3-3.見えていた男
普段はこれといって意識もしないのだが、ローゼスト邸の敷地はとても広い。このときばかりはその広さが恨めしいとばかりに、ユーレイは息せき切って走る。
「遅いお帰りです、お嬢様」
「あなたが何を考えているのかはわかりますが、これは単なる仕事です」
「夜遊びも朝帰りも貴族の甲斐性。このメイド長に隠す必要など……」
「やかましい!」玄関を開け放ったそばからこのザマである。
最近は仕事上殿方とお話しする機会も増えまして、などとうっかり漏らしてしまって以来使用人たちは常にこんな状態で、しかし今は真面目な話をしている。
「そんなにお急ぎになって、どちらに?」
「――お兄様の部屋です!」
今年度【シルバー・バレット】搭乗者の座を獲得しておきながら、突如として姿を消した兄。家族はもちろん、バベルの塔までもがその行方を追っている。
兄の部屋にはこれまでも何度か捜査員が踏み入っているし、ユーレイ自身も個人的に調べに入ったことはある。
兄の性格をそのまま表した、おもちゃ箱をひっくり返したような散らかり方をしている部屋――どこをどれだけひっくり返しても、行き先の手がかりは見つからなかった。
が、その過程で見つけたもの。
兄はそれほど本を読まないが、カードゲーマー向けの情報誌などはよく読んでいた。ゆえに、部屋の隅の本棚には、カードゲーム関連の書籍がぎっしりと詰まっており――
「ええっと、……どの号でしたか……」
一冊一冊片っ端から抜き出しては中身を検める。
本棚を空にする勢いで点検済みの雑誌を積み上げていき、「――これです!」やがて、ユーレイはお目当てのものを見つけた。ひと月ほど前に出た、託宣科発行の情報雑誌である。
《モザイク・フュージョン・キマイラ》の情報は、この雑誌で先行公開されていた。<デモンコメット速報>はおそらくこの雑誌の関係者から情報を入手したと思われるが、今大事なのはそこではない。
この雑誌の、《モザイク・フュージョン・キマイラ》の情報が乗っているページの番号にのみ、赤い丸印が付いていること。
そして、『モザイクフュージョン→マ』とだけ書かれた小さな紙の切れ端が、そのページに挟まっていたこと――ユーレイの関心はその二点にあった。
「……いつ見ても、汚い字ですね」
字が雑なのは諦めているが、これに関しては『マ』の字が紙からはみ出しそうになっていた。
ふと閃くものがあったので、手近にあった紙のきれっぱしをとっさに手に取ってメモを書き殴った……ものの、紙幅が足りないと気づき、やめる。
そんなシチュエーションが目に浮かぶようで、ユーレイは深くため息をついた。
雑誌とメモ書きはバベルの捜査員も発見しているが、なにぶん兄はカードゲーマーである。思い付いたコンボやデッキレシピをメモに書きとることはあるだろうし、雑誌を読んで気になったカードがあれば印くらいつけるだろう。
というか、そもそも『モザイクフュージョン→マ』だけでは手がかりも何もない。結局ただのメモ書きだろうと今までスルーされていたのだ。
兄の雑な字をしばらく眺め、ユーレイは改めて頭を抱える。
「……なにか、重要な手掛かりにつながりそうな気がしていたのですが……」
《モザイク・フュージョン・キマイラ》の妙な既視感については解消されたが、だからどうしたという話。溜め息とともに散らかした雑誌を一冊ずつ本棚に戻していく。
――基本的に、ユーレイはとてもお行儀のいい人間である。本棚の本を抜き出したなら、片付けるときはきちんと元通りの順番で戻すのがユーレイという人間だ。
ただ、このときの彼女は徹夜の疲れと無駄足を踏んだ徒労感とで頭の回転が鈍っていた。
ゆえに、ユーレイは元の並び順とはわずかに違った順番で、無造作に本を戻していき――それ
がなぜだか、ぴたりとハマった。
「えっ」
偶然でなければ兄妹のシンパシー。
最後の一冊を本棚に差し込んだその瞬間、本棚――というより、本棚の後ろの壁が突如真っ白な光を放ち。
ガコンと音を立てて手前にせり出してきた本棚は、ひとりでに横へスライドして――隠し部屋への通路を出現させた。
兄は百年に一人の才能を持って生まれた魔導士で、そんな兄が本気で隠し部屋などというものを作ったのであれば、バベル捜査員ごときの目など簡単にごまかせておかしくない。
部屋とはいっても物置部屋のような狭いスペースで、そこかしこにカードとメモ用紙がちらばってこそいるものの、それ以外は小さなデスクが一脚あるのみの殺風景な空間。
おそるおそる歩み寄ってみると、机の上には一冊のノート。
一ページ目をめくってみれば、そこには――カード名と思しき文字列が、縦にずらりと羅列されている。
その一行目に「モザイクフュージョン×3」という記述を読み取って、そこでユーレイは思い当たった。
「デッキ、レシピ……ですか?」
普通に考えれば、兄が作成したデッキの内容が記されているということになるのだろう。
ユーレイはノートに顔を近づけるが、しかしいかんせん字が雑だ。秘蔵のレシピが流出せぬよう暗号化でも施したのか、と疑うほどには読みづらい。
目を凝らしたり、ノートを傾けたり、ありとあらゆる手段を尽くし、なんとか解読を試みる。
一行目は《モザイク・フュージョン・キマイラ》。では、二行目のこれはなんだ?
「マ……、マ、……マテ、マテ……。……えっ? あれ?」
ようやく意味のある文字列を用紙から読み取ったユーレイは――しかし、その内容の不可解さに、思わず声に出して自問した。
「《マテリアル・マンタレイ》……って。書いてませんか、これ……?」
そのカード名には見覚えがあった。つい先日の決闘で、敵国魔導巨兵【コンセプター】パイロット:ユカグラが使用したカード。
すなわち、【コンセプター】だけが生成した――流出でもしていない限り、ザイナーズ国内にしか存在しないはずのカードである。
兄はハイランドの国民だ。その兄が作ったデッキレシピに、なぜザイナーズのカードが出てくる?
漂い始めたきな臭いにおいに、ユーレイは生唾を飲み込んだ。解読作業の続きに取りかかる。《モザイク・フュージョン・キマイラ》、《マテリアル・マンタレイ》……その先のカード名は?
「死……死。死、の一文字は読める……ん、ですけど……」
ううん、とノートを体から遠ざけてみて――そこで、どこかのページに挟まっていたらしい、一枚の写真が床に舞い落ちた。
カードが一枚写っている写真である。
《
このカードの発動時、墓地のファミリア1体を場に再召喚する。
このカードが場に存在する限り、ファミリア2体以上が同時に破壊された場合、以下の効果を発動する。
●破壊されたファミリアの中から1体選び、それを場に再召喚する。
「そう、これです! 《死神労働基準法》!」
ぽんと手を打って拾い上げ――で、この写真はなんなんですか。
見覚えのないカードだが、ユーレイはカードゲームが本業ではない。単に自分が知らないだけかも、と入念に写真を確かめようとして――確かめるまでもなく、裏面に発見した。
赤い鳥のようなデザインのロゴマークが刻印されている。
「――え?」
赤い鳥。【パーミッション】の姿を模したそのデザインは、すなわちルーコントという国家を象徴するエンブレムである。ここがハイランドという国である以上、冗談半分で押すようなスタンプではない。
「ルーコント……【パーミッション】製のカード、ということですか?」
虚空に投げたその問いに、答えてくれるカードゲーマーはこの場にいない。
――確認を取らなくてはならない。
これが本当にハイランドでは流通していないカードなのか。本当に、敵国ルーコントで製造されたカードであるのか。それを調べなくてはならない。
ザイナーズの《マテリアル・マンタレイ》、ルーコントの《死神労働基準法》。自国では手に入らないカードに、兄はいったい何を見ていた?
――兄は、いったい何を考えていた?
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