3-1.御用改めである!




 切れかけた蛍光灯がちかちかと点滅する、寂れたオフィスビル。

 屋外に備え付けられた非常階段をぎしぎしと軋ませて上り、三階、入口を五回ノックする。

 長い金髪をお団子にまとめて、びしりと着こなした黒スーツ姿。ハイヒールで水増しされた身長と、真っ黒なサングラスの威圧感が凄まじい女。

 その後ろに控えるのは、『落とし穴』と大きくプリントされたTシャツの上にダウンジャケットを羽織っただけの、見るからにだらしない格好の男。

 どう見ても堅気の人間ではない男女。その二人を迎えるのは――


「入れ」


 喪服のような黒スーツにサングラス、やはり堅気ではない男。

 蜘蛛の巣がかかった薄暗い廊下を、男の手にした魔力灯のかすかな明かりを頼りに進み――ふと、男は振り返りもせず聞いた。


「出版社の方……ってことで、いいのかな」

「そうなります。私は――」

「いや、待った。実名はまずい」

「……ええと、それなら……そう、『ゴースト』。ゴースト、とでも呼んでいただければ」

「ゴーストか。違いない」自らの社会的地位を自嘲してか、男は苦笑をひとつ漏らした。「で、そっちの男は?」

「……」


 ジャケット姿、明らかにみすぼらしい身なりを男はいぶかしんでいる。どうしたものかと考えて、女はシャツの柄に目を留めた。


「付き人のようなものです。……『ナンセンス』、そうお呼びください」

「違いない」シャツの『落とし穴』に目をやって、やはり男は苦笑する。「さて……ここだ。入りな」


 ゴーストにナンセンス、二人の客が通されたその一室は――非合法なにおいを部屋中ありとあらゆるところから漂わせる、薄暗いオフィスであった。




 会議用とおぼしき大きなデスクの上には、広げた新聞程度のサイズの薄っぺらい紙が敷かれていた。端っこのほうに小さな文字で記された呪文アドレスが、闇の中でぼんやりと光っている。

 T.C.G.の発見以降、魔導文明は大きな進歩を遂げた。この技術も、その恩恵のひとつ。

 記されたこのアドレスを知ってさえいれば、どれだけ離れた場所からでも、この紙の内容を手元の魔導端末に映し出すことができる――魔導ネットワークシステムである。

 サングラスの女は、ひとまずは敷かれた紙に視線を落とし――そこに載っていた一枚の写真に、まず目を留めた。呪文カードの写真である。


《水先案内人》:下級ファミリア/ステータス:1/2

 このカードが召喚に成功した時、

 デッキから《溺れる者》と名のつくカードを二枚手札に加える。


 カード画像の脇にはステータスおよびテキストが書き出されていて、女がそれを黙読する傍ら、黒服の男は懐から取り出した煙草に火をつけた。


「《溺れる者》がまさかのカテゴリ化だよ。《藁の砦》に《猫の手》に……一気に注目が集まるぜ」

「へー。ビジネスのにおいがしますね」

「ちょうど《溺れる者》シリーズの在庫を集めてるところだよ。間違いなく値は上がると見てる……」


 ふうと煙を吐いた男に、サングラスの位置を直しながら問う。


「それで、このカードは?」

「月末に出る新パックの収録カード。工場のやつらからのリークだよ」


 ――この他にも、何枚ものカードの画像と効果が載せられている。

 眉をひそめた女に、男は下卑た笑みを浮かべながら聞いた。


「もうそろそろ発売も近いが……、まだ全カードが判明したわけじゃない。何か、情報を持ってきてくれたって聞いてるが」

「そう焦んないでくださいよ、うちの姐さんこーいうとこ慣れてないんだから。どうです最近。景気いいですか?」


 ずずいと間に割って入ったジャケット男の『姐さん』呼びに、サングラスの向こうで渋い顔。黒ずくめの男は鼻で笑った。 


「は、景気ねえ。……この前の改訂だよ。《鎖状の牢殻》が禁呪になった騒ぎの陰に隠れちまったが、何気に《召集令状》まで準禁呪に指定されてやがった」

「されてましたされてました。いつかは来ると思ってましたけどね」


 こほんとひとつ咳ばらいをして、お団子頭を揺らしてから。それがどんなテキストだったかを思い出す。



《召集令状》/通常スペル

 ステータス1/1の下級ファミリア一体をデッキから手札に加える。



「それまで三積み必須だったカードが、一枚までしか入らなくなった。世のカードゲーマーどもはこぞって余った二枚を売りに走ったよ」

「が、準禁呪になることを事前に知っていたここの会員さんは、値崩れする前に全部売り抜けて一安心……って感じですか」


 妙にこの場に溶け込んでいるジャケット男の襟首をぐいと引き、金髪は再び咳払い。 

 よく通る澄み渡った声を、暗い部屋の中に響かせ始めた。


「なるほど……。正式発表前の情報を不当に入手し、それによって利益を得る。そういう仕組みになっているわけですね」

「市場の動向を先読みできれば、そりゃあ儲けのチャンスは多いよ。そして市場を動かすのは情報。金は力で、金を動かすのは情報で、つまり情報とは金であり力である」

「講釈は結構です」


 日の当たる場所に出られない人間は、風向きの変化には敏感に反応する。

 雰囲気の変わった二人の男女に、黒服の男は煙草を机でもみ消すと、数歩後ずさった。


「……おまえら、何者だ?」

「何者。――ふ、何者と問われては正体を隠す意味もありませんね」


 得意げな声とともに胸を張った金髪の女は、おもむろにサングラスを外すと――着ていたスーツを派手に脱ぎ捨てる。

 漆黒のスーツの下から現れたのは、純白のバベル指定制服――


「私の名はユーレイ・ローゼスト。フラゲ情報取り扱いサイト<デモンコメット速報>管理人! あなたの監査のためにバベルより遣わされた魔導士です!」

「ねえ、それ本名名乗る意味あった?」

「うるさい!」


 フードを脱いだ下から出てくるのも、やはりいつものカラセルの顔である。

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