3-7.神への反逆/side:逆らう人


「あんたのことを悲しいと思うよ。同情もする。でも賛成はしない」


 それでもカラセルは怯まない。


「……とんでもないことになっちゃったけど、でも、カードゲーマーとしてはね。お兄さんのこと、ちょっと尊敬する」


 後ろのユーレイに、その一瞬だけ、ちらりと優しい視線を送って。


「たしかに、おれたちカードゲーマーは神様の手の上で踊るだけだ。一生ここから出られない。でも、おれたちは、時に……神ですら想像できなかったような道を、拓くことがあるんだよ」


 澄み渡った、よく通る声で――地下ナンバーワンのカードゲーマーは、宣言した。


「――神の手の上で神を超えていく。それがカードゲーマーだ!」

『その通り。ボーレイ・ローゼストという人間は神をも超える叡智に辿り着いた』


 そして、この場に居合わせたもう一人のカードゲーマーは、カラセルへの賛同と嘲りを両立させた台詞を吐いた。


『プレイングの介在する余地はない。コンボの手順さえ覚えれば、誰が使おうと、誰を相手にしようと、確実に先攻でワンターンキルができる。その成功率、実に八〇パーセント超! 使い手で差が生じないデッキ!』


 銀幕の中の紫陽花女が、そこで思い出したかのようにユーレイを見る。


『あなたのお兄様は英雄です。たいそう妹思いな方です。だってあなたのような出来損ないに、このデッキは救いに他ならない』

「な、っ……」


 その瞬間、『出来損ない』の一言で脳内を駆け巡った記憶に、ユーレイは声を詰まらせた。

 おかまいなしにユカグラは続ける。


『わかりますか? 【パーミッション】は【エクストラ】を撃破しました。同じように【コンセプター】もこれから【シルバー・バレット】を撃破します。勝負はなすすべもなく一ターンで決着する。降伏すると言っても壊します。それが先方の望みらしいので』

「マゼンタとピンクって、おれにはそこまで見分けつかない色なんだけど。ちゃんと違う色らしいんだよね」

『……は?』

「この世に、まったくおんなじ人間なんかいないって話だよ」


 得意げな声で語るユカグラの話の腰を全力でへし折って、カラセルが主導権を握り返す。


「人間がひとりひとり違うように、おれのデッキは三十枚三十種、同じカードは二枚と入らない。負けたあんたは骨身に染みて知ってるはずなんだけどなあ」


 負けた、をさりげなく強調する勝者の特権に、ユカグラはほんのわずか表情をゆがめた。


「誰が使っても、誰を相手にしても、まったく同じ結果が出るデッキ。……そんなものが、ほんとにあると思うのか?」

『……解釈違い、というやつですわね』ユカグラは静かに目を閉じた。『疑うのなら試してみればいい。ハイランドという国が授業料です』


 そこで通信が切れ、スクリーンを作っていた水は形を失いばしゃりと床に零れ落ちる。

 授業料ってね、それ別におまえが作ったデッキじゃなかろうに――と、軽口をひとつふたつ叩いてから。


「そういうわけですけど、先輩。おれとお嬢はこれから【コンセプター】の迎撃に出なきゃならんのです」

「そうか。好きにするといい」そう言って先輩は指を鳴らした。「やることをやってからの話だが」


 <霊竜>の撒き散らした残り火がそこここにちらつく格納庫内。炎の影がそのままぬるりと立ち上がったかのように、託宣科の制服を着た男たちがどこからともなく現れた。


「腐っても僕はカードゲーマーだ。天才の生み出した至上のコンボを打ち破る者がいるというなら、それを見てみたい気持ちはある。だが【シルバー・バレット】は壊したい。これもどうしても譲れない望みだ。対立する二つの欲望は――」


 ジェレインを含め、託宣科の男たちが一斉にスタッフを構える。


「カードゲームによってのみ、解決することができる」


 自分を倒さねば先には行かせないという、宣言。

 カラセルは険しい表情で自らのデッキを構え、細剣を握るユーレイの腕はごちゃまぜになった感情で震えた。

 一触即発の空気が場を満たした、その瞬間――




「――ふざけたことを言ってんじゃありません!」



 

 轟音とともに天井が割れて、瓦礫と一緒に人が降ってきた。真綿のような白いベリーショートと、その胸に実る二玉の果実をふわふわたぷたぷと揺らす、黒い服を着た――否。


「かわいい部下とそのお友達を守るため。――【全身兵器】が一肌脱ぎましょう!」


 というが、もはや脱ぐ服が一枚ひと切れたりとも存在しない女――ユーレイの上司:ハクロー・ターミナル。

 この場にいた全員の視線がその瞬間ハクローに注がれた。あらゆる意味で。ありとあらゆる意味で。

 驚きに口をぱくぱくさせるユーレイに笑顔で手を振って、ハクローはため息とともに語る。


「やー、もうびっくりしたのなんのって。いきなり塔爆発するんだもん。あれあんたの仕業? まあとにかく、あの子たちは大丈夫かなって心配になって駆け付けたらこれよ。服着てる暇なんかないなって思ったけど、大正解だったみたい」


 いや普通服は着るまでもなく着ているもののはずですし、そもそもあなたさっき会ったときは少なくとも下着はつけてましたよね、という突っ込みをユーレイは言葉にできなかった。オンステージはまだ続く。


「そこ。そこ。ジェレイン。あなた。腐ってもカードゲーマーだってあなたはさっき言いましけどね。とっくに禁呪になったカードを得意げな顔で振り回して、それでカードゲーマーを名乗るなんて。おこがましいと自覚しなさい」

「禁呪は、あくまで『魔導巨兵には持ち込めない』というだけだ。通常の魔導士間でのカードゲームに使って悪い道理などない。非常識な格好の女が賢しらに常識を語るな」

「同じこと。こちらの彼は禁呪指定のレギュレーションを順守した上でデッキを組んでいる。あなたはそうせずにデッキを組んだ。闘うフォーマットが違う。カードゲームは対等なルールの下で行われねばならない。それを忘れた者にカードゲーマーを名乗る資格はないはずです」

「……ならば、おまえはこの状況をどうする?」


 身を切るような舌戦ののち、実力行使に出たのはジェレイン。<水晶薔薇の霊竜>が吠える。


「知れたこと」


 ハクローの全身に記された呪文のうち、胸周りのテキストのみが白く発光を始め――

 部屋中を雷の嵐が吹き荒れた。

 天井から、壁から、床から、ところかまわず迸る雷撃に託宣科の兵たちは次々と打ち倒されていき、場を支配していた<霊竜>までもが防御に首を引っ込める。


「彼女らの身柄を預かった上司として。私があなたを阻止します」

「応じる気はない、と。いいだろう。だがひとつ忘れてほしくない」


 わずかな動揺も見せることなくぱちんと右手の指を鳴らし、直後、ジェレインの背後に巨大な水の竜巻が幾本も立ち上った。


「この僕は神にすら弓を引いた――引かざるを得なかった男。カードゲーム以外でなら殺せると思われるのは心外だ」


 レギュレーション違反者を焼き払う炎、魔導巨兵という神の繰り出す裁きの炎を浴びて、それでもなお生還した男。それすなわち、ジェレインという男の才はカードゲームのみならず通常の呪文戦にも及んでいることを意味する。

 ひりつくような緊張感が、部屋中に満ちたその瞬間――

 今度は、ハクローの背後の壁が爆発した。

 格納庫の壁を蹴り砕いたらしき、大樹のようなぶっとい黒い脚。誰もが目を奪われたその壁の大穴から、


「遅い」


 そう不機嫌に呟いたカラセルに委縮したような調子で、ひょっこりと顔を出したのは――


「……みたいだね。出遅れた感すっごい漂ってる」


 場違いなバンダナにエプロン姿の看板娘。ユーレイを地下闘技場へと導いた女:レマイズ。


「どうあがいても、人生の時間の三分の一は睡眠だ。もったいない。非常にもったいない。……が、どうしようもなく甘美でもある」


 そして、漆黒の大樹の樹皮に溶け込むように、ゆらり、ゆらりと、死神のようにふらふら揺れながら佇む長髪の男。


「極限まで睡眠時間を削り……ふと意識を失う一瞬。数分、短時間の眠りに落ちる瞬間のあの快感と、目覚めた瞬間の頭の冴え――何物にも、代えがたい」


 その実、睡眠不足で足元がおぼつかないだけの狂人――あの日ユーレイを出迎えた地下のナンバーツー:グリープ。

 蹴り砕かれた壁のさらに上部に巨人の鎌が大穴を開け、そこからグリープの従えた<怠惰なる死神>の山羊頭が顔を出す。

 砂の城でも崩すかのように壁が一面叩き壊されてみれば、来ているのは二人だけではない。あの日ユーレイに絡んできたマッチョ二人組:リビドーとアパタイトもいるし、のみならず、【グッドスタッフが人生の近道】で見かけた顔ぶれ、総勢数十名にも及ぶ地下カードゲーマーたちが揃ってデッキを構えている。

 ハクローは驚いたように口元を押さえた。


「あら、あら、あら……。え、ユーレイあなた、これだけの規模の私兵をいつの間に……? 私にも隠し通したまま……」

「――待ってください。いや、待ってください。どんな勘違いをしているのです?」

 心外もいいところであった。

「そう、あれはユーレイ・ローゼストに忠誠を誓った兵士たち。お嬢を守るべく参上した騎士団です」

「なぜこの状況で乗ったのですか?」本当に心外もいいところであった。


 目まぐるしく変化する状況に目を回しているユーレイを指で招いて、カラセルは囁く。


「こういう展開になるかもしんないなって突入前に思ったから、ヤバそうだったら後で来てくれって話つけといたわけ」

「……その判断に文句はつけませんが」

「でも好き好んでただ働きするような連中じゃあないからさ」

 てへへとカラセルは頬を掻いて笑った。

「ほら、ここあれじゃん、託宣科の本部でもあるわけじゃん。だからその、いろいろ持って帰れるものも多いかもしんねーよ、って……」


 ハクローの雷に倒れた託宣科の兵士たちがのろのろと起き上がり、地下のカードゲーム狂たちは爛々と目を輝かせると一人一殺の構えに入る。

 その瞳の光の内訳が闘いの喜び百パーセントでないことはすぐに理解できた。なにせレマイズなど両目にはっきりと金マークが映っていたからだ。


「なんかあったら事後処理はお嬢の名前でなんとかしてほしいな、って……」

「……わたしの、名前に、そこまでの、力が。……あると、お思いですか」

「ん? ないの?」


 きょとんとするカラセルに、ユーレイは思わず食ってかかろうとして――

 その唇をハクローが塞いだ。一枚のカードを押し付けることによって。


「実のところ私もいまいち状況を把握しきれていませんが、これが必要な状況だというのはわかりました。行きなさい」

「――いつの間に!」懐をまさぐったジェレインが驚きに目を見開いた。

 ユーレイの鼻先に突きつけられた、そのカードの名前は――<emeth>。二の腕の呪文が発光していると誰にも気づかせなかったハクローは、とびっきりのウインクをひとつ、二人のパイロットに送ってみせた。


「いけるか?」

「まだ五徹だ。さっきも数分寝ていた。俺はこの上なく冴えている」

「オーケー」


 グリープと短い言葉を交わしたカラセルは、ユーレイが受け取ったカードに手を伸ばす。

 地下で生きてきたカードゲーマーと、兄に振り回され続けた妹。二人の手が重なり合った。



「――跪け、<銀の弾丸>!」



 どちらともなく叫んだ声に呼応して広がる、金と虹の魔法陣――【シルバー・バレット】の手番灯が銀色の光を放つ。

 銀の巨人は二人のパイロットを自らのコクピットに迎え入れると、その潤沢な魔力でもって格納庫から外へと瞬間移動した。

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