の少女が泣いていた。
その慟哭以外の音をすべてなくしてしまった狭い世界の中で、少年は――ただ瞑目する。
優しい声、というわけでもなかった。
「なんか、わかんなくなったんだけど。結局んとこ、お嬢はさ……」
露骨な気遣いがあったわけではなく。
その問いは、ただただ静かな、落ち着いた声色に乗せて、発された。
「お兄さんのこと、嫌いなの?」
次の瞬間、ユーレイはカラセルの胸ぐらをつかみ上げていた。
「――嫌いに」
涙で潤む瞳に、正体のわからないなにか強い感情を込めて。
「嫌いに、なれたら、どんなに……っ!!」
静かに黙り込むカラセルを見上げて――
* * *
朝、いつも通りに目を覚まし、朝食の席に向かう途中。たまたま通りがかった廊下で――
『――我が子ながら、ボーレイの考えることはわからん。これが天才肌というやつか?』
『あら。私はむしろ安心しましたわよ?』
『……何がだ?』
『たしかに、ボーレイは何を考えているのかよくわからない子供ですが……。髪の毛を弄るということは、あの子もあれで人並みに見栄えを気にする男子ということです』
『……どうだかな』
ユーレイのことなどまったく視界にも入っていないような様子で、父と母がそんな言葉を交わすのを。たまたま聞いてしまったのがいつの日だったか、ユーレイにはもう思い出せない。
――いつの話かは覚えていなくても。そのときの兄の様子については、今でもはっきりと思い出せる。
『お、ユーレイ。おはよう。……おはよう? おい?』
ローゼスト邸の食堂には、そのまま晩餐会にでも使えそうなほど長いテーブルが置かれていて。食堂の扉を開けたユーレイを待っていたのは、その長いテーブルの真ん中で食事をとるボーレイの姿――なのだが。
『……お、お兄さま、……お兄さま……!?』
ぽかんと口を開けたユーレイは、たっぷり数秒間の硬直を挟んだのち、わなわなと震える指先をボーレイの頭へと向けた。
ボーレイとユーレイの兄妹はとてもよく似た顔立ちをしていて、とりわけ、さらさらと揺れる金色の髪は、兄妹でそっくり同じ色をしていた。
――同じ色をしていた、はずが。その朝のボーレイの髪の毛は、
ローゼストの血脈を感じさせる金色とは正反対、しかし光沢ある美しさだけはそのままに残した、銀色になっていた。
『そ、……その、その、…………その頭は、いったい!?』
『これ? 染めた』
『染めっ……』
それがどうかしたかと言わんばかりのけろりとした声に、ユーレイは言葉を失った。
これは昔の話である。ボーレイもユーレイも年齢がまだ二桁に届かないような昔の話。そんな年頃の子供が一人でしかも唐突に髪の色を変えるというのは相当に意味のわからない事態で、ボーレイの奇行は両親のみならず妹をも困惑させていた。
『どーよ。似合うだろ?』
『いや、似合うもなにも! え……え? いや、なぜ急にそんな……』
『これなら、一発でわかると思って』
――触れればはらりとほどけてしまう、きめ細やかな銀髪をひと房つまんで。
窓辺から差し込む朝日に照らされたボーレイは――きらめきの中で、ユーレイをそっと指さした。
『おれと、おまえは、違うんだって。これなら、パッと見でわかるだろ?』
その指の向く先はユーレイの髪。子供特有の柔らかさを帯びた、艶やかに光る金色の髪。
そうした特性は兄であるボーレイも同じように持ち合わせているもので、でも、その色は違う。
『おまえも、おれみたいな人間になればよかったのに――なんて、そんなこと。これなら、親父だってもう言わねえよ――――』
兄と同じ色の髪を、かつてユーレイは誇らしく思った。
兄と同じ色の髪を、かつてユーレイは憎らしく思った。
でも、今はもう、違う。
* * *
ボーレイ・ローゼストとユーレイ・ローゼスト。
二人揃って、さらさらと流れるような金髪が特徴的な――とてもよく似た兄妹だった。
「嫌えたら。憎めたら! ――いっそ、嫌いになれたら、どんなに……っ!!」
掴み上げたカラセルの胸に顔をうずめて、ユーレイは泣いていた。
そうだ。どうして忘れていたのだろう。
あの次の日だ。
ボーレイに似ればよかったのにという父の言葉を聞いてしまったあの日。
同じ人間が二人いても面白くないと兄がつぶやいたあの日。
その翌日に、兄は髪の毛を銀色に染めて、言ってくれたのだ。
これなら同じには見えないだろう、と。
兄のその言葉はユーレイを救うと同時に縛り付けた。
「私ではお兄様を超えられない。私では、お兄様に勝てない。私では、お兄様になれない!」
「……お兄様になりたかったの?」すがりつく両腕をカラセルはやんわりと外そうとして、
「――――憧れなかったわけがない!!」余計力強くユーレイは縋った。
涙に揺れる瞳をまっすぐカラセルに向けて吠えたユーレイの口から、そこから先、まともな言葉が出てくることはもうなくて。
音のない深海を沈みゆく魔導巨兵のコクピット内部を、声にもならない泣き声が満たした。
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